2007年9月13日木曜日

チャーリーリバー(4)




(8月1日の記事です)

そんなわけでリーガン一家との旅が始まるのでした。

サークルホットスプリングスから川の上流地点までの移動は
地元のブッシュパイロットにお願いする。

さすがにプロの飛行機はヘヴィーな感じがする。
何でも積めてどんなところでも、、、という感じだ。

着陸地点の近くに太平洋戦争時に用いられたB-24の墜落地点が
山の中にあった。(写真左)
ブッシュパイロットいわく「2から3時間でいけるよ」
とのこと。
リーガンと僕は
歴史的にも飛行機的にもこのB-24に興味津々で
「いってみよう!」と言うことになった。

B-24は、太平洋戦争時に大量に生産され日本を爆撃していた
飛行機でもある。なぜアラスカにいたのかは今後調べるけれども
欧州戦線に送られるものなのか、耐寒テストなどをしていたのか
想像力をかき立てられる。
乗員への弔い登山にもなるだろう。
なにせ僕は、現代の話だけれども10年間ばかり
日本の兵隊飛行士をやっていたのだから
しっかりと手を合わてこようと思った。
彼らだって家族や友人を守るために死んでいったのだ。
兵士に罪はない。
悪いのはこういうことを軽く無視することである。

スワンプ(とても湿った感じの草地、歩きにくい)を
乗り越えリーガン一家と僕は、約5時間かけて
B-24の墜落地点へ。
途中、8歳のムサシと5歳のアラシは泣きながらもしっかり
着いてくる。文句を言うとリーガン父さんに怒られる。
そして彼らはB-24に着いた時にもらえるチョコレートバーを
噛みしめながら、文句を言っても何も始まらないことを
身をもって知るのである。

B-24のジュラルミン製の翼と胴体は
およそ60年前の機体とは思えないほど鈍く光り輝いていた。
アラスカの厳しい環境が腐食を食い止めていたに違いない。
折れた翼と曲がったプロペラブレードは当時のまま
大地に突き刺さっている。
尾部機銃のちょっと後ろに乗員の飛行帽が残っている。
60年前なのに信じられないが、しかしその帽子は
そのまま半分に破けて残っていたのである。
アメリカ国旗が5つ、翼の下に立ててある。
聞いた話では、この旗の下で昨年遺骨が発見されたという。
(ちなみに日本でもいまだに硫黄島の洞穴で数本の柱(遺骨)が見つかっている)

戦争とは関係なく空を飛ぶことに憧れを抱いた乗員は
白銀の世界に舞うであろうこの銀翼に
夢と希望を託していたのだろう。

この世のパイロット達は、まさか自分の飛行機が落ちるなんて
本当にそうなるまでみじんも感じないものだから
死の間際まで夢と希望で一杯だったに違いない。
僕だっていつ墜落するか分からない、
でも、だからこそ、その間際まで
しっかり生きようと思うのかもしれない。

彼らにしっかりと手を合わせその場を後にした。
(ちなみにこの乗員のうち一人は途中でパラシュート脱出をし
極寒のアラスカ山中を1ヶ月かけて凍ったユーコン川まで下り
なんとか生還を果たしたそうです、細部は私の本で記載します)

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