2009年10月30日金曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(3)




フェアバンクスからガレナまでは、約3時間。
1時間かけてなんとかユーコン川上空8000ftまで
這いだしてきたのだが、

これが、いかんともしがたい
雲上飛行、いや煙上飛行。
地上が見えない。

しかし、
アラスカを分断してひたすら西へ延びるユーコン川を進めば
この森林火災が原因の煙も、消えてなくなるだろうという読みは
当たっていて、ユーコン川沿いのルビーという村付近では、
(ガレナから数十マイルの場所)では、
すでに地上が視認できるようになっていた。

ちょっとした冷や汗をぬぐいながら急下降する。

「よかった・・何とかなりそうだ」

地球環境をテーマにした吉川教授のデータを
まずは取りにいけそうだ、という
安堵感が体を急に汗から遠ざけてくれる。

それにしても大自然の現象に、
俺はいつも振り回されてばかりだ、世間は
人類が自然を壊すことを心配しているが、
俺にとっては、自然は本当に怖いものだという
畏怖の念でいつも一杯である。

ユーコン川上空を降下する
まだ、煙の名残はかなり残っているうえに、
川ののっぺりした地形が、またしても上下感覚を奪い、
まったく飛びにくい。
仕方なく螺旋(らせん)降下をあきらめ、楕円降下に変更。
これだと直線距離が増えて、感覚の立て直しが可能になる。
連続した心身への負担は、飛行の大敵である。
できるだけ楽をするべき所は、抜く。
これは厳しい環境下で生き延びる秘訣だと思う。

ユーコン川直上、1000ft。
ガレナの村に近づくと
この村の規模には不釣り合いな巨大滑走路が見えてくる。
冷戦時代の名残と思われる軍事基地なみのアスファルト滑走路は
ユーコンとの不釣り合いさを伴って
村の中央に居座っている。



しかしこんな景色を見る自分とは裏腹の、
ひとまず森林火災の煙から無事脱出して
給油が出来る・・という安心感はよいものだ。
非常に苦しい状況を耐え抜いた後の安堵感は、
知る人ぞ知る究極の幸福感でもある。

よし、これでベーリング海までは進める。
海を見るのが楽しみになってきた。

2009年10月28日水曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(2)

雲上飛行

戻るか、雲上に出るか。

通常、森林火災の煙はある程度の高度までしか届かない。
だからその上まで上昇してやれば何とかなるものだ。

濁ったユーコン川上空から煙の隙間を探す。
煙か雲か分からない隙間から
少しだけ青い空を垣間見ることができた。

エンジン出力をあげて、上昇開始。
雲の隙間をめざす。

周囲の索敵、レーダーサイト周波数のモニター
速度、姿勢の保持・・・前方の天候確認。
やるべきことをやりながら判断材料を探す、
これがパイロットの仕事だ。

高度8000ftでやっと煙の上にはい上がる。



眼下の地上は、何も見えない。西向かいである前方に
煙の切れ間が出てくるのを祈るしかない。

最初の目的地、Galena(ガレナ)まであと2時間・・・

2009年10月27日火曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(1)

2009年8月上旬
アラスカの北部中心都市フェアバンクスから西へ
北米大陸最西端のwales(ウエールズ)を目指す。



2009 8.3
Fairbanks→Galena


離陸時の天候、フェアバンクスは視程悪く
コマーシャルの定期便ですら着陸を見合わせる状況。
安全上、飛行は中止にしたいところだが、
この悪視程は、フェアバンクス周辺の山火事が原因であり
長期にわたって回復の兆しはない。
ただし、西へユーコン川を這って進めば、
次第に山火事の煙からは遠ざかることが出来るし、
川の上には障害物がないから自分の姿勢さえ
把握して飛べれば何とかなる。

飛行以外のことにも言えるのだろうが、
何かのミッションであることと、
単なる趣味であることの違いがここにある。

今回は、アラスカの村を回ること、プラス
永久凍土の温度分布を測定している装置の回収という
アカデミックな作業が課せられていた。
これは、アラスカ大学で永久凍土の研究をしている
吉川教授との共同ミッションである。

なにかをやろうとしたとき、
理由を付けて「できません」というのは簡単だ。
飛び出すのに不都合な理由を押しのけられるような「何か・・」
趣味ではなく人生の一部を捧げられるようなミッションを
個人が持ち得るかどうか。


フェアバンクスの西、小さなプライベート飛行場から
スペシャルVFRクリアランスをリクエストして、
ユーコン川へ出る。


ユーコンの南、ネナナ地区の燃え方がひどい。
煙は大地を覆い、風向きによってどの場所でも
視程はゼロになってしまう可能性がある。

ひとまずは、高度2000ftでも飛行可能であったハスキーであったが、
次第に高度300ftまで下がらなくては、
飛行に十分な視程が確保できなくなってくる・・・
旋回すると、確実にバーディゴに入る。
こんな状況は戦闘機時代以来、初めてだ。

戦闘機では、バーディゴというのは普通な感覚だ。
上半身をむき出しのコックピットだからちょっとした雲に入っても
姿勢が分からなくなることが多々ある。
だから実に懐かしい感覚、むしろ嬉しいような気もしたが・・

姿勢指示器で自分の姿勢を確認する、
外の風景では姿勢が確認できない。
このままではいくら障害物のない川の上でもあぶない。

頭の中での選択肢・・・戻るか、上昇するか。
思考の瞬間もハスキーは進み続ける。

2009年10月23日金曜日

2009アラスカ飛行を終えて

駆け足で、アラスカフライト後半、
ニコライまでの報告をして
まだアラスカで飛んでいる雰囲気でしたが、
実はすでに帰国しています。


帰国して2週間、やっと落ち着いたという雰囲気ですが、
今後はまだ紹介し切れていないアラスカ飛行シーンなどを
徐々にUPしてゆきたいと思います。


あと、お気づきかと思われますがこのブログ、タイトルが変わりました。


「アラスカの大空へ」


いままでは、北海道の自然というタイトルも入っていたのですが、
今後はこのブログとは独立させたブログとして


「HOKKAIDO +OUTDOOR」
http://ak-niseko.blogspot.com/


で紹介することになりました。
北海道のアウトドアに興味がある方は是非ご覧ください。


またアラスカと北海道に関する狩猟のブログも


「北海道&アラスカの野営的狩猟日記」
http://ezodeer.blogspot.com/


で発表中です。
こちらは自然をより理解するために狩猟は不可欠という
自身の考えのもと、狩猟に関する日記を掲載しています。

2009年10月22日木曜日

Nikolai Stay(2)

アサバスカン・インディアン達とのパーティのあと、 11時に寝た俺は、翌朝の9時まで数回起こされることになった。 
自宅だけでは、飽き足らないダニエルが、よその家に飲みに行ったり、家に戻ってきたりと、なんどもバタバタ騒いで家に出入りしたためだ。  
完全に酒に飲まれてしまっているダニエル。 
ネイティブ・アラスカンが酒を呑むと収拾が付かなくなるという話は聞いていたが、普段は非常におとなしくて口数の少ない紳士的ハンティングガイドである彼が、まさか!そうなってしまうとはとても信じ難い。  


朝六時、とうとうダニエルは俺の寝ている部屋のドアをノックしてきた。 
どうやら朝まで飲み続けていたらしい。 


ダニエル「今日の11時に戻ってくるから、待っててくれブラザー、その後ハンティングにいこう!」  


といって彼は家を出て行った。 まだ眠かった俺は、「OKだ」とだけ返事をしてまた寝袋をかぶった。
居間で寝ているヘレンは、きっとほとんど眠れなかったはずだ、ダニエルは居間で友人達と騒いでいたのだから。  


そして朝、9時起床。居間にいくとダニエルはいなかった。 
ヘレンさんが、起きてきてちょっと濃いめのコーヒーを入れてくれる。  
二人で庭に出てコーヒーを飲みながら、ダニエルがうるさかったこと、眠れなかったこと、そして目の前を流れるカスコクイム川の音がクワイエットで良いね、という話をした。
村の朝は、ほとんど音がしない。かすかに聞こえるのは、発電機の運転音だけだが、ネイティブの人たちは朝起きるのが遅いという理由も経験的に知っている。  
それにしてもダニエルは、いつ帰ってくるのだろう?そもそもどこにいったのだろう?村の人口は、100人程度でそう大きくはない。何処に行ったってすぐに戻ってくるはずだ。  


ヘレンさん「イサオ、ダニエルはしばらく帰ってこないわよ」  


俺「どこに行ったのですか?」  


ヘレン「飛行機で30分かかる隣の村に定期便で酒を飲みに行ったのよ、朝出かけたのはそれ、だからたぶんしばらくは帰ってこないと思うのよ・・本当にしょうがない人!ガイドのお金が入ったらすぐに、お酒を飲みに行くんだから!」  


俺「じゃあ、今日のハンティングもなし?」  


ヘレン「そうね、だからあなたもうフェアバンクスへ戻った方が良いわよ、じゃないと何日も無駄に待たされてしまうから」  


11時の約束の時間になっても、ダニエルは戻ってこなかった。 その後、数時間待ってみたがやはり彼は帰ってこない。 しかたなく俺は、ダニエルとハンティングという目的を達成しないまま、フェアバンクスへ戻ることになった。  


ヘレン「ごめんなさいね、でもこれに懲りずまた来年も来なさいね」  


俺「お金がない時なら、ダニエルもまた良いハンティングガイドに戻るかな?」  


ヘレン「その通りだわ、来年は8月の上旬に来なさい、待っているわ」  


ひとりフェアバンクスに飛行する悲しさは、なんとも言えなかったが、これもまたひとつの面白いストーリーだろう。「ネイティブ・アラスカンと付き合うには根気がいるのよ」と誰かに聞いたことがある。ダニエルが、なぜ約束を守らず酒を飲みに行ってしまったのか、それは分からないが、とにかく一年そこそこで彼らと仲良くはなれないということなんだろう。 気長に、何年もかけて付き合ってゆこうと心に誓ったのであった。 そしてこれは今年アラスカ最後の飛行で、最後のエピソード。  


p.s. 
フェアバンクスに戻り数日後、ニコライにいるはずのダニエルに電話をしてみた。 彼はお金が無くなり、ニコライに戻ってきていた。いつ戻ったのかと聞いたら、あの日の二日後、と言うことであった。あのまま待っていれば二日間待たされていたことになる。 また、ハンティングキャンプに残されていた両親は、無事にブッシュパイロットが来てニコライに戻ったとのことだった。唯一心配だったご両親のことをこのときに聞いて安心した。 酒はもうやめたと電話でいっていたダニエルだが、また来年もカネが出来れば飲むだろう。 それでもまた来年も辛抱強くニコライに行くつもりだ。 じっくりとじっくりと。 それがアラスカでの人とのつきあい方だから。

2009年10月21日水曜日

NIkolai Stay(1)

デナリの西麓からニコライ村へ戻った俺は、 
ダニエルの家で、お世話になることになった。  


ダニエルはアサバスカン・インディアンであり、
要するに俺は 先祖代々ここに住むネイティブ・アラスカンの家にお世話になるわけだ。このことは外国人である自分にとっても、かなり珍しいことに他ならない。 日本人でアラスカにやってくる人の95%は、ネイティブの人たちの家に 泊まったことはないだろう。もしあったとしても、お金を払ったり、もしくは 違うルートで事前交渉しなければ、なかなか村の人たちは受け入れてくれない。それほど、ビジターとしてネイティブ村の家に泊まるということは難しい。  


いままで100近いネイティブ村に飛んだことのある自分としては、 
フレンドリーであり、また受け入れ難くもある場所・・それがネイティブ村の印象だ。  


さて、カスコクイム川が正面に見える丘に建つダニエルの家に入る。 家の外観は、中規模平屋のログハウス。南東向きに風除室があるのは なんだかニセコに似ている、ここも冬に北西の風が吹くのだろうか。 風除室に、散弾銃と古くなったライフルが4丁、無造作に立て掛けられている。 カリブーとムースの角と、何か分からない毛皮が壁につるしてあり、 一目でハンティングに関係する人が住んでいることが分かる。  


