2009年8月27日木曜日

極北カリブー猟(カリブー角運び屋編)




ブルックス山脈の北、地球儀で見ればかなり上の方にあるアラスカの
北極海に近い場所にブッシュプレーンで降り立った後は、
本格的なカリブー猟に入るわけだ。

そして結局、ジョンは2頭、ヨシは1頭のカリブーを仕留めることに。
しかしながら狩猟の話については、それがどれほど魅力的でも(興味のない人にとっては苦痛でしかないので)私の狩猟HPで更新することにします。

ただ狩猟について1つだけいえること、それは

音1つしないツンドラの上、寂寞感極まる場所にじっと待ち、
凛とした面持ちで冷たい冷寒な川を、その命をつなぐために
必死に渡っているカリブーたちの生命を絶とうとする行為は、
我々自身をカリブーと同化させてしまうような
とても言葉では表現できないような魂の揺さぶりを伴うものであるということ。

人はどんなものでも良いから「自分以外の世界の何か」に対して
ある種の尊敬がなければ、生きてゆけないと思います。
いわば、一種の宗教であり誰にでも存在しえるもので、
それが自分の目標となり、明日を生き抜く力になるんじゃないかと。
そう言う意味で、カリブーをはじめとする動物は完璧な存在です。
そして自然や動物を自分の宗教にすると裏切られたりすることはなく、
だから我々自然系の人間は野外で落ち着くのかもしれません。

さて、

カリブー3頭分の肉と角をどうやって運ぶか?
人間×2+αしか乗れない小さな飛行機ハスキーなので
もしかしたら角は、置いて帰らなければいけないかも・・・などと
思案していると、ジョンの一言。

「カリブーの角は、非常に尊重すべきものだ、だから全部持って帰ろう」

こうして2つ目の夢、

「カリブーの角を翼下に付けて飛ぶ」

が現実となった。
翼に付けるまだベルベットの剥がれていない、さわるととても心地のよいカリブーの角を見ると確かに持って帰りたくなる、
しかし・・・本でしか見たことのない世界だし、
さて右と左のどちらに付けたらよいものか・・
飛行機の翼を支えるステーにどうやってくくりつけるのか、
やってみなければわからないけれど、チャレンジの価値はあると思った。

知恵の輪を解くのと反対の手順?で巨大カリブーの角を
ステーにしっかりくくりつけてダクトテープでぐるぐる巻き&ワイヤーで補強。
そして肉も後席のシートに沢山(約100kg分)積み込む。
こんなんで本当に離陸するのか??と思いつつ
出力最大で河原を飛び出すと、意外に簡単に飛行機は浮揚した。
きっとハスキーの余剰エンジンパワーのおかげだろう。

しかし巡航中は、常に機体が横滑りを起こし、
まっすぐ飛ぶには、常にラダーとエルロンの操作が必要であった。
それに悪天のツンドラ地帯を超低空で飛ぶ恐怖。こういうときに限って
雲は低く視程は最悪だ。

そして着陸。

Happy Valley上空で地上風をチェックすると、とんでもない横風が右方向から。
10kt以上の右横風成分はあるな・・・角を試しに右翼下に付けて飛んできた俺は
かなり真っ青状態になり(理由は、説明が難しいのでそういうもんだと思ってください)言葉で表せば、超強行危険パワーランディングを決行したのでした。
飛行機が右に振られ、右に付けた角が右に曲がる力を作り・・・・ラダーをけっ飛ばす足に履いているのは、ニセコのスーパーで買った580円のサンダルで足首に力が入らずつらい。

無事着陸とは言い難い接地であったが、角も肉も飛行機も無事であった。
たぶん、あの着陸は一生の中でもっとも力業の着陸だったに違いない。

角を付けた機体を無事にHappy Valleyに持ち帰ったとき、周囲の賞賛の声が
あがっていたことをあとで聞いたとき、
これで自分もブッシュパイロットになったのだ
という安堵と歓喜の気持ちでいっぱいになったのだった。

さて、あとは河原に一人残るジョンの回収のみだ。

2009年8月26日水曜日

極北カリブー猟(酒運び屋)

そもそも今回の狩猟は、「飛行機でしか行けない場所でカリブー猟を」
というのがひとつの大きな趣旨だ。

ブッシュパイロットという肩書きを考えると、その仕事の頂点に立つのがハンティングブッシュパイロットである、という私自身の思い込みと&あこがれから今回のカリブー猟の話は始まった。それを聞いた自然派自由人のアメリカ人ハンター友人の二人が、「湯口が飛行機を出すなら行こうじゃないか!」ということですべてが決まったのである。

僕と友人二人(ジョン、ヨシ)は、フェアバンクスから車で8時間、飛行機で4時間かかるHappy Valleyというすてきな名前の飛行場で落ち合うことにした。ブルックスレンジの1つの峠AtigunPassを越え、北極海までどこまでも水平に広がるツンドラに位置するHappy valley飛行場には、どこからともなくカリブーハンターが集まる。そこからブッシュパイロットとして友人と大量のキャンプ道具をハスキーに積み込んで、離陸するのである。我夢にまで見た光景がここにあった。目指すは、カリブーが横断するイビシャック、エチューカ川の誰も近づけないウイルダネス。ジョンと空中で話し合った結果、着陸場所が決まる、場所は幅1マイルほどもあるイビシャック川のほぼ全幅を移動できるおおきな砂利の中州。着陸重量、風、接地面の状況を何度も自分の頭の中で反復計算して、どのぐらいの距離で降りられるか、着陸やり直しのタイミングはどこか?、ファイナルの速度と着陸パターン、降下プロファイル、接地方法などを決定する。飛行場ではない野生の場所に降りる場合、いわずもがな失敗は絶対に許されない。だからすべては自分の責任の下に行動を決定する。それがアラスカでブッシュランディングをするものの唯一の決まり事である。だがこれは「失敗することも自分の責任において許される」と解釈もできる。ちなみに日本では、ブッシュランディングは許される行為ではない。失敗することすら許されない(やってはいけない)のが我が国の方針である。

一度、テスト着陸をおこなう、着陸場所の中州にタイヤを接地、転がすことを数秒・・・様子を見、そしてふたたびエンジンを最大出力にして離陸。数秒の間に29インチのタイヤから伝わる接地面の状態を体で感じて、それを着陸可否の判断材料にする、結果はGO。すぐにエンジンパワーを高度に変換し、オーバル360パターンを作る。地上風は右斜めから10ktほど、500ft上空では少し増えていることがパターンのズレでわかり偏差修正。通常の飛行場と違い、自分で着陸方向とパターンを決める場合、あらゆるパラメーターを統合して瞬時に判断決定しなければならないこの作業は、誰も規制しない地上ウイルダネスにおける行動決定術に似ていて、非常に自由である反面、求められる経験と能力は高い。最終進入経路をつくり、飛行機のドラッグをエンジンパワーで釣り合わせる、アイドルにすればすぐに失速する絶妙なバランスのもと、いつもより浅い進入角度、接地点のエイミングを川と中州の境界にあわせる。水上でパワーを絞りつつ、その結果として表れる飛行機の沈下率をピッチコントロールで相殺、翼上面に流れる空気の層が、剥がれてくれないことを祈りつつ失速の前兆である操縦桿のシェイク(小刻みな揺れ)を感じる。早く降りてしまえば川の中、遅く降りてしまえば中州で止まれずオーバーラン。ピンポイントで飛行機を接地させる技術は、戦闘機のランディングによく似ているが、こちらは設備のない極北の原野、やっていることの意味そのものが違う。こうやってギャンブルにも似た大地とのファーストコンタクトを操縦桿の微妙な操作で形作り、その後、タイヤと砂利のザザッザ・・という感触が機体を通して自分に伝わってくると次第に速度はなくなり、飛行機は停止する。
エンジンを止めてコックピットのドアを開ければ、あとは極北の大自然が待つのみだ。

