2010年7月26日月曜日

日本へ無事帰国

連絡が遅くなりましたが先週末、無事に帰国しました。


今年は、とても長いような短いような
なんだか不思議なアラスカ飛行の3ヶ月間でした。

例年の帰国後に感じる感覚と少し違う、、
このぼーっとした無気力感は、


例年の倍の時間を飛行(200時間)して、
アラスカの深淵をたっぷりと体に刻み込んだから・・・


ではないかと思っていますが、
実は自分でも、理由はよく分かっていません。


アラスカ飛行も5年目が終わり、
そろそろ節目なのかもしれませんが、
そんなことをいっているヒマはなく、

今年もこれから講演会や写真の準備で忙しくなりそうで
いままでやってきたことを、いかに伝えてゆくかが
最も難しいことだと思っています。





ちょうど、帰国したあと、
とある20代の方で私の本を読み、

今の会社を辞めて外国へ飛び出す決心した

という若者から、以下のようなメールがきました。



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湯口さんの本に出会い、実際にお会いできて、
私にとって大きなきっかけとなりました。
(中略)
湯口さんの活動に、勇気付けられる人がたくさんいると思います。

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世の中を生きる過程で、

何のために、、?
もしくは意味のある生き方ってなんだろう、、?

と思うことが、いまだ自分自身多々ありますが、

上記のような若者からのメールが、
私にとって、その答えのひとつであることは間違いありません。


私的にタイムリーな
以前紹介した探検家ナンセンの言葉、


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来たり、そして去った夢。


しかし、夢なくして人生に何の価値があろうか。

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は、間違いなく今年のキーワードであるのですが、


夢は、大波のように押し寄せて
去ってゆくのも早く、

次の夢は何なのだろう・・と大いに悩みながら、
3年前に書いた恥ずかしい夢の話を懐かしく読んでいました。

http://talkeetna.sakura.ne.jp/talkeetna.jp/dream/dream.html




これからの予定は
今後、UPしてゆきます。


しばらくは(来年のシーズンまで)日本にいる予定ですので
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2010年7月10日土曜日

カリブー大群











ついにというか、やっとと言うべきか、
いままでの集大成、
カリブーの大群と出会うことが出来ました。

遭遇の瞬間は、何度もやってきたのですが、
眼下で数万頭のカリブーが動くさまは、まさに夢の光景でした。

詳しいことは、またあとで。

ひとまず速報でした。

この感動を暖かいうちにみなさまへ。

2010年7月8日木曜日

目指した途中の夢



キャンプ全体と飛行機が深い霧に包まれている。

北極海に浮かぶの氷の上に乗った冷寒な湿気が
そのまま南下したような、そんな空気感だ。

こんな日は、まずもって飛行することは叶わない。
霧雨に濡れながら外(地上)で活動して、カリブーを追い、グリズリーを探しつつ
寒さで体がこわばる厳しさを味わうのも良いが、

一転して、テントの中でじっとしながら
唯一持ってきた、とっておきの日本語の本を読む時間も素晴らしい。


ナンセン・「極北」
(北極海・漂流探検記)

をテントを叩く雨音の律動に合わながら読んだ。


100年以上前にノルウェーの探検家・ナンセンが、
北極海を船で計画的に流氷にのって漂流し、
様々な発見や経験をした探検記である。


ナンセンは途中、船が北上しなくなった北緯84度付近で、
船を他のクルーたちに任せ、
もう一人の仲間と犬ぞりとカヤックで更に北上を目指す。

しかし食料は途中でなくなり、厳しい流氷は行く手を阻み、
それでもシロクマ、アザラシなどで食料を自給しつつ、
ひと冬を越して、ついには生還する探検記である。

この探検行には、現代の最新機器が補うことによって失なわれた
すべての冒険的要素が詰まっているように思われ、
とくに感銘を受けたのは、
自分で常に食料を調達するスタイルであり、
空輸に頼る現代の北極探検とは、
まったく異なる自主自立したものだ。

さらに

探検行そのものに漂う夢のかけらが、
本人の意思で行われた人生そのものであった

ことが、この本の最も偉大な点だろう。


本人は、本の最後にこう結んでいる。


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さまざまなあこがれを胸に抱いてすごした、


氷と月の光に照らし出された長い夜は、


別の世界からは、遙か遠い夢のように思える。


来たり、そして去った夢。


しかし、夢なくして人生に何の価値があろうか。


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北緯70度のキャンプでは、
寒雨がテントを叩く音がやみ、
優しく、なにかが降り積もる音に変わっていた。