案内されて居間に入ると、中年の女性が挨拶してくれる、ヘレンさんという名前のダニエルのいとこにあたる人だ。ダニエル一家(正確に言えば、ダニエルのお父さん一家)がハンティング・キャンプにいる間、家の世話をするお留守番というわけで、俺が泊まる晩の食事を作ってくれた。  居間には、テレビと食卓テーブル、そしてベッドがひとつ。 ソファや生活道具が、これも微妙に片付けられた状態で並んでいる。 壁には、ロシア正教のものと思われる肖像画が数点飾られており、 信仰の厚さを感じられる・・と思いきや、食事の風景などを見ていると そうでもなさそうな雰囲気である。あの食べる前の儀式はなかったのだから。  


ダニエル「今日はお疲れさま、ニコライまで戻って来てくれてありがとう、明日は朝から熊ハンティングにいこう!」  


といってダニエルは、ウオッカのボトルを黒い鞄から出して 二つあるショットグラスになみなみと注いだ。  


俺「あれ?ここはドライビレッジじゃないの?」 
(注:ドライビレッジ→お酒を飲むこと持ち込みを禁止されている村)  


ダニエル「いいんだ、多少であればな。俺たちだって家で飲みたいんだ、分かるよな、、じゃ乾杯!! 」  


俺「ああ、わかるよ、乾杯」  


お酒の持ち込みや飲酒に関しては、厳しい法律上の罰則がある。 
まさか飲むわけにもいかず、しかしそこでお酒を無視するわけにもいかず、 
結局、軽くなめる程度でグラスをテーブルにおいて上手くごまかす。 


ダニエルが久しぶりに帰ってきたというのと日本から客が来ているというのもあって、ダニエル邸には沢山のネイティブが遊びに来た。 会話の内容は、ハンティングのこと、村のこと、日本のこと、白人のこと、アメリカのこと、そして昔のこと。  


そうしているうちに・・・
ダニエルと周囲の人たち は相当なウオッカを飲むようになり、、 
それに比例して口数も多くなってきた。 


誰かが、真珠湾攻撃の話をした。 俺的には、まったく問題ない話だったのだが、それを聞いたヘレンさんが 急に怒り出した。ヘレンさんは酒を呑んでいないのだが・・・  


ヘレン「あなた!真珠湾の話をしてはいけないわ!この人が誰だか分かっているの?」  


周囲は、急に静かになり、真珠湾のことを話しはじめた男性が俺に謝りだした。 なんともアメリカにいる気がしなかった。アメリカで誰かが真珠湾の話をしてもべつに悪い気はしないし、今更という感じはある。ゲストである自分に大変気を遣ってくれている感じがするのだが白人とパーティーするとこんな宴会にはならないし、どこか内省的な宴会だな、とも思った。反省会みたいな宴会は我々もたまにあるので懐かしい感じもするのだけれど。  


そんな宴会が長く続き、疲れている俺は眠くなって11時に寝てしまった。 
ダニエルは、さらにどこか別の家に酒を求めて、いってしまったようだ。

2009年10月20日火曜日

夜間ブッシュランディング

キャンプを後にして、我々は雪のツンドラから地帯から離陸した。
しかしここで多少の問題があった。

ダニエルは、体重100kgを超すであろう巨漢、
まずハスキーの後席に乗るのが大変、かつ飛行に関しては
大変な重量オーバーが予想されたので、ダニエルを後席に乗せて飛ばすには
自分の荷物をほとんど降ろさなければならなかった。

いままでの旅で使っていた荷物も相当ある。
折りたたみ自転車、テント、靴、カメラ、食料・・・
それらを何もない雪のツンドラに放置するのは、かなり忍びなかったが
ダニエルをニコライへ連れて帰るには仕方がない。

結局、ダニエルをニコライへ連れて帰った後、
再度すぐに、西麓へ自分の荷物を取りに帰った。
明日になれば、悪天で戻れないかもしれないからだ。

荷物回収着陸時、すでにデナリの山麓は真っ暗、
半ば夜間ブッシュランディングである。
天気の関係で明日自分の荷物があるか分からない状況、
なんとしても着陸して回収しなければ・・・という思いで一杯だった。
真っ暗なライトもない中でのブッシュランディング。
着陸操作中は緊張よりも、
自分の無謀さを黙認しなければ・・・と言う気持ちが勝った。


ひとつの救いは、雪で周囲が若干見やすかったと言うことだ。

(この写真も、焦る気持ちの中でようやく撮影したものであった)


独りニコライへ戻ったときは、すでに真っ暗であった。


着陸時、一斉に集まってきてくれたニコライの住人達。

「よくこんな時間に降りてきたな!」

そう言ったダニエルが、「うちに泊まれ」と言ってくれたので
遠慮なくお世話になることに。
10日間の長旅にとんでもない着陸の緊張で、
疲れ切った体には嬉しい親切であった。

デナリ西麓ハンティングキャンプ




ハンティングキャンプに着いた。

比較的綺麗な外観のログハウスに入ると
ダニエルの両親がいた。
ログハウスの角には、大きくシンプルな薪ストーブがあり、
部屋全体をゆるやかに暖めている、中央には大きなテーブルがあり
その上には雑然とキャンプ用の食器と
中が空洞になっている巨大なムースの骨が並んでいて、
対面にはダニエルのお父さんが座っていた、
お母さんは、いろいろと台所仕事をしているようだ。
ダニエルは薪ストーブの前で、俺が運んできた郵便物を読んでいた。

ダニエルのお父さんと帰りの飛行機の話をする。

飛行機が来なくて帰れないのは大変ですね、

「いや、ここでのんびりと暮らしているのもいいもんだよ、急ぐ用事はないから」

と笑いながら答えた。そうなのだ、特に会社に勤めるでもなく、
期限のある返済があるわけでもなく、この山は彼らの時間で流れている。
貨幣観念が、かなりの割合で通用しない場所とも言える。
カネが人間を急がせ、カネが人間を困惑させるという事実は、
こういう場所で気がつく。
そして皮肉なことに、誇り高きアサバスカン・インディアンである彼らもまた
下界に降りると、同じことになるのかもしれない。

ダニエルのお母さんに、ムースとサーモンの干肉、乾いた食パンとちょっと臭いのするバターをいただく。下界とは切り離された世界の食事は、お世辞にも旨いとは言えないが、旅の空腹を満たすには十分な栄養と量だ。
そして、訪問者である自分を受け入れてくれたことがなによりうれしい。

お父さん「今晩は泊まってゆくといい。もう時間も遅いからな」

俺「そうですね、そうしたい所なんですが・・・」

ダニエル「熊がいるかもしれないから、ひとまず飛んで周辺を探すよ、それで獲物がいないようだったら、そのまま村に戻るよ」

俺「そう、それがいいです、この雪と天気じゃこのキャンプに飛行機を置いておけないかもしれないので、、、本当はこのキャンプに何週間でも滞在したいんですが」

お父さん「そうかこのキャンプをそんなに気に入ったのか、、でも確かに飛行機を置いておくには時期が遅すぎるかもしれんな、まあいい、また来年ゆっくり来ると良いよ」


正直なところ、このキャンプは飛行機でしか行けない絶景で、
ハンティングには最高の場所、なにより下界と離れているという点で
何ヶ月でも滞在してみたかった。
俺がなにか宗教の熱狂的信者であるならば、このキャンプは差し詰め
聖地や寺院と言ったところだろうか、誰にも譲れない場所という感じだろう。
そしてひとつ確実に言えることは、日本にはこんな場所はない、と言うことだ。

しかし残念なことに、風雪に耐えるだけの係留設備を持たないこの場所、
デナリ山岳地帯9月下旬、そうのんびりとしてはいられないのだ。
来る時期が遅すぎた。

こういうときに飛行機を持つことの自由と、不自由を感じる。
空飛ぶ道具は、自由であればあるほど時に最悪のお荷物となる。
飛行機でしか行けない厳しい場所で大胆に活動しようとすればするほど。

すでに午後3時。
今日は、なんとしても日が暮れるまでに、このキャンプを降りなければ行けない。
ダニエルに話して、荷物をまとめさせる。

我々は、ダニエルの作った飛行場に戻った。
魅惑のハンティングキャンプに後ろ髪を引かれる思いを感じながら。

再会ダニエル


周辺の白い世界を懐かしい思いで眺めながら、
ハスキーに寄りかかってダニエルを待った。
思えば、雪原への着陸は本当に久しぶりで、しかも
こんな山奥での着陸は初めてのことなのだが、心は落ち着いている。


場所は、飛行機でしかアプローチできないデナリの西麓、高度2000ft、9月下旬の冬景色。遠くからバギーの音が聞こえてきた・・ダニエルだ。

ダニエルは、麓の村ニコライの住人でアサバスカン・インディアンである。
職業はハンティングガイドであり、
村では「マウンテンマン」と呼ばれているほど山好きな男だ。
だからハンティングシーズンにはずーっと山で暮らしている。
その山がこのSliver Tipsと言うわけで、
8月上旬からすでに2ヶ月近く電気もガスも水道もない場所で暮らしている、、、
というよりは彼にとってインフラがないのは当たり前で
たとえて言うならば、宗教における寺院のような
神聖で心落ち着ける場所であるのだ。

俺とダニエルが知り合ったのはちょうどその8月上旬、
ダニエルが仕事でこのキャンプに来る直前に
ニコライ飛行場で偶然知り合ったわけだ。


静寂を爆音で切り裂いてきたバギーがハスキーの横で止まった。
数ヶ月も風呂に入っていないにしてはこぎれいなダニエルが、
多少の笑みを浮かべている、軽く握手しながら、
久しぶりに、しかもこれ以上ないシチュエーションで再会出来たことを
俺たちは喜び合った。

ダニエル「よくきたな。良い滑走路だろう?」

俺「これはダニエルが作ったの?」

ダニエル「そうだ、幅は狭いが長さは十分だろ?」

俺「雪がなければ、もっと最高だけれどね、、ところでなぜまだキャンプにいるんだ?もうムースハンティングは終わっただろ?」

ダニエル「たしかにムースハントのお客さんはとっくの間に帰ったんだ。だから帰っても良かったんだが、、迎えの飛行機が来ないというのもある、どうやら頼んでおいたブッシュパイロットがどこかで事故ってしまったようなんだ、そして二つ目の理由は、おまえを待っていたから」

俺「じゃあ、ひとまず俺と一緒にニコライに帰れるというわけだね、ちなみにこの雪と今の季節じゃ、ハンティングはどう?」

ダニエル「ニコライに戻りながらでも考えよう、熊がいればまた状況は変わるさ。ひとまず俺のキャンプサイトに来てくれ、俺の両親もいるから」

俺「両親もいる?そうか、お父さんもハンティングガイドだもんな、一家でハンティングキャンプを守っているというわけだな」

ダニエル「まあ、そんなところだ」


俺とダニエルは、ひとまずハスキーを安全な場所へ移動させた後、
バギーを二人乗りしてハンティングキャンプへ向かった。
キャンプまでの数マイル頬にあたるデナリ山麓の空気に意味を感じる。
なぜ自分がこんな所にいるのか、どういう運命が自分をここに連れてきたのか
反芻する余地もないぐらい自然な存在感である自分と、逆にそれを疑い奇妙な違和感を感じる自分。

ハンティングと飛行機がもたらしてくれる、巨大なダイナミズムと
デナリがもたらす完全静寂場としての活動空間。
そしてそれらをつなぐのは、人の意志。

事象と世界をつないで、新しい世界と価値観を作る
その先にあるのは、我々の目指すべき精神そのものである。

2009年10月7日水曜日

雪のハンティングキャンプへ

一路、フェアバンクスを目指し北上DillinghamからKoliganekへ。
Koliganekで一泊した後、Mcgrathで給油しNikoraiへ。

今回の旅の最後は、ニコライの友人ダニエルと合流して
デナリの西麓にあるハンティングキャンプにいくことだ。

まずニコライ村に着陸、
相変わらず一気に集まってくる村人にダニエルの居場所を聞く。

村人A「ダニエルは、まだ山のハンティング・キャンプにいるよ」

俺「まだキャンプにいる?いつまでハンティング・ガイドやっているんだ?」

村人A「知らないよ、ただダニエルはマウンテン・マンだからね。彼は何ヶ月も山にこもっているよ、Sliver Tipsというキャンプだがら行ってみれば?」 

村人B「ついでに、ダニエルのメールを運んでくれる?」

と言って小さな段ボールぐらいの包みを俺に渡した。
ハンティングキャンプ、山の雪、ダニエルはいまだキャンプに。

気になる点がいくつかあるのだけれど、
メールをもらったからにはSliver Tipsというキャンプに行くしかない。
航空地図を見る、キャンプは地図に記載されていないので
おおむねの場所を聞いて書き込む、
高度2000ft、デナリの西麓、険しいアラスカ山脈の入口。

離陸後ニコライから南へ30分飛行、周囲は、雪で覆われていて冬の景色だ。


するとデナリを源流とする大きな川に隣接するSliver Tipsらしきキャンプが、
立派な10ほどのログハウスをなして見えてきた。


キャンプ上空にたどり着くとログハウスから、
ひとりの大男が出てきて、ATVに乗りながら山の方向を指さしている。
ダニエルだ、彼が着陸帯の方向を示しているのだ。

指の方向へ飛行機を滑らせる、そこに着陸できるところがあるはず・・・

しかし、そこには雪で覆われた滑走路というにはあまりに狭い
ちいさなちいさな幅の小道しかなかった。

距離は十分なのだが、しかし幅が狭すぎる・・5メートルぐらいではないか?
しかも雪で完全に覆われているから、この「小道」は着陸中、簡単に逸脱してしまいそうだ。

と思うのも束の間、エキサイトしている自分はいつのまにか
滑走路横にある旗で風を確認しつつ、最終経路に突入していた。

滑走路は、幅が狭いだけで長さは十分、風は弱い。
問題は雪でパックされたツンドラ上に降り立つ機体を
どうやって止めるか・・・・だ。
タイヤは、溝の全くないスリックタイヤ・・ブレーキが効くかどうか。
しかも、こんな狭い幅の場所には降りたことがない。

経験のない危険だと思われる場所に着陸する場合は、
なにかはっきりとした理由があるときだけだ。
意味がないのに飛行場以外のブッシュ地帯に着陸すれば、
命とお金は、いくつあっても足りない、、とこれは
ここ数年のアラスカ飛行で出来た自分の中のルールだった。
自分のルールに例外はないはずだ。

ここでの着陸のためのはっきりとした理由は、
ダニエルがなぜ、まだ山にいるかを知ること、
頼まれたメールを渡すこと、そしてSilver Tipsキャンプを見てみること。


着陸経路のファイナル、迫る雪の滑走路である小道が迫ってくると同時に、この小道がいかに狭い幅であるかがよく分かる。こんなところに本当に降りるのだろうかと自分を疑いながら出来るだけ低速で進入、しかし視覚的に感じる速度は早い。そろっと、やさしくタイヤを接地させて進路をキープする。インパクトのあるランディングは逸脱しそうなので御法度だ。

途中、小道に山が出来ていて方輪が大きくバウンド、翼が雪面に近付く。ここで飛行機の翼が地面を引っかけて横転するところをイメージする、次の一手である操作をするため体が一瞬こわばるが、機体は若干左にそれただけで元に戻った。焦るのと同時に、こんな瞬間の自分を楽しむ己の存在を悟る。

しかし・・ここは、本当に滑走路なのか?
夏なら何とかなりそうなんだが・・・止まれるだろうか。
タイヤと雪の摩擦の少なさは飛行機をいまだ停止させず、
残滑走路は、どんどん減ってゆく感じがする。
「減ってゆく感じがする」・・というのは尾輪式飛行機特有の
前方視界の悪さのため、おおむね推定するしかないということだ。

その後ブレーキを慎重に使用してなんとか停止したが、ブレーキはタイヤの回転を止めているのに、機体は最後まで滑っているという体感だった。

デナリの西麓、見渡す美しい景色の中に降り立つ(左にハスキー)


この景色の素晴らしさは、
ここに降り立つ恐怖に比例していた。

雪が音を吸収する静寂の中、
白い息を吐きながら3回、深呼吸する。
ダニエルは、もうすぐATVでやってくるはずだ。

2009年10月4日日曜日

クライシス2

ベーリング海を右に見ながら東へ飛ぶ。
PlatinumからDillinghamへ。

依然、ベーリング海の範疇であるものの、
Bethelを端とした南西部から確実に離れることに少しばかりの寂しさを感じる。
あれだけ人間の臭いのしない場所を知ると、
いま戻っている東への飛行進路が、
アラスカとは違う文化圏への経路のようだ。

