2009年10月21日水曜日

NIkolai Stay(1)

デナリの西麓からニコライ村へ戻った俺は、 
ダニエルの家で、お世話になることになった。  


ダニエルはアサバスカン・インディアンであり、
要するに俺は 先祖代々ここに住むネイティブ・アラスカンの家にお世話になるわけだ。このことは外国人である自分にとっても、かなり珍しいことに他ならない。 日本人でアラスカにやってくる人の95%は、ネイティブの人たちの家に 泊まったことはないだろう。もしあったとしても、お金を払ったり、もしくは 違うルートで事前交渉しなければ、なかなか村の人たちは受け入れてくれない。それほど、ビジターとしてネイティブ村の家に泊まるということは難しい。  


いままで100近いネイティブ村に飛んだことのある自分としては、 
フレンドリーであり、また受け入れ難くもある場所・・それがネイティブ村の印象だ。  


さて、カスコクイム川が正面に見える丘に建つダニエルの家に入る。 家の外観は、中規模平屋のログハウス。南東向きに風除室があるのは なんだかニセコに似ている、ここも冬に北西の風が吹くのだろうか。 風除室に、散弾銃と古くなったライフルが4丁、無造作に立て掛けられている。 カリブーとムースの角と、何か分からない毛皮が壁につるしてあり、 一目でハンティングに関係する人が住んでいることが分かる。  


案内されて居間に入ると、中年の女性が挨拶してくれる、ヘレンさんという名前のダニエルのいとこにあたる人だ。ダニエル一家(正確に言えば、ダニエルのお父さん一家)がハンティング・キャンプにいる間、家の世話をするお留守番というわけで、俺が泊まる晩の食事を作ってくれた。  居間には、テレビと食卓テーブル、そしてベッドがひとつ。 ソファや生活道具が、これも微妙に片付けられた状態で並んでいる。 壁には、ロシア正教のものと思われる肖像画が数点飾られており、 信仰の厚さを感じられる・・と思いきや、食事の風景などを見ていると そうでもなさそうな雰囲気である。あの食べる前の儀式はなかったのだから。  


ダニエル「今日はお疲れさま、ニコライまで戻って来てくれてありがとう、明日は朝から熊ハンティングにいこう!」  


といってダニエルは、ウオッカのボトルを黒い鞄から出して 二つあるショットグラスになみなみと注いだ。  


俺「あれ?ここはドライビレッジじゃないの?」 
(注:ドライビレッジ→お酒を飲むこと持ち込みを禁止されている村)  


ダニエル「いいんだ、多少であればな。俺たちだって家で飲みたいんだ、分かるよな、、じゃ乾杯!! 」  


俺「ああ、わかるよ、乾杯」  


お酒の持ち込みや飲酒に関しては、厳しい法律上の罰則がある。 
まさか飲むわけにもいかず、しかしそこでお酒を無視するわけにもいかず、 
結局、軽くなめる程度でグラスをