2007年11月20日火曜日

倶知安、ゆきの庵(いおり)から


先日、編集者と出版の打ち合わせをするため札幌に行く。

久しぶりに都会の雰囲気を味わった。
田舎じゃ見られないセンスの良い装飾品や絵や
ファッションに刺激を受ける。
自然だけではなく人が作り出したものも美しい。
センスのよい実物を目の当たりにするのって重要だ。

編集者さんは、写真をもっと見せたいと
A4サイズのフルカラー本を提案してきた。
A4とは、また・・大きな。
しかもフルカラー??

「一冊の値段が高くなりそうで恐いです」と言うと
「お金は問題じゃない!いいものを作りましょうよ」、と諭される。

まあ、インパクトを考えるといいのかも。
写真集的な雰囲気漂う本になりそうです。

時間などを考えると12月中の発売は間に合わなさそう。
1月ぐらいかな?

雪の倶知安で
じっくり煮詰めようかなと。


写真は、家が狭いので押し入れを改造した執筆作業現場。

ウイスキーボトルがすだれの下に陳列している奥座敷は
通称、「湯口庵・・」と嫁に評されています。
果たしてよい意味なのか悪い意味なのか?

それで本の最後はこうしようか、と

時に、平成の十九年、十二月のつごもりごろ、(終わりごろ)
野営の湯口、倶知安、ゆきの庵にして、これを記す。

そう気取ってウイスキーを飲もうとすると
ボトルはすでに
すべて空になっているのでした。

うーん、書けない・・

2007年11月19日月曜日

大雪で日本酒




まだ土地の人に言わせれば
この程度の雪は大したことないのだろうけれど
以前住んでいた千歳などに比べると
明らかに雪の量が多く時期も早い。

木造の家の中はとっても寒く
外は大雪が降っている。
昨日は札幌から車で帰ってくるとき
羊蹄山の麓を走行中、吹雪で
ほとんど前が見えなくなってしまう。

今朝早く外に出てみて
雪かきに追われる人や除雪車を見て
心が踊ってしまった。

冬山シーズンの到来だ。

もう裏山は滑れるだろうなぁ。
明日は寒気が一時的に緩むから
久しぶりに滑りに行こう。

アラスカでも雪は降るけれど
日本のちょっと湿った雪は一味違う感じがする。
なんというか
いろんな意味で日本は湿った国なのだ、
と思うのです。

食事や水や自然がもつ湿気が
とても心地よく感じられるのは
乾いた冬のアラスカにいたからでしょうか?

さっそく雪で日本酒の「おヒヤ」をいただきました。

ニセコ初冠雪


ニセコ、倶知安に雪が降った!

僕はこの街の冬景色を知っているけれど
冬へのうつりかわりはまだ知らなかった

アラスカに一年間いたから
倶知安の冬を過ごすのは今年が初めて。
アラスカの冬を過ごすのと同じぐらい
楽しみで仕方がない

北海道はいいよ


くるぶしまで積もった雪をたのしむため裏山へ

日本海の水をほどよく含んだ
しっとりめの雪が
ぎゅっぎゅう と鳴る。

踏み跡のない雪原を好きに歩くたのしみ


雪はいいな。
いろんなものをおおい隠してくれる。

今年の冬は
大好きな北海道ニセコの山麓で暮らします。

2007年11月5日月曜日

執筆



まだ執筆最中ですが、
こんな広告が出てきました・・・

プレッシャーです。


最近は、入稿の締め切りに追われて
朝日を見る日が多くなってきました。
この日記も、気分転換に書いていますが朝の6時・・

「本を書く」ということをやってみて
はじめて分かることはたくさんあります。

まずは、
何を書くのか?ということに関して
改めて考えさせられるということ。
この点について僕の場合、
アラスカで体験してきた具体的事実を
いかに表現から省くか?で苦心しています。

単純なことだと、
書きたいことが、「アラスカ冒険飛行日記」ではないので
「バローで珍しいものを発見した、それはシロフクロウだった」
とか、そういうムダな記述は、必要最低限にとどめなくてはいけないし
情景の記述も、「美しい」、「素晴らしい」、「感動した」を
表現に用いない、、など。

複雑なことだと、
言いたいことをいかに水面下で浸透させて
作品全体に貫かせるか?など、

この日記じゃ絶対にない悩みが、多く出てきます。

言葉は、日常で用いているものなので
簡単に扱えると思いがちですが
ところがどっこい、日記と違って
他者への表現が絡んでくると
「コトバこそ自分」という状態になり、一字一句に脅威を感じるのです。

自分の本をだす=無責任からの脱却

そんな気分です。

写真も、たくさん載せることになりそうです。
写真家としての作品、という一面もあるかもしれません。

果たしてどうなるかも分かりませんが
「夜、不安になってしまったとき手に取りたくなるような本」
であったらいいな
と思って書いています。