その後、無事にジョンとキャンプ道具、ライフル2丁を降ろした後、もうひとりの友人、ヨシを迎えにHappy Valleyに戻る。
2回目の着陸も無事に終わり、すべての荷物を降ろし終わると安堵のひとときが待っている。だれも降りたことがないであろう場所に人間二人とハンティング道具を降ろしたんだ、という達成感。これぞブッシュパイロット至福の時。

と、、そこで・・

ヨシが数少ないビールを手にとって、
「そういえば、、、ビールこれじゃ足りないかも・・」と言う。

ジョン「そうだな・・こんなよい景色、よい場所で酒がこれだけでは・・」

俺「全部、持ってきたんじゃなかったの??」

ヨシ「いや、、飛行機の重さのことが気になって、ビール6本とウイスキー1本、クーラーボックスの中に置いて来ちゃったんだ」

ジョン「酒は重要だな・・・いってくれるか?」

俺「・・・酒を取りに帰るだけのブッシュパイロット・・・おもしろい、いくよ」

そうして酒運び屋としてクーラーボックスごとハスキーの後席にくくりつけて三度、ハンティングキャンプに舞い戻る気持ちは学生時代、冬の岩木山頂上から日本酒だけを買いに下山後、また夜間登頂するという愚行に通ずるものであったが、そういう所業は将来の糧になることも知っている次第、どんなことも楽しければよいのである。人間を幸せにする液体をHappy Valleyから運んだという幸福感、これまたブッシュパイロット冥利に尽きるものだ。

極北カリブー猟(酒運び屋)

そもそも今回の狩猟は、「飛行機でしか行けない場所でカリブー猟を」
というのがひとつの大きな趣旨だ。

ブッシュパイロットという肩書きを考えると、その仕事の頂点に立つのがハンティングブッシュパイロットである、という私自身の思い込みと&あこがれから今回のカリブー猟の話は始まった。それを聞いた自然派自由人のアメリカ人ハンター友人の二人が、「湯口が飛行機を出すなら行こうじゃないか!」ということですべてが決まったのである。

僕と友人二人(ジョン、ヨシ)は、フェアバンクスから車で8時間、飛行機で4時間かかるHappy Valleyというすてきな名前の飛行場で落ち合うことにした。ブルックスレンジの1つの峠AtigunPassを越え、北極海までどこまでも水平に広がるツンドラに位置するHappy valley飛行場には、どこからともなくカリブーハンターが集まる。そこからブッシュパイロットとして友人と大量のキャンプ道具をハスキーに積み込んで、離陸するのである。我夢にまで見た光景がここにあった。目指すは、カリブーが横断するイビシャック、エチューカ川の誰も近づけないウイルダネス。ジョンと空中で話し合った結果、着陸場所が決まる、場所は幅1マイルほどもあるイビシャック川のほぼ全幅を移動できるおおきな砂利の中州。着陸重量、風、接地面の状況を何度も自分の頭の中で反復計算して、どのぐらいの距離で降りられるか、着陸やり直しのタイミングはどこか?、ファイナルの速度と着陸パターン、降下プロファイル、接地方法などを決定する。飛行場ではない野生の場所に降りる場合、いわずもがな失敗は絶対に許されない。だからすべては自分の責任の下に行動を決定する。それがアラスカでブッシュランディングをするものの唯一の決まり事である。だがこれは「失敗することも自分の責任において許される」と解釈もできる。ちなみに日本では、ブッシュランディングは許される行為ではない。失敗することすら許されない(やってはいけない)のが我が国の方針である。

