2009年12月31日木曜日

今年を振り返る

おおみそかですね。
今年を振り返ってみました。


今年のトピック

1.今年も無事にアラスカ飛行を終えたこと

年が暮れるとき思い返せば終わっているアラスカの飛行ですが
飛ぼうとするときは必死で、そのことが、
自分にとってどれほどの意味を持つのか。
まだまだ私には分かりません。
だから、来年も飛ぼうとするような気がします。
とにかく生きて帰ってきていることに今年も感謝です。


2.アラスカ南西部のエスキモーさん達と交流が図れた

いろいろなアクシデントの末、学校で4日間過ごして
エスキモーの授業を受けたりと、現地の方々との交流が印象的でした。


3.DVD「アラスカ極北飛行」が完成

いままで撮りためた映像をやっと世に出すことができた記念すべき
映像作品第1号でした。託したメッセージと風景、そして宮本さんの
音楽をうまく融合できたと思っています。


4.パタゴニア講演会(12月)

準備期間は短かったのですが、非常に印象に残る講演会でした。
企業様とのコラボはこれが初めてなのですが、横浜スタッフ皆様の協力ときていただいた方々の熱意は忘れられないものになりました。
終えた後も「またやりたいなぁ」と素直に思うのでした。


5.流山、佐倉、成田での連続写真展

佐倉と成田は、ギャラリー海の小林順子さんのお誘いによる展示でそれぞれ合同展と個展をやらせていただき、いろいろな経験をさせて頂きました。初めての写真展をプロデュースしてくれた小林さんには大感謝です。
流山の展示会は、初の個人的な大規模写真展となり写真点数、映像、物販すべてが大規模で、個人的には借金をして行った企画も、友人のおかげでうまくいったのは今後の指針となりました。協賛して下さった皆様には感謝するばかりです。


6.飛行中のエンジン停止→無事回復

エンジンが停止したお話しは、ブログではしていませんでしたが、
まあ、今後何らかの作品でお話ししたいと思います。
エンジンが停止したときは、「とうとうきたか」と思ったのですが
なかなかこの活動は、終わらないようです。


7.アラスカで初狩猟

アラスカを知る→先住民の文化を知る→狩猟採取

という図式で始めたアラスカ狩猟ですが、一年目としては
かなりの経験と今後に繋がる人間関係ができたと思っています。
しかし狩猟がアラスカを飛ぶ大きな理由のひとつとはいえ、
狩猟の技術と先住民の文化を、いきなりすぐに
習得できるわけではないので、これは本当にじっくりと時間をかけて
私のライフワークとしてやってゆきたいと思っています。


8.北海道で狩猟

2シーズン目になった北海道の狩猟も、今シーズンはすでに
7頭のエゾシカを獲るに至りました。
すべては、3人の師匠と北海道のフィールドが
与えてくれた恵みですが、この経験はアラスカにおもむくための
大切な下準備、自分の中の儀式みたいなもの。
より自然を理解するためという謙虚な精神でこれからも
北海道の狩猟にのぞんでゆきたいと思います。


9.激流カヤック・知床一周シーカヤック

今年始めた激流カヤック。
友人の指導でエスキモーロールを完成させ、その後
数多くの難関コースを経験できました。しかしながら
カヤックという乗り物が、他の乗り物と決定的に違う難しさを
持っていることに少なからず驚きました。
運動能力が必要という点では、冬山のテレマークスキー同様、
一生、私を楽しませてくれる(苦しませる?)ことでしょう。
簡単にできることには価値はありません。

そして友人達と6月に行った
知床一周シーカヤックは、本当に良い旅でした。



振り返れば、早い1年。
来年は何が起こるのか?


それでは、
よいお年をお迎えください。

2009年12月29日火曜日

Team dbrミーティング2009



早朝の羊蹄山(Photo by Takayashiki)

なんだがアラスカに帰ってきてから、

せわしい毎日をやっとくぐり抜け、
今年も我が所属する冬山チーム「Team dbr」のミーティングに
参加することが出来ました。

参加人数26名という大規模な編成を数パーティーに分けて
初日は、羊蹄山と尻別でそれぞれ、ナカナカのパウダーを
滑らせてもらいました。


 



26日は、午後から低気圧の影響で風強まり傾向なので
我々は羊蹄山や尻別の樹林帯のみを選択して
しっかりと楽しむわけです。


これは、別パーティー
dbrボーダー in 尻別
(Photo by Takayashiki)




写真は樹林帯の木立ち際で丸まりながら
ラーメンを作る友人の「がーす」くん。
彼は今年大病を煩ったのですが、
みごとに復帰第1戦を、この冬の羊蹄山で成し遂げたのでした。
(NHK杯の真央ちゃん並に!、見てないけれど)
彼の手術後の努力と根性には、頭が下がる思いです。




二日間にわたる冬山パウダーミーティングなので
当然のごとく、宿に泊まり宴会。
五色温泉別館を貸し切り、露天風呂で雪合戦大会に始まり
鍋にビール、そして滑りビデオの上映会と
大いに盛り上がった次第です。



ニトヌプリを登る





宴会の翌日は、なぜかの腹痛と悪寒に悩まされながらも
ニトヌプリを攻めます(笑)
急速に低気圧が過ぎ去った後
ニトヌプリはモチパフな素晴らしい斜面が
至るところに残っており、皆弱った体でしっかりと
粉雪の記憶を足裏感覚として刻みつけていました。



惜しむらくは、もう少し早起きをして沢山滑りたい・・
というところですが、遠路から来てくれている友や
初めてのメンバーとの交流は人間として大事ですし、
冬山に登る理由は、仲間との交流にあるわけですから
宴会で寝坊して、体調がすぐれなくったって
それでいいんです。

大事なのは、なかま。
そう全く気兼ねしないで
自然を楽しめる仲間の存在ですよ。


あと今年のトピックは、あたらしいメンバーが結構増えたこと。
特に体育会系ボーダー女子の参加が増えて、
この創立4年目のdbrにも多彩な滑り仲間が増殖しました。

創立メンバーのひとりとしては嬉しい限りです。


ちなみにすべてのメンバーは、サラリーマン。
(私は違うけど・・)
少ない日本社会の休暇をうまく利用して
自分の人生を雪山で楽しんでいる人たちは偉いと思います。

私も、頑張ることにしました。






2009年12月24日木曜日

Merry Christmas!



Yesterday is history

Tomorrow is a mystery

but

Today is a gift


Merry Christmas to all my friends!!


野営飛行舎
Isao yuguchi



2009年12月22日火曜日

航空写真家「八戸 耀生」


航空写真家「八戸 耀生」さん

以前、

究極の冒険気球飛行家、八戸さんが
カメラ雑誌の「CAPA」一月号に紹介されました!
ぜひ書店でご確認ください。


八戸さんは、今年の夏アラスカに来て
私と一緒に飛行した仲です。

普段は、誰も飛ばないような場所を
気球で攻める
私の尊敬する冒険家です。

また今年秋には、
アフリカのキリマンジャロ登頂も果たしています。


さて氏は、それだけでなく
フォト エージェンシー
を立ち上げました。

フォトエージョンシーとは、
写真を素材として提供する会社のこと
ですが

普段では見られない
空中からの風景を世に提供して行きたい
という八戸さんの熱い想いがあったそうです。

そのほかにも、世界中を飛び回っている
八戸さんの写真は非常に興味深く、

ジオラマ風の風景、世界の空撮、北海道の風景、、、、

すべてが美しい。


そして私が何より八戸さんを尊敬するのは、


自分で気球を操縦しながら写真を撮っている

ということです。

これは八戸さんと気球に乗った時の私の感想。



気球で写真を撮りながら
飛行するという行為。

私の飛行機を操縦しながら撮影する

と似た感覚で、その
「その大変さと喜び」を
とても共感できます。


確かに私も、アラスカを飛んだ時に
「写真でもいいから、この風景を誰かに見せてあげたい」
と強烈に感じたことを思い出しました。




八戸さんのフォトエージョンシーサイトはこちらから



ぜひ応援してあげてください!



Tuntutuliak_children


Tuntutukiak children


2009年12月21日月曜日

「DVDアラスカ極北飛行」クリスマスバージョン配送完了しました



DVD、クリスマスバージョン
昨日、お申し込み分はすべて送付しました。


ここ最近の豪雪で宅急便事情が悪いとのこと、
早めの商品送付しました。

もしクリスマス前に届いてしまったら、
申し訳ありません。
(通常、メール便は3〜4日かかります)

ラッピング、初めての経験でしたが
かなり面白く良い勉強になりました。

プレゼント用としてお申し込みしてくれた皆様、
上記の写真のようにラッピングしたので、
先方への御到着、お楽しみに。


野営飛行舎




以下、忙しい人は読み飛ばしてください。




しかし、自分で言うのもなんですが


アラスカで冒険飛行して撮影、帰国後、業務用機材で編集して
パッケージング、デザイン、印刷、音楽の選定、DVD製作、説明文章の執筆、
梱包、発送、そしてクリスマス用のラッピング・・・にリボン取り付け。
最後には、買ってくださいとの行商的なWeb営業。


最初から最後まで全部、自己完結しているので
はっきり言って時間が全くありません。
(このまま、器用貧乏で一生が終わりそうな)


自営業の悲哀と喜びでしょうか。


まとまりもなく、また原稿執筆と写真整理に戻ります!




p.s.
ニセコは毎日大雪です。パウダー最高でしょう。
年末は狙い目かも。



2009年12月15日火曜日

アラスカの機関誌



アラスカの機関誌に写真を提供しました。


ノルビックというコッツビューの近くにある
アラスカ北西部にある村の空撮写真なのですが、
無償提供で使っていただきました。







お世話になっているアラスカに貢献できて
光栄な今日この頃です。

2009年12月12日土曜日

パタゴニア講演会・無事終了

昨晩、12/11のパタゴニアスピーカーシリーズ

無事終了しました。

雨、風強い悪天の中、わざわざ来ていただいた皆様、
本当にありがとうございます。
私のアラスカでの体験を幅広くお伝えしたつもりですが、
講演の中で何かを感じ取っていただけたのなら幸いであります。

講演会そのものについては、
関係者皆様のおかげで、大成功!でありました。
(私の話し手としての、力量不足はおいといて・・)

とともに、私が皆さんに元気をもらった次第。


これからもいろんな場所でこのような
講演活動をやってゆきたいと思っております。

では、またどこかでお会いしましょう!

湯口


p.s.

講演会の開催風景は、後日UPします。

2009年12月10日木曜日

とうとう明日、横浜へ出発します。
10〜13の滞在ですが、いろいろと
他にも打ち合わせ等あり、忙しくなる予感です。

パタゴニア横浜店の準備は
なんだかんだで、風邪をひいたり、
ノートマックが調子悪く、急遽デスクトップマックを
購入したりと、
色んな意味で良くないコンディションでの内容制作でしたが
まあ、楽しみにしていてください。
(あとはうまく行くことを願うばかり・・)


ちなみに
当日に販売予定のグッズは、


サイン本、DVDの即売。(両方とも30部限定)

そして、旬なエゾシカ・ジビエの予約

です。

(場合によっては、写真の予約販売もするかもしれません)


当日の案内を確認のため一応、最後に載せておきます。







では、みなさん会場でお会いしましょう。

2009年12月7日月曜日

野営飛行舎の社長室(小間使い部屋)だより




ニセコは、雪が降ってます・・


現在、

講演会原稿作りの最終段階。

あと、

会場で販売予定のDVD制作も
現在来ている注文と家の雪かきと・・・まあ大忙し。


野営飛行舎の社長兼小間使いで

「ひとりって大変」な気分ですが、

幸いにも、事務所的な部屋があるので
散らかし放題やっています。


最近、導入したクワッドコア・ワークステーションのMac Proが
すごいスピードでお仕事をこなしてくれるのも安心、
さてラストスパートかけます!!


講演会に来て下さる皆様、お楽しみに!

2009年12月4日金曜日

DVD「アラスカ極北飛行」クリスマス特別販売企画(12/22まで)

発売から好評を頂いている

DVD「アラスカ極北飛行」


ですが、


今回!


クリスマスプレゼント用として


撮影 Isao Yuguchi

1.クリスマスカード
(+お客様の希望するメッセージを印刷)を同梱

2.クリスマス用包装

3.ご希望の相手先住所へ直接、送付サービス。



のサービスで提供させていただくことにしました。
お値段はそのままの、一枚2500円です。





ご希望の方は、以下の注文フォームのコメント記入欄に

クリスマスプレゼント用


と記入し、

書いて欲しいメッセージ




相手先の住所、氏名


を記入してください。
(住所を記入していない場合は、ご注文者に送ります)

複数名の場合も、つらつらとコメント欄に書き込んでください。
(メッセージや住所が複雑多数な場合、直接メールでも結構です)

制作者湯口から、心をこめてアラスカの美景を
ご依頼先までお届けさせていただきます。




備考
※包装用紙の選定は、こちらにお任せください。
※送付は、クロネコヤマトのメール便の投函ですので
クリスマス12/24〜25を頑張ってねらい打ちするように送付してみますが
それが難しい場合でも、12/25以前になるよう努力します。



アラスカの風景を見せてあげたい
大事な方へのプレゼントとしていかがですか?

2009年12月1日火曜日

写真集、出版会議

先日、写真集についてのお話しを
出版社の編集者の方としてきました。

本、DVD、を着々と毎年出してきたので
アラスカ写真集はまさに3年目の念願であるのですが、

ここは自費出版ではなく
商業出版ですので、そんなに簡単にGOというわけにもいきません。

アラスカの空撮、という分野では
唯一無二のパイロット写真家と自負していますが、
世に出す作品としての第一回目でもありますので
それは、慎重に、、しかしながら
ぜひ世に出したいという気持ちで一杯です。

マーケットがどれぐらいあるのか? 
初回はどれだけ作るのか?
どれぐらいだと値段は良いのか?
果たして買ってくれる人はいるのだろうか?

そんな不安ばかりが脳裏に浮かびます。

出版担当者の方は、

「湯口さん、そんなに不安なことを口に出してはいけませんよ!いいですか、本当によいものであれば時間はかかってもちゃんと売れるものです、それに1億2千万人の人口がいるんですから、それのほんの数パーセントの人に理解してもらって買ってもらえれば良い、と考えたら気楽でしょう」

「それに、、一番大事なことは、私たちの出版したいという情熱なんですよ」

とかなり前向きに背中を押してくれる。
確かにそうなんだ、、情熱という目に見えないものが
どれだけ自分の周りの世界を動かすのか、それは承知しているはず。

写真集、出したい!!

まだまだ出ると決まったわけでもないんですが
もしこのブログを読んで、

「私は、買います」

と宣言してくださる方、いたらメールください。
アラスカ写真集出版の大きな動機付け(おもにマーケット的な)
が出来るので出版社を動かす大きな原動力にもなります。

桜咲く頃の希望として
世に出せたらいいなぁ、、、と思っています。

2009年11月27日金曜日

地球環境〜永久凍土について知ろう。

エコ、地球温暖化、地球が危ない・・等々。

我々は、様々な媒体(テレビ、雑誌、ネット)を通して
そんなメッセージを受け取り、なんとなく、というか

「そうか、地球は危ないんだ」

と漠然に思っていたり、

「本当にそうだ!いまアクションを!」

と思い、本当に行動を起こしたりしている人もいるでしょう。

なぜか?オーロラ写真家やスキーヤーまでもが

「地球が危ない!!」

と騒ぎ立てている昨今。


しかし、冷静に考えてみると

「その判断基準である根拠は、どこから来たものか?」

という疑問が当然のごとく残ります。
大々的に発言するならば、それは自ら見て知って
判断し、得た意見でなければいけない。

時間のない我々にとってわかりやすいテレビや新聞は、
非常に参考になる情報ですが、それがすべてではないと言うことを
知ることは、もっと大切です。

そして、もし本当のことを知って世に伝えたいと思ったら、
雑誌やネット、新聞の記事、人の又聞き情報は、根拠になりません。
本当の自分の情報として伝えるためには、
自らその世界の飛び込み、自分の体で確かめなければいけません。
それは、人生を費やさなきゃいけないかもしれませんし、
とんでもない苦痛があるかも、そして
もしかしたら一生答えが出ないかもしれない。

それでも、「引用で生きている人たち」に比べたら
なんと尊い生き方であろうと思います。


以下、アラスカ大学教授、吉川氏の紹介です。


友人である八戸氏の紹介文章より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チャーターしたセスナを駆って、一日に幾つもの小さな村を回りながら、穴掘りと、学校を訪れては子供達に永久凍土についての講義を解りやすく行って歩く。穴掘りとは、地中数メートルに数点の温度センサを埋め、データロガーで地中温度をサンプリングし、その後、一年サイクルでデータを回収する。すでに、数百点の計測ポイントが世界各地に点在し、日々自動的に計測されている。

中略

アラスカ大学、永久凍土を研究している吉川教授は言う。大気温度や地表面温度を測っただけでは、地球温暖化等の変化を正確に読みとることはできない。しかし、僅か数メートル地下の温度は、夏冬の気温に左右されることなく一定の温度を保っている。気温の変化というノイズを排除し、地球の体温を正確に計ることで、地球の状態を把握しようというのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ちょっと固くなりましたが、
以下にアラスカの小学生向けのビデオと日本の高校生向けマンガを
載せておきます。


八戸氏の紹介文章より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼がもう一つ力を入れているのが、「トンネルマン」のビデオ制作だ。自らがタイツを履き、マントを身にまとってトンネルマンと称したキャラクターを演じている。もちろん胸には、トンネルマンを表す「T」の文字。アラスカを始め全世界の子供達が、科学に興味を持って、将来、一人でも多くのサイエンティストが誕生する事を願っての活動である。実際、彼のトンネルマンのビデオは、良くできており、子供達の興味を強く引きつけていた。アラスカの小さな村の学校で子供達が吉川に、「Are you tunnel man?」と声をかけた。「It's a seaclet.」と答えて場をわかすユニークさも持ち合わせている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これに紹介されている広報用ビデオの紹介です
(注:アラスカのネイティブ村に住む子供達用に作成)
アラスカ大学の教授でもある吉川氏のオリジナル「トンネルマン」ビデオ。

パート1
http://www.youtube.com/watch?v=Z4WQY-SgayA

パート2
http://www.youtube.com/watch?v=RmuuIvXhIbs

パート3
http://www.youtube.com/watch?v=nOe1G_3jYak

パート4
http://www.youtube.com/watch?v=2iz7bpPrkgI

サイエンティスト誕生を願うばかりではなく、ネイティブ村には何が起こっているのかを
知ってもらいたいという願いもこのビデオには込められています。
このビデオが各ネイティブ村の学校で放映されてからというものの、
ネイティブ村ではトンネルマンは非常に有名です。

〜マンガ〜

以下が、日本の高校生を対象にした永久凍土に関するマンガ
「トンネルマン」です、PDFですダウンロードしてください。
http://talkeetna.sakura.ne.jp/pict/Tunnel%20Man_J.pdf


以上が、吉川氏の広報活動の一端ですが、
その他、大学教授という立場以外にも
NASA関係の仕事など幅広く地球環境に関して研究活動をされています。
詳しくは、
http://www.uaf.edu/permafrost/

で確認していただければ、氏の活動がアップデートされています。

2009年11月26日木曜日

パタゴニア横浜の講演会告知です

やっと?
パタゴニア横浜ストアイベント情報が告知されました。

こちらをクリック

予約案内もこちらにリンクがあります。
直接、電話して予約してくださいね。

パタゴニア横浜の電話:045-681-9035



p.s.
当日は、講演会終了後にDVD、本、北海道ジビエ!?販売します。
現在企画中の写真集の販売予約も出来たらいいなぁ・・と思っています。

2009年11月19日木曜日

パタゴニア横浜店で講演会を開催します。

下記の通り講演会を実施しますのでご報告です。




日時:2009年12月11日(金) 夜7時30分〜9時分
場所:パタゴニア横浜・関内店→場所はこちら


イベント終了後、
DVD&出版物&ジビエ(予約!)を販売。


※写真展示は、明日からやっています!






講演会の予約は、
電話(パタゴニア横浜・関内店の電話045-681-9035か直接店舗にて)
イスに座れるのは、50名だそうです。
あとは立ち見などなど・・・先着順!




今年のアラスカネイティブ村経験や、
ブッシュプレーンでのカリブーハンティング、
そしてまだブログでもあまり更新していないお話しを
したいと思います。


最近、狩猟で忙しいワタシ・・田舎のおっさんのような
風貌かもしれませんが、まあ見た目は期待しないでください(爆
そのぶん、あなたの価値観が少し変わるようなお話しを
ご提供できれば・・と思っています。(まだ内容は考え中ですが!)







以下パタゴニアさんに提出した内容です。
(まだストアイベントのページにアップされていない??あまり期待されていなんだなぁ(笑))



〜タイトル〜
翼が見た極北アラスカ
(自ら操縦桿を握り極北を駆ける極北飛行家のストーリー)


〜内容〜
ベーリング海、北極海沿岸、ユーコン川流域、ブルックス山脈などアラスカの様々な場所を旅してきた極北飛行家、湯口公の記録を写真と映像で紹介。通常では見ることのない空からの極北風景をご覧ください。加えて自ら愛機「ハスキー」を操縦し原野に着陸、その後アウトドアを実践する「野営飛行」の迫力、そしてアラスカに生きる人々、野生動物との対峙を通して得た新しい価値観などについてもお話ししたいと思います。


スピーカー氏名(肩書き)
湯口 公(極北飛行家)


〜プロフィール〜
1971年生まれ。元航空自衛隊F-15戦闘機パイロット。自身操縦でアラスカ荒野深くへ着陸した後、各種アウトドアを実践する「野営飛行」が活動内容。アンカレッジ~北極海往復単独飛行、ネイティブ村への撮影飛行や原野着陸後の狩猟など活動は多種多様。自著、「アラスカ極北飛行(須田製版)」を昨年夏に刊行。




以上、どうぞよろしくおねがいします。

2009年11月17日火曜日

トンネルマン漫画




われらがアラスカン・ヒーロー 

アラスカ大学教授「トンネルマン」 

の漫画です、ダウンロードしてください。 
http://talkeetna.sakura.ne.jp/pict/Tunnel%20Man_J.pdf 

結構考えさせられたりもするんですよね。 


以下、吉川トンネル教授のトンネルマンビデオです。 
http://www.youtube.com/results?search_query=tunnelman&search_type=&aq=f 

パート1〜4まで見られると思います。 


再三紹介していますが・・・ 
こういうすごい(ある意味?)日本人がいるんです。

2009年11月16日月曜日

パタゴニア横浜店で写真展示します



最近やるべきことが多く(お金には全くならない(笑))
ラッシュで展示用の写真を作りました、上記2点は今年の作品で
その他、十数点が店内をアラスカ雰囲気で賑わすと思います。

パタゴニア横浜店では今後にイベントをやる予定ですが
その前座的な意味合いで、
私の写真パネルを飾らせてもらえることになりました。

パネル写真ではありますが、
店内のおしゃれな雰囲気と相まって
アラスカ飛行活動の雰囲気を十分味わっていただけると思います。

ぜひストアへ足を運んでみてください。
パタゴニア横浜店のリンク

2009年11月14日土曜日

パタゴニア写真作成中




パタゴニア横浜で写真を約一ヶ月、
かるく飾ってもらえるので、それを制作中。
今年の写真も入っていて数は少ないものの、 

アラスカ極北の雰囲気とハスキーの活動を 
味わってもらえればなぁ、と思っています。  


それにしても、 


Adobe RGB モニター NEC MultiSync 2690WUXIi2 と 
EPSON プリンター PX-5800  


は、いい発色をしてくれます。  


正確に言えば、  


「モニター通りの色をプリンターが出力する」  


という簡単なことなのですが、 
実は、これがものすごく難しく 
ここまでだいぶ時間がかかりました。  
もし自称、写真家と言っている人がいたら、 
その人にカメラの機種をあえて聞かないで、 
(カメラなんて、被写体にあっていれば何でもいい)  


「モニターとプリンターは何を使っていますか?」 
「出力は、Adobe RGBですか?sRGBですか?」  


と聞けば、
その人がどんなことやっているのか ある程度分かると思います。 


カラーマネジメントを
しっかり理解している カメラマンさんは、
本当に少ないです。  


「プリントの色が違う!!」  


と怒るのは言い訳で、
それは自分の環境が悪いため 
最終出力が何であるのかをしっかり考えていないと 
うまくいくはずないですよね。  


ちなみに自分は・・・・ たまに写真家と紹介されますが、 
他にやりたいこともあるし、 
写真なんてひとつの表現にしか過ぎないし、 
と思っています。 (けっして写真をバカにしているわけではなく・・むしろ好きです)  


でも自分&他人のポジションをやたらと 気にするのが、
この国の良くないところ。 
そして何でも屋を表現するポジションがありません。  
だったら「遊び人」でよし、でしょうか(笑)

2009年11月9日月曜日

薪ストーブとジビエ



ひとり薪ストーブの横にいます。
(旅の記録はちょっとお休みで・・)

自家製エゾシカのスモークをこのアンデルセン・ストーブのうえで炙ってから、長野で買った七味を混ぜ込んだマヨネーズをたっぷりつけて食しシロクマの絵が描いてあるアラスカで買ったウオトカをロックで流し込むと遠赤外線の暖かみが増して幸せです。

アラスカで、ピーターの家の薪ストーブのまえにいるような、そんな感覚が戻ってきて、日本でも極北の気分が味わえるんだと本気で思ってしまいます。

今日は、朝から森にいって薪割りと薪運びでした。

ピーターの家の玄関には、

「薪はひとを二度暖めます。 一度めは薪を割る時、二度めは薪を燃やす時。」

という英語の立て札がおいてありました、
精神的にも肉体的にも、その通りだと思います。

ジビエを獲って、薪を割って、たまに読書ときどき執筆。

薪割り作業の後は、
エゾシカのロースをじっくり一週間かけて熟成させたものを、
薄く切って、にんにくオリーブオイルでていねいに焼いてご飯の上に乗せて食べました、
おどろくほど美味でエゾシカにはたっぷり良質のアブラを吸わせてやると良いのだ
ということが少し分かりました。

けっしてスローではない多忙な毎日だけれど、
精神的な充足に満ちた北海道の生活。


薪ストーブとジビエ。

これは、オトコが知らなければいけない必須的快楽です。

2009年10月30日金曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(3)




フェアバンクスからガレナまでは、約3時間。
1時間かけてなんとかユーコン川上空8000ftまで
這いだしてきたのだが、

これが、いかんともしがたい
雲上飛行、いや煙上飛行。
地上が見えない。

しかし、
アラスカを分断してひたすら西へ延びるユーコン川を進めば
この森林火災が原因の煙も、消えてなくなるだろうという読みは
当たっていて、ユーコン川沿いのルビーという村付近では、
(ガレナから数十マイルの場所)では、
すでに地上が視認できるようになっていた。

ちょっとした冷や汗をぬぐいながら急下降する。

「よかった・・何とかなりそうだ」

地球環境をテーマにした吉川教授のデータを
まずは取りにいけそうだ、という
安堵感が体を急に汗から遠ざけてくれる。

それにしても大自然の現象に、
俺はいつも振り回されてばかりだ、世間は
人類が自然を壊すことを心配しているが、
俺にとっては、自然は本当に怖いものだという
畏怖の念でいつも一杯である。

ユーコン川上空を降下する
まだ、煙の名残はかなり残っているうえに、
川ののっぺりした地形が、またしても上下感覚を奪い、
まったく飛びにくい。
仕方なく螺旋(らせん)降下をあきらめ、楕円降下に変更。
これだと直線距離が増えて、感覚の立て直しが可能になる。
連続した心身への負担は、飛行の大敵である。
できるだけ楽をするべき所は、抜く。
これは厳しい環境下で生き延びる秘訣だと思う。

ユーコン川直上、1000ft。
ガレナの村に近づくと
この村の規模には不釣り合いな巨大滑走路が見えてくる。
冷戦時代の名残と思われる軍事基地なみのアスファルト滑走路は
ユーコンとの不釣り合いさを伴って
村の中央に居座っている。



しかしこんな景色を見る自分とは裏腹の、
ひとまず森林火災の煙から無事脱出して
給油が出来る・・という安心感はよいものだ。
非常に苦しい状況を耐え抜いた後の安堵感は、
知る人ぞ知る究極の幸福感でもある。

よし、これでベーリング海までは進める。
海を見るのが楽しみになってきた。

2009年10月28日水曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(2)

雲上飛行

戻るか、雲上に出るか。

通常、森林火災の煙はある程度の高度までしか届かない。
だからその上まで上昇してやれば何とかなるものだ。

濁ったユーコン川上空から煙の隙間を探す。
煙か雲か分からない隙間から
少しだけ青い空を垣間見ることができた。

エンジン出力をあげて、上昇開始。
雲の隙間をめざす。

周囲の索敵、レーダーサイト周波数のモニター
速度、姿勢の保持・・・前方の天候確認。
やるべきことをやりながら判断材料を探す、
これがパイロットの仕事だ。

高度8000ftでやっと煙の上にはい上がる。



眼下の地上は、何も見えない。西向かいである前方に
煙の切れ間が出てくるのを祈るしかない。

最初の目的地、Galena(ガレナ)まであと2時間・・・

2009年10月27日火曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(1)

2009年8月上旬
アラスカの北部中心都市フェアバンクスから西へ
北米大陸最西端のwales(ウエールズ)を目指す。



2009 8.3
Fairbanks→Galena


離陸時の天候、フェアバンクスは視程悪く
コマーシャルの定期便ですら着陸を見合わせる状況。
安全上、飛行は中止にしたいところだが、
この悪視程は、フェアバンクス周辺の山火事が原因であり
長期にわたって回復の兆しはない。
ただし、西へユーコン川を這って進めば、
次第に山火事の煙からは遠ざかることが出来るし、
川の上には障害物がないから自分の姿勢さえ
把握して飛べれば何とかなる。

飛行以外のことにも言えるのだろうが、
何かのミッションであることと、
単なる趣味であることの違いがここにある。

今回は、アラスカの村を回ること、プラス
永久凍土の温度分布を測定している装置の回収という
アカデミックな作業が課せられていた。
これは、アラスカ大学で永久凍土の研究をしている
吉川教授との共同ミッションである。

なにかをやろうとしたとき、
理由を付けて「できません」というのは簡単だ。
飛び出すのに不都合な理由を押しのけられるような「何か・・」
趣味ではなく人生の一部を捧げられるようなミッションを
個人が持ち得るかどうか。


フェアバンクスの西、小さなプライベート飛行場から
スペシャルVFRクリアランスをリクエストして、
ユーコン川へ出る。


ユーコンの南、ネナナ地区の燃え方がひどい。
煙は大地を覆い、風向きによってどの場所でも
視程はゼロになってしまう可能性がある。

ひとまずは、高度2000ftでも飛行可能であったハスキーであったが、
次第に高度300ftまで下がらなくては、
飛行に十分な視程が確保できなくなってくる・・・
旋回すると、確実にバーディゴに入る。
こんな状況は戦闘機時代以来、初めてだ。

戦闘機では、バーディゴというのは普通な感覚だ。
上半身をむき出しのコックピットだからちょっとした雲に入っても
姿勢が分からなくなることが多々ある。
だから実に懐かしい感覚、むしろ嬉しいような気もしたが・・

姿勢指示器で自分の姿勢を確認する、
外の風景では姿勢が確認できない。
このままではいくら障害物のない川の上でもあぶない。

頭の中での選択肢・・・戻るか、上昇するか。
思考の瞬間もハスキーは進み続ける。

2009年10月23日金曜日

2009アラスカ飛行を終えて

駆け足で、アラスカフライト後半、
ニコライまでの報告をして
まだアラスカで飛んでいる雰囲気でしたが、
実はすでに帰国しています。


帰国して2週間、やっと落ち着いたという雰囲気ですが、
今後はまだ紹介し切れていないアラスカ飛行シーンなどを
徐々にUPしてゆきたいと思います。


あと、お気づきかと思われますがこのブログ、タイトルが変わりました。


「アラスカの大空へ」


いままでは、北海道の自然というタイトルも入っていたのですが、
今後はこのブログとは独立させたブログとして


「HOKKAIDO +OUTDOOR」
http://ak-niseko.blogspot.com/


で紹介することになりました。
北海道のアウトドアに興味がある方は是非ご覧ください。


またアラスカと北海道に関する狩猟のブログも


「北海道&アラスカの野営的狩猟日記」
http://ezodeer.blogspot.com/


で発表中です。
こちらは自然をより理解するために狩猟は不可欠という
自身の考えのもと、狩猟に関する日記を掲載しています。

2009年10月22日木曜日

Nikolai Stay(2)

アサバスカン・インディアン達とのパーティのあと、 11時に寝た俺は、翌朝の9時まで数回起こされることになった。 
自宅だけでは、飽き足らないダニエルが、よその家に飲みに行ったり、家に戻ってきたりと、なんどもバタバタ騒いで家に出入りしたためだ。  
完全に酒に飲まれてしまっているダニエル。 
ネイティブ・アラスカンが酒を呑むと収拾が付かなくなるという話は聞いていたが、普段は非常におとなしくて口数の少ない紳士的ハンティングガイドである彼が、まさか!そうなってしまうとはとても信じ難い。  


朝六時、とうとうダニエルは俺の寝ている部屋のドアをノックしてきた。 
どうやら朝まで飲み続けていたらしい。 


ダニエル「今日の11時に戻ってくるから、待っててくれブラザー、その後ハンティングにいこう!」  


といって彼は家を出て行った。 まだ眠かった俺は、「OKだ」とだけ返事をしてまた寝袋をかぶった。
居間で寝ているヘレンは、きっとほとんど眠れなかったはずだ、ダニエルは居間で友人達と騒いでいたのだから。  


そして朝、9時起床。居間にいくとダニエルはいなかった。 
ヘレンさんが、起きてきてちょっと濃いめのコーヒーを入れてくれる。  
二人で庭に出てコーヒーを飲みながら、ダニエルがうるさかったこと、眠れなかったこと、そして目の前を流れるカスコクイム川の音がクワイエットで良いね、という話をした。
村の朝は、ほとんど音がしない。かすかに聞こえるのは、発電機の運転音だけだが、ネイティブの人たちは朝起きるのが遅いという理由も経験的に知っている。  
それにしてもダニエルは、いつ帰ってくるのだろう?そもそもどこにいったのだろう?村の人口は、100人程度でそう大きくはない。何処に行ったってすぐに戻ってくるはずだ。  


ヘレンさん「イサオ、ダニエルはしばらく帰ってこないわよ」  


俺「どこに行ったのですか?」  


ヘレン「飛行機で30分かかる隣の村に定期便で酒を飲みに行ったのよ、朝出かけたのはそれ、だからたぶんしばらくは帰ってこないと思うのよ・・本当にしょうがない人!ガイドのお金が入ったらすぐに、お酒を飲みに行くんだから!」  


俺「じゃあ、今日のハンティングもなし?」  


ヘレン「そうね、だからあなたもうフェアバンクスへ戻った方が良いわよ、じゃないと何日も無駄に待たされてしまうから」  


11時の約束の時間になっても、ダニエルは戻ってこなかった。 その後、数時間待ってみたがやはり彼は帰ってこない。 しかたなく俺は、ダニエルとハンティングという目的を達成しないまま、フェアバンクスへ戻ることになった。  


ヘレン「ごめんなさいね、でもこれに懲りずまた来年も来なさいね」  


俺「お金がない時なら、ダニエルもまた良いハンティングガイドに戻るかな?」  


ヘレン「その通りだわ、来年は8月の上旬に来なさい、待っているわ」  


ひとりフェアバンクスに飛行する悲しさは、なんとも言えなかったが、これもまたひとつの面白いストーリーだろう。「ネイティブ・アラスカンと付き合うには根気がいるのよ」と誰かに聞いたことがある。ダニエルが、なぜ約束を守らず酒を飲みに行ってしまったのか、それは分からないが、とにかく一年そこそこで彼らと仲良くはなれないということなんだろう。 気長に、何年もかけて付き合ってゆこうと心に誓ったのであった。 そしてこれは今年アラスカ最後の飛行で、最後のエピソード。  


p.s. 
フェアバンクスに戻り数日後、ニコライにいるはずのダニエルに電話をしてみた。 彼はお金が無くなり、ニコライに戻ってきていた。いつ戻ったのかと聞いたら、あの日の二日後、と言うことであった。あのまま待っていれば二日間待たされていたことになる。 また、ハンティングキャンプに残されていた両親は、無事にブッシュパイロットが来てニコライに戻ったとのことだった。唯一心配だったご両親のことをこのときに聞いて安心した。 酒はもうやめたと電話でいっていたダニエルだが、また来年もカネが出来れば飲むだろう。 それでもまた来年も辛抱強くニコライに行くつもりだ。 じっくりとじっくりと。 それがアラスカでの人とのつきあい方だから。

2009年10月21日水曜日

NIkolai Stay(1)

デナリの西麓からニコライ村へ戻った俺は、 
ダニエルの家で、お世話になることになった。  


ダニエルはアサバスカン・インディアンであり、
要するに俺は 先祖代々ここに住むネイティブ・アラスカンの家にお世話になるわけだ。このことは外国人である自分にとっても、かなり珍しいことに他ならない。 日本人でアラスカにやってくる人の95%は、ネイティブの人たちの家に 泊まったことはないだろう。もしあったとしても、お金を払ったり、もしくは 違うルートで事前交渉しなければ、なかなか村の人たちは受け入れてくれない。それほど、ビジターとしてネイティブ村の家に泊まるということは難しい。  


いままで100近いネイティブ村に飛んだことのある自分としては、 
フレンドリーであり、また受け入れ難くもある場所・・それがネイティブ村の印象だ。  


さて、カスコクイム川が正面に見える丘に建つダニエルの家に入る。 家の外観は、中規模平屋のログハウス。南東向きに風除室があるのは なんだかニセコに似ている、ここも冬に北西の風が吹くのだろうか。 風除室に、散弾銃と古くなったライフルが4丁、無造作に立て掛けられている。 カリブーとムースの角と、何か分からない毛皮が壁につるしてあり、 一目でハンティングに関係する人が住んでいることが分かる。  


案内されて居間に入ると、中年の女性が挨拶してくれる、ヘレンさんという名前のダニエルのいとこにあたる人だ。ダニエル一家(正確に言えば、ダニエルのお父さん一家)がハンティング・キャンプにいる間、家の世話をするお留守番というわけで、俺が泊まる晩の食事を作ってくれた。  居間には、テレビと食卓テーブル、そしてベッドがひとつ。 ソファや生活道具が、これも微妙に片付けられた状態で並んでいる。 壁には、ロシア正教のものと思われる肖像画が数点飾られており、 信仰の厚さを感じられる・・と思いきや、食事の風景などを見ていると そうでもなさそうな雰囲気である。あの食べる前の儀式はなかったのだから。  


ダニエル「今日はお疲れさま、ニコライまで戻って来てくれてありがとう、明日は朝から熊ハンティングにいこう!」  


といってダニエルは、ウオッカのボトルを黒い鞄から出して 二つあるショットグラスになみなみと注いだ。  


俺「あれ?ここはドライビレッジじゃないの?」 
(注:ドライビレッジ→お酒を飲むこと持ち込みを禁止されている村)  


ダニエル「いいんだ、多少であればな。俺たちだって家で飲みたいんだ、分かるよな、、じゃ乾杯!! 」  


俺「ああ、わかるよ、乾杯」  


お酒の持ち込みや飲酒に関しては、厳しい法律上の罰則がある。 
まさか飲むわけにもいかず、しかしそこでお酒を無視するわけにもいかず、 
結局、軽くなめる程度でグラスをテーブルにおいて上手くごまかす。 


ダニエルが久しぶりに帰ってきたというのと日本から客が来ているというのもあって、ダニエル邸には沢山のネイティブが遊びに来た。 会話の内容は、ハンティングのこと、村のこと、日本のこと、白人のこと、アメリカのこと、そして昔のこと。  


そうしているうちに・・・
ダニエルと周囲の人たち は相当なウオッカを飲むようになり、、 
それに比例して口数も多くなってきた。 


誰かが、真珠湾攻撃の話をした。 俺的には、まったく問題ない話だったのだが、それを聞いたヘレンさんが 急に怒り出した。ヘレンさんは酒を呑んでいないのだが・・・  


ヘレン「あなた!真珠湾の話をしてはいけないわ!この人が誰だか分かっているの?」  


周囲は、急に静かになり、真珠湾のことを話しはじめた男性が俺に謝りだした。 なんともアメリカにいる気がしなかった。アメリカで誰かが真珠湾の話をしてもべつに悪い気はしないし、今更という感じはある。ゲストである自分に大変気を遣ってくれている感じがするのだが白人とパーティーするとこんな宴会にはならないし、どこか内省的な宴会だな、とも思った。反省会みたいな宴会は我々もたまにあるので懐かしい感じもするのだけれど。  


そんな宴会が長く続き、疲れている俺は眠くなって11時に寝てしまった。 
ダニエルは、さらにどこか別の家に酒を求めて、いってしまったようだ。

2009年10月20日火曜日

夜間ブッシュランディング

キャンプを後にして、我々は雪のツンドラから地帯から離陸した。
しかしここで多少の問題があった。

ダニエルは、体重100kgを超すであろう巨漢、
まずハスキーの後席に乗るのが大変、かつ飛行に関しては
大変な重量オーバーが予想されたので、ダニエルを後席に乗せて飛ばすには
自分の荷物をほとんど降ろさなければならなかった。

いままでの旅で使っていた荷物も相当ある。
折りたたみ自転車、テント、靴、カメラ、食料・・・
それらを何もない雪のツンドラに放置するのは、かなり忍びなかったが
ダニエルをニコライへ連れて帰るには仕方がない。

結局、ダニエルをニコライへ連れて帰った後、
再度すぐに、西麓へ自分の荷物を取りに帰った。
明日になれば、悪天で戻れないかもしれないからだ。

荷物回収着陸時、すでにデナリの山麓は真っ暗、
半ば夜間ブッシュランディングである。
天気の関係で明日自分の荷物があるか分からない状況、
なんとしても着陸して回収しなければ・・・という思いで一杯だった。
真っ暗なライトもない中でのブッシュランディング。
着陸操作中は緊張よりも、
自分の無謀さを黙認しなければ・・・と言う気持ちが勝った。


ひとつの救いは、雪で周囲が若干見やすかったと言うことだ。

(この写真も、焦る気持ちの中でようやく撮影したものであった)


独りニコライへ戻ったときは、すでに真っ暗であった。


着陸時、一斉に集まってきてくれたニコライの住人達。

「よくこんな時間に降りてきたな!」

そう言ったダニエルが、「うちに泊まれ」と言ってくれたので
遠慮なくお世話になることに。
10日間の長旅にとんでもない着陸の緊張で、
疲れ切った体には嬉しい親切であった。

デナリ西麓ハンティングキャンプ




ハンティングキャンプに着いた。

比較的綺麗な外観のログハウスに入ると
ダニエルの両親がいた。
ログハウスの角には、大きくシンプルな薪ストーブがあり、
部屋全体をゆるやかに暖めている、中央には大きなテーブルがあり
その上には雑然とキャンプ用の食器と
中が空洞になっている巨大なムースの骨が並んでいて、
対面にはダニエルのお父さんが座っていた、
お母さんは、いろいろと台所仕事をしているようだ。
ダニエルは薪ストーブの前で、俺が運んできた郵便物を読んでいた。

ダニエルのお父さんと帰りの飛行機の話をする。

飛行機が来なくて帰れないのは大変ですね、

「いや、ここでのんびりと暮らしているのもいいもんだよ、急ぐ用事はないから」

と笑いながら答えた。そうなのだ、特に会社に勤めるでもなく、
期限のある返済があるわけでもなく、この山は彼らの時間で流れている。
貨幣観念が、かなりの割合で通用しない場所とも言える。
カネが人間を急がせ、カネが人間を困惑させるという事実は、
こういう場所で気がつく。
そして皮肉なことに、誇り高きアサバスカン・インディアンである彼らもまた
下界に降りると、同じことになるのかもしれない。

ダニエルのお母さんに、ムースとサーモンの干肉、乾いた食パンとちょっと臭いのするバターをいただく。下界とは切り離された世界の食事は、お世辞にも旨いとは言えないが、旅の空腹を満たすには十分な栄養と量だ。
そして、訪問者である自分を受け入れてくれたことがなによりうれしい。

お父さん「今晩は泊まってゆくといい。もう時間も遅いからな」

俺「そうですね、そうしたい所なんですが・・・」

ダニエル「熊がいるかもしれないから、ひとまず飛んで周辺を探すよ、それで獲物がいないようだったら、そのまま村に戻るよ」

俺「そう、それがいいです、この雪と天気じゃこのキャンプに飛行機を置いておけないかもしれないので、、、本当はこのキャンプに何週間でも滞在したいんですが」

お父さん「そうかこのキャンプをそんなに気に入ったのか、、でも確かに飛行機を置いておくには時期が遅すぎるかもしれんな、まあいい、また来年ゆっくり来ると良いよ」


正直なところ、このキャンプは飛行機でしか行けない絶景で、
ハンティングには最高の場所、なにより下界と離れているという点で
何ヶ月でも滞在してみたかった。
俺がなにか宗教の熱狂的信者であるならば、このキャンプは差し詰め
聖地や寺院と言ったところだろうか、誰にも譲れない場所という感じだろう。
そしてひとつ確実に言えることは、日本にはこんな場所はない、と言うことだ。

しかし残念なことに、風雪に耐えるだけの係留設備を持たないこの場所、
デナリ山岳地帯9月下旬、そうのんびりとしてはいられないのだ。
来る時期が遅すぎた。

こういうときに飛行機を持つことの自由と、不自由を感じる。
空飛ぶ道具は、自由であればあるほど時に最悪のお荷物となる。
飛行機でしか行けない厳しい場所で大胆に活動しようとすればするほど。

すでに午後3時。
今日は、なんとしても日が暮れるまでに、このキャンプを降りなければ行けない。
ダニエルに話して、荷物をまとめさせる。

我々は、ダニエルの作った飛行場に戻った。
魅惑のハンティングキャンプに後ろ髪を引かれる思いを感じながら。

再会ダニエル


周辺の白い世界を懐かしい思いで眺めながら、
ハスキーに寄りかかってダニエルを待った。
思えば、雪原への着陸は本当に久しぶりで、しかも
こんな山奥での着陸は初めてのことなのだが、心は落ち着いている。


場所は、飛行機でしかアプローチできないデナリの西麓、高度2000ft、9月下旬の冬景色。遠くからバギーの音が聞こえてきた・・ダニエルだ。

ダニエルは、麓の村ニコライの住人でアサバスカン・インディアンである。
職業はハンティングガイドであり、
村では「マウンテンマン」と呼ばれているほど山好きな男だ。
だからハンティングシーズンにはずーっと山で暮らしている。
その山がこのSliver Tipsと言うわけで、
8月上旬からすでに2ヶ月近く電気もガスも水道もない場所で暮らしている、、、
というよりは彼にとってインフラがないのは当たり前で
たとえて言うならば、宗教における寺院のような
神聖で心落ち着ける場所であるのだ。

俺とダニエルが知り合ったのはちょうどその8月上旬、
ダニエルが仕事でこのキャンプに来る直前に
ニコライ飛行場で偶然知り合ったわけだ。


静寂を爆音で切り裂いてきたバギーがハスキーの横で止まった。
数ヶ月も風呂に入っていないにしてはこぎれいなダニエルが、
多少の笑みを浮かべている、軽く握手しながら、
久しぶりに、しかもこれ以上ないシチュエーションで再会出来たことを
俺たちは喜び合った。

ダニエル「よくきたな。良い滑走路だろう?」

俺「これはダニエルが作ったの?」

ダニエル「そうだ、幅は狭いが長さは十分だろ?」

俺「雪がなければ、もっと最高だけれどね、、ところでなぜまだキャンプにいるんだ?もうムースハンティングは終わっただろ?」

ダニエル「たしかにムースハントのお客さんはとっくの間に帰ったんだ。だから帰っても良かったんだが、、迎えの飛行機が来ないというのもある、どうやら頼んでおいたブッシュパイロットがどこかで事故ってしまったようなんだ、そして二つ目の理由は、おまえを待っていたから」

俺「じゃあ、ひとまず俺と一緒にニコライに帰れるというわけだね、ちなみにこの雪と今の季節じゃ、ハンティングはどう?」

ダニエル「ニコライに戻りながらでも考えよう、熊がいればまた状況は変わるさ。ひとまず俺のキャンプサイトに来てくれ、俺の両親もいるから」

俺「両親もいる?そうか、お父さんもハンティングガイドだもんな、一家でハンティングキャンプを守っているというわけだな」

ダニエル「まあ、そんなところだ」


俺とダニエルは、ひとまずハスキーを安全な場所へ移動させた後、
バギーを二人乗りしてハンティングキャンプへ向かった。
キャンプまでの数マイル頬にあたるデナリ山麓の空気に意味を感じる。
なぜ自分がこんな所にいるのか、どういう運命が自分をここに連れてきたのか
反芻する余地もないぐらい自然な存在感である自分と、逆にそれを疑い奇妙な違和感を感じる自分。

ハンティングと飛行機がもたらしてくれる、巨大なダイナミズムと
デナリがもたらす完全静寂場としての活動空間。
そしてそれらをつなぐのは、人の意志。

事象と世界をつないで、新しい世界と価値観を作る
その先にあるのは、我々の目指すべき精神そのものである。