外に出てみると雪が降っていた・・・7月の雪だ。


羽布張りの小さな飛行機は、
雪が降り霧に霞んで、よく見えないが、

それもまた自分が目指した途中の、極北の夢の景色として、

記憶に残るような気がした。

2010年7月6日火曜日

カリブー大群捜索日記(3)

5月24日

霧のため飛べず

それにしてもカビックは季節外れの雪が多すぎで、
いろいろな作業をしなくてはいけない。
一人のスーザンを助けるため、ジェネレーター用の燃料カンを運ぶ手伝いをする。
雪が多くて動力が使えず、40キロの燃料を歩いて運ばねばならないので
かなり重労働。

それにしても霧がとれない。
地上付近を視程ゼロの雲が漂って、
とてもではないが飛ぶ気になれない。


海岸から30マイル離れているカビックでも、いまだ北極海に浮かぶ海氷のせいで
夕方から朝まで(悪いときは一日中)霧に包まれる。
風は、常に北風か北東から吹き、しかもそんなに弱くないので、
霧の発生条件と違うのだが、確かに霧は存在するので理解に苦しむ。
パイロットは、常に現況で(未来を)判断するので
いまいち経験則にそぐわないことがあると、頭を悩ませてしまう。

北には遮るものがまったくないツンドラだから、
すべてが海と氷と気圧の言いなりだ。


ひたすら待つしかない。


5月25日

朝、しつこかった霧がやっと晴れ上がり、飛ぶのに問題なくなった。

滑走路は、いまだクラストした雪で、でこぼこだが、
それでもだいぶましになり、バウンドしながら離陸した。

午前、ひとまずカビックから数十マイル東にあるレッドヒルといわれる
東西に延びた丘陵地帯に行ってみる。赤茶けた丘が印象的だ。
温泉があると聞いたが、見つからず。

そこから、非常に狭い谷を北方向に抜けて、川を下り北極海を目指す。
どこが海岸線で、どこからが海なのか分からない北極海は、
3年前のバロー以来2度目であり白色の氷塊が、まさしく極地の証だ。

北極海沿岸に浮かぶフラックスマン島へ。同島はポリゴンの島で、
建築物が1つ霧の中から見つかるが、周囲は海氷に浮かび、
島という感じではない。

カニング川河口から、陸地へカビックに戻る。
途中、川のある特定の場所だけに
とても青く他の部分よりも固く凍っている場所が2カ所ある。
大きさは数百メートル、不思議だ。

結局、カリブーはごく少数しか見つからず。
この時期に季節外れの雪が大量に残っているのが、
カリブーが群れを作らない原因であるそうだ。

2010年7月4日日曜日

Kavik again!


北緯約70度、7月のカビックに戻ってきました。


早速、カリブーの大群を発見。(そんなに簡単ではなかったですが)

スーザンいわく
 おおむね、8000頭はいるのではないかと。
(サンプリング計測)




ものすごくラッキーなことにカクトビックが ほんの少しの間、
晴れていたので立ち寄ってみました。 
 これは非常に珍しい写真だそうです。





ハスキー(飛行機)も私もくたびれつつありますが、
アラスカの夏は、短く休んでいる暇などなさそうです。

2010年7月1日木曜日

久しぶりの更新です

ずーっとネットがない世界で飛んでいました
久しぶりの更新です。

6/16〜6/26までの間、下記の経路で54の村を単独で回っていました。


旅の途中、様々な出来事と景色、出会いがありました。

天気が悪いなど、困難を乗り越える勇気が必要な時もあり、
単独飛行の厳しさを再認識しました。

また明日から、しばらく飛行旅に出かけますので
これらの報告は、帰国後にでも、と考えています。


現在の心境は、


世界を知るには、人の一生では全く足りない・・
たとえ飛行機を使ったとしても。



私の師匠のような方に教えて頂いた
極北飛行旅の友として今回読んでいる本をお勧めしておきます。


極北 フラム号漂流記 フリッチョフ・ナンセン (加納一郎 訳)




素晴らしい探検記です。




太田 昌秀さんの訳が一番お勧めだそうですが、
アマゾンで値段がものすごく高いです(3万円以上!)
ちなみに私は、沢田洋太郎さんの訳本を読んでいます。