一度、テスト着陸をおこなう、着陸場所の中州にタイヤを接地、転がすことを数秒・・・様子を見、そしてふたたびエンジンを最大出力にして離陸。数秒の間に29インチのタイヤから伝わる接地面の状態を体で感じて、それを着陸可否の判断材料にする、結果はGO。すぐにエンジンパワーを高度に変換し、オーバル360パターンを作る。地上風は右斜めから10ktほど、500ft上空では少し増えていることがパターンのズレでわかり偏差修正。通常の飛行場と違い、自分で着陸方向とパターンを決める場合、あらゆるパラメーターを統合して瞬時に判断決定しなければならないこの作業は、誰も規制しない地上ウイルダネスにおける行動決定術に似ていて、非常に自由である反面、求められる経験と能力は高い。最終進入経路をつくり、飛行機のドラッグをエンジンパワーで釣り合わせる、アイドルにすればすぐに失速する絶妙なバランスのもと、いつもより浅い進入角度、接地点のエイミングを川と中州の境界にあわせる。水上でパワーを絞りつつ、その結果として表れる飛行機の沈下率をピッチコントロールで相殺、翼上面に流れる空気の層が、剥がれてくれないことを祈りつつ失速の前兆である操縦桿のシェイク(小刻みな揺れ)を感じる。早く降りてしまえば川の中、遅く降りてしまえば中州で止まれずオーバーラン。ピンポイントで飛行機を接地させる技術は、戦闘機のランディングによく似ているが、こちらは設備のない極北の原野、やっていることの意味そのものが違う。こうやってギャンブルにも似た大地とのファーストコンタクトを操縦桿の微妙な操作で形作り、その後、タイヤと砂利のザザッザ・・という感触が機体を通して自分に伝わってくると次第に速度はなくなり、飛行機は停止する。
エンジンを止めてコックピットのドアを開ければ、あとは極北の大自然が待つのみだ。

その後、無事にジョンとキャンプ道具、ライフル2丁を降ろした後、もうひとりの友人、ヨシを迎えにHappy Valleyに戻る。
2回目の着陸も無事に終わり、すべての荷物を降ろし終わると安堵のひとときが待っている。だれも降りたことがないであろう場所に人間二人とハンティング道具を降ろしたんだ、という達成感。これぞブッシュパイロット至福の時。

と、、そこで・・

ヨシが数少ないビールを手にとって、
「そういえば、、、ビールこれじゃ足りないかも・・」と言う。

ジョン「そうだな・・こんなよい景色、よい場所で酒がこれだけでは・・」

俺「全部、持ってきたんじゃなかったの??」

ヨシ「いや、、飛行機の重さのことが気になって、ビール6本とウイスキー1本、クーラーボックスの中に置いて来ちゃったんだ」

ジョン「酒は重要だな・・・いってくれるか?」

俺「・・・酒を取りに帰るだけのブッシュパイロット・・・おもしろい、いくよ」

そうして酒運び屋としてクーラーボックスごとハスキーの後席にくくりつけて三度、ハンティングキャンプに舞い戻る気持ちは学生時代、冬の岩木山頂上から日本酒だけを買いに下山後、また夜間登頂するという愚行に通ずるものであったが、そういう所業は将来の糧になることも知っている次第、どんなことも楽しければよいのである。人間を幸せにする液体をHappy Valleyから運んだという幸福感、これまたブッシュパイロット冥利に尽きるものだ。

2009年8月25日火曜日

極北カリブー猟








「こういう場所が夢だったんだ」

一緒にカリブー猟にいった友人がそう言った。

場所は、北緯70度付近Brooks 山脈の北、北極海へ流れこむイビシャック川上流部。
ハスキーをなんとかひねりこんで降りた狭い河原に3人で佇む。
ここはカリブーの徒渉風景が、普通に見られる場所。

規定により飛行機を使った猟の場合、翌日からの行動開始となるので
ブッシュプレーンで到着したばかりの我々にできることは、
テントを設営したあとに食事をしながら、我々の目の前にいる
カリブーの群れが徒渉するのをじっくり観察することだけだった。

そのカリブーの数、数時間で100頭以上・・・

川の水の冷たさが、渡る前と渡った後のカリブーの動きでよくわかる。
躊躇しながら、
それでも川に飛び込み、
必死に泳いで対岸でブルブル震えるそのしぐさ。

こうして何時間も彼らの行動を眺めていると、
何のためにカリブーが移動しているのか、わかるような気がしてくる。
凍死してしまいそうな川の冷たさを克服する理由の何かが
南の移動先にはあるのだろう。

もう一人の友人が、冷え込んできた夜に
「大地へ・・・」と言いながら
持ってきたウイスキーをすこし、地面に垂らした。

「カリブーは大地から頂く恵みだ。
我々はカリブーに最大限の敬意を払いつつ、明日からの出猟に臨もう」

ブッシュパイロットとしてハンティングに同行している自分にもすこし、
そのことの意味がわかるような気がした。

8月12日夜、ブルックス山脈の頂はすでに真っ白になっていた。

2009年8月11日火曜日

長距離・飛行旅から帰還

フェアバンクスからノームを超えてWalesへ、
そしてベーリング海を見ながら南下してユーコン川河口へ行き、
そのままおおむねユーコン川を遡上してフェアバンクスに戻ってきました。





総飛行距離:3800km
着陸した箇所:27のアラスカン・ネイティブ村
宿泊:すべて翼下のテント泊(6泊)

今回の飛行旅は、単独飛行だったので
訪ねた村々、いろんな人々に出会い、助けられたりしました。

人口わずか数百人程度のアラスカ先住民が住む村へ
小さな飛行機で、しかも日本人がやってくるのですから、
けっこういろんな人に声をかけられたりするのものです。

とくに子供は印象的でした。




回った村々のエスキモーのこと、インディアンのこと
ベーリング海の青さ、この足で歩いたツンドラ大地の感触、
大山火事の中うっすらと見えるユーコン川の形だけを頼りに飛んだり、
悪天の中、離陸、洋上ギリギリを飛行して、
やっと対岸にたどり着いて安堵した思い出など、
これまで体験した中でもっとも厳しい飛行という観点では
アラスカの空を十二分に冒険してきたと思える旅でした。

装備、経験、そして知識・・・
アラスカの自然は厳しく、あらゆる力がなければ
どんな種類の旅でも単独でのそれは厳しいものだと思います。

しかしそれだけに、やりがいも達成感も格別ではあります。



また明日からブルックスの北へ飛びに行きますので
更新はその後で。

p.s.書き込みに対する返事などできなくてすみません。
ネット環境が悪いのと、旅先ではまずネットができないので
本当に記事を更新するだけが精一杯な状況です。
こんな感じが今しばらく続きます・・申し訳ありません。

2009年8月2日日曜日

周りすべてが燃えている

翌朝、サークルを離陸してユーコン川沿いを南下、イーグルという町へデータ取りへ。離陸前、サークル飛行場で消火活動支援にあたっている人に火災の場所を聞くと

「この周囲すべてよ、飛行するなら気をつけて」

と言われる。まったく参考にならない答えだなと思いつつ、消火活動している人としては本当にそれほど絶望的なんだろう、、と少し解釈してみたりする。
離陸後、サークル上空を旋回しながら八戸さんは撮影、自分は山火事の状況把握。

<概略火災分布状況>

1.サークルの南
2.サークルとセントラルの中間
3.セントラルの少し向こう側
4.ユーコン川を挟んで北側に大規模

南へ進路を取りユーコン川を下る。


途中、ユーコン川のほとりが燃えていた。
もう、どこもかしこも火災だらけである。
これは自然界の必要悪か?と思いつつ、だんだんそれを受け入れる自分がいた。以前、吉川教授はこんなことを言っていた、

「村に関係ない山火事はFire Fighter(消火隊)も消さないことがおおいんだよ」

その理由は聞かなかったがなんとなくわかるような気もする。

そういえば、、
森林火災を消火するFire Fighter隊員と昨日、夕方サークル村の食料品店前で出会った。彼ら5人は、汗混じりの灰で汚れた緑と黄色のユニフォームで食料の買い出しにトラックの荷台に乗ってやってきた。その薄汚れた容貌は消火作業の過酷さを知るには十分すぎるものである。そして、なかには背の高いサングラスをしているポニーテールの女性がひとり混じっていた。

俺:「皆さんは、森林火災消火隊(Fire Fighter)の方ですか?」

隊員男性:「そうです、消火作業をしています」

俺:「この周囲、本当に山火事がひどいですね」

隊員女性:「ええ、特にユーコン川の北がひどいわ」

その後、隊員たちは凛とした振る舞いで整列気味に目の前に立ち並び、
ちょっとその状況に私は、少したじろいでしまった。
この目の前に並ぶ5名の威風堂々とした感じ。
なんか私に言葉を期待しているような、そんな感じにもとれる。

いままでの村人とは、明らかに何かが違う雰囲気、なんだろう・・・そうだこの人たちには、なにか漂うプライドというか自分のやっていることに対する自信、いや、、、周囲からの尊敬に起因する誇り、そう俺たちが完全に失ってしまっているものを身にまとっているような気がした。
それは以前、日本の兵隊だった自分だからわかる命を賭すものの誇りにも似ているのだけれど、もちろん日本の兵隊さんは、誰にも感謝されていないから自分が彼らに対してちょっとたじろいだのも頷ける。つまり彼らは文句なくかっこいいのだ。

「戦争しない国の戦闘機パイロットのどこが命をかけているというのか」

と冷たく罵られることもあるのだが、
それが敗戦国における兵隊の扱いである仕方がない。
まあどんな状態でも、とにかく平和であれば良いのだから。

などと昔を思い出しながら火災域を飛びつつ、写真をたくさん撮ってきた次第。
よくない言い方かもしれないが、空中至近距離から見る山火事は美しくパワフルな威光があった、それはその他の自然現象となんら変わるところなく、いやそれ以上に見とれてしまう強さがあった。







そしてフェアバンクスへ無事、帰還。

あれれ・・・

フェアバンクスも煙の中、目とのどが痛い!

また明後日からベーリング海へ旅立ちますので10日ほど、留守にします。

では!

突入、煙の中へ

FortYukonの朝を迎えた後は、一路東の人口百名ちょっとの小さな村「Chalkyitsik」(チャルキーチィック?読みにくい)へ。聞いたこともない名前の村への訪問は、実にドキドキするものだ。しかしながらこの村は、データ取りを終えて村を一周しただけなので印象は薄かった。でも、これがなかなか雰囲気は悪くなく、こぢんまりした小気味よい村であった。

Chalkyitsikを離陸後、南の給油地点「Circle」(サークル)を目指す。この村は過去に3回、訪れているので本当に補給だけ・・という感じなのだが、しかし今回はそう簡単にはいかなかった。ChalkyitsikからCircleへの直線距離上で、またもや山火事の発生である。当初は、視界が悪いなぁ・・・と思いながらごまかして飛び、上昇して火災域を俯瞰しようとおもったのだが、いっこうに煙が切れることなく、状況はさらに悪くなり次第に自分の周囲360度が真っ白、、、気がつけば、右に30度、上方に10度ほど飛行機が傾いていた。「おお、久しぶりにバーディゴ(空間識失調→要するに上下左右感覚がなくなること)だ!!」と喜んで早速計器飛行に切り替えて飛行機の姿勢を正すとともに、これ以上進むのは危険と判断して180度回頭、まずは来た空路に戻ることを決心。なにかおかしいことになったら、戻るのが一番。「これ、自然界とつきあう時の大原則」だ。

後席の八戸さんも「なんだかすごく煙臭いね」
とちょっと危惧している様子。

そういえば、気球はこういうとき飛ぶのだろうか?と聞いてみると、

「飛ばないですよ、でも山火事の上を飛んだらどこまでも高いところにいけるだろうなぁ・・・」

とちょっとメルヘンティックな回答、なるほど。

火災域は、半径15マイルほどだろうか。
西へ迂回ししてユーコン川沿いにサークルを目指す。さすがに大河の上までは火はこないだろう。

そして約40分、目的地サークル上空へ。
サークル上空からユーコン川をまたいで北を見ると、先ほど突入しかけた山火事の中心部があった。
中心部から煙は北へ向かっていたので、どうやら進路を南に取っていた我々に直接影響したようだ。
あのまま、進んでいたらあの火の中心部で丸焦げか、呼吸困難か、猛烈な上昇気流で死んでいただろう。
八戸さんにそのことを話すと、それほど驚いていない様子。さすが世界中を気球で飛びまくっているだけのことはある。
今年の春は日本アルプスを気球で飛び越えたというのだから恐れ入る。
八戸さんにはもっとすごいスリルが必要なんだなぁと思ってしまった。