本当のアラスカから遠ざかる感じがする。


Dillingham、フィッシングシーズン終了時期、店じまいの飛行機で
飛行場が大混雑。トラフィックパターンにすでに3機、飛行場の周囲に2機。
しかし大きな飛行場の割に、ここには管制塔がない。
出る情報は、数分前に分かっていた飛行機の場所のアドバイスだけ。
これだけの交通量で管制しないのは危険だな、、、と
飛行場にいる飛行機と、それに向かって北から進入してくる飛行機を探す。

一機、二機、、、三機目・・・・が見えない。
操縦席から右側、2時半、5度下に見えるはずの飛行機が見えない。

目を凝らしてライン上に捜索する。軍事用語では索敵だ。
自分以外に空を飛んでいるものは、基本的にすべて敵だと教える軍隊の言い回しは言い得て妙だが、こちらのほうが自分にはしっくりくる。前方1割、後方9割で索敵しながら戦っていた空自時代が懐かしい。

すると、、、
右ばかり見ていた自分に、左から何か気配を感じた。
とっさに操縦桿を引いて急上昇・・・心臓が飛び出そうになる。

真下を上昇しながら
一瞬にして過ぎ去る飛行艇が一機。

「見えてないくせにパターンに入りやがって・・・この!馬鹿野郎!」

聞こえもしないし、
どうしようもないのに、怒鳴ってしまう。

飛行艇は上昇しながら、何事もなかったかのように右に抜けていった。
飛行場のパターン内である、とんでもない場所を突き抜けてゆく飛行艇パイロットは俺に睨まれている。

着陸は、北から来ている飛行機の前数マイルをショートカットするように
パターンを縮める360°着陸法で進入する。
飛行場の吹き流しを見て風を確認する、
右から直角に息のある風、20kt弱・・・これはまずい。

この飛行場は、ほかにも問題がある。滑走路が舗装されており、
ハスキーのツンドラ用タイヤでは、グリップが大きすぎて事故を起こす
可能性が高くなる。それが横風の状況下だとさらに危険性が増す。
だから大きなタイヤの飛行機は、砂利とか草の滑走路のほうが都合がよい。

どんなことでもそうだが、まずい状況が2つ重なった場合、
すぐにそれを中止するというルールがある。
しかし今回はそれが出来ない、ここに降りなければ帰りの燃料がないのだ。

横風が強いのは、時の運。
燃料が必要なのは、分かっていた事実。

着陸フェーズ

滑走路にタイヤを接地させようとすると風の息が止み、
飛行機が急激に落下する、それを防止するためパワーを足すと同時に
風がまた吹き荒れ、飛行機は無意味に浮揚する、
風とエンジンパワーがうまく調和せず、パワーを足したまま
舗装された滑走路に右主輪だけを付ける、、、
左羽根をあげたまま方輪走行で滑走路を走る。
右に偏向する機体を左主輪と尾輪を浮かせた状態のまま、
まっすぐ走らせるたあと、パワーを引いてアイドルにする。
すると左主輪が接地、そのうち尾輪も滑走路に付く・・そこが緊張の瞬間だ。

尾輪接地と同時に、飛行機が大きく風上の方向、右側へ偏向する。
操縦桿はすでにフルで右だ、左ラダーを蹴る、でも機体は風見鶏のように右へ進み
滑走路を逸脱しそうな方向をとる、場合によってはブレーキを使わなければ。
「だめだ、このまま行けば滑走路を逸脱する」
進む成分を止めるためやむなくディファレンシャル・ブレーキを使って機体を停止する、どうしようもない。
滑走路内の右側半分でいったん停止したあと、ゆっくりとパワーを足して再度タクシー、飛行機がまっすぐ進めない状況下で、後ろから来る飛行機が「滑走路で止まる気か?」とラジオで言ってくる、
「うるせえ、こっちはまっすぐ進めないんだ」
と無線機のスイッチを押さずにつぶやきながら、斜めに進んで滑走路を開放。
後ろを気にして見ると、後続機はまだ接地前だ、
「どんなセパレーションがおまえには必要なんだ?」と
冷やかし半分で言ってきたパイロットをまた睨みながら言った。

「前輪式飛行機のおまえには分からないんだよ」



基本的に生き残るためには、
周りと戦わなければならないときがある。

そして

危険なことは必ず二回やってくる。