煙の低視程の中、サークルへ着陸。
八戸さんに誘導してもらいながら普通の道路をガソリンスタンドまでハスキーで進む。
八戸さん、さすがに道路(しかも砂利道)を飛行機が移動する光景に非常に驚いている様子。
たしかに日本では一般道路を走る飛行機は、まず見られない。けれどここは飛行機天国のアラスカ、何でもありである。
(というかガソリンスタンドのおばさんに「ここまで来い」と言われたのだから仕方がない)

給油後、ユーコン川のほとりにテントを張って大河の見える場所から、ゆったりとビールを飲む。
つまみは、さっき押し売りに来たインディアンおばちゃんから買った10ドルのユーコン・キングサーモンのスモーク(いわゆる鮭とば)である。ユーコン川のキングサーモンは脂がのっていて非常にジューシーでうまい。かぶりつくと脂がべっとりと指にまとわりついて、それがさらに食欲を増進しビールがすすむ。食べればわかるが鮭というよりは、鰤(ブリ)のような味わいである。これもインディアン村を回る旅人ならではの贅沢。
八戸さんと明るい深夜のなか、ビール12本を飲み干して、ユーコンの流れにつかるように眠った。

グイッチン族の村へ

初日の山火事の驚きを隠せないまま、最初の村「Venetai」(ベネタイ)へ。Venetaiは、内陸アラスカ〜カナダ先住民である「グイッチン」族の村である。村に関する話は、見たり実際体験したり、知人から聞いたりしたことが山ほどあるのだが、それについては今後に譲るとして・・

Venetai飛行場に着陸後、前回、紹介したトンネルマン吉川教授の協力として永久凍土のデータ取りのために村の学校へ。途中すれ違う村の人々数名は、非常に無愛想で他者として我々(八戸さんと私)を見ているのが手に取るようにわかる。一人、上半身裸で散歩をしていた男性には、「なぜ村にきた?、誰かの紹介はあるのか?、すぐに帰るのか?」など実にいろんなことを事細かに聞かれ、事前に聞かされていたこの村の特徴そのままの体験をしたのであった。要するによそ者には厳しい。それも当然、人口数百人の村に突然知らない顔が来たのだから。データ回収という用事を済ませた後、写真も撮らず飛行場へ戻り早速離陸。八戸さんもかなり驚いた様子であった。

次の目的地は、ユーコン川中流域のハブの村であるFortYukon(フォートユーコン)へ。

FortYukonまでの30分間飛行中、地上には一目で湿地帯とわかる無数の三日月湖が存在していた。その中の一つにはどこから集まってきたのか、流木の集積帯があった、すごい流木の数。決してこの三日月湖はユーコン川の本流につながっていないので、この流木たちがどこから来たのか本当に不思議であった。




そしてFortYukonへ。

FortYukonの町は、Venetaiと同じグイッチン族の村とは思えないほど、みんな明るく声をかけてくれた。
今夜は、ここで泊まる予定なのでなんだか嬉しく安心。
八戸さんと村を少し歩いた後、ガスステーションに隣接する店でジャンクフードとポップ(炭酸飲料)を買い食いする。
山火事の中をずーっと飛んできたせい?か、のどが渇いていたのでコーラがうまい。
町の雰囲気は、まあ写真の通り。あいかわらずホコリっぽい。
ガソリンスタンドのおばちゃんに山火事の件を聞いたところ、北に2つ、西に1つ、今日はまだ煙が少ない方だ
とのこと。明日以降の飛行で気をつけねば、、としばし思う。


疲れて眠いので、飛行場に戻りハスキーの横で仲良く両翼下にテントを張って就寝。八戸さんは、「飛行機の横でキャンプができる!」と、はしゃいでいる。外は明るく若干蒸し暑いが、ぐっすり眠る。八戸さんは、村人が深夜までバギーをガンガン走らせている音と明るい外が気になって眠れなかったそうだ。そう、これがネイティブ村キャンプの洗礼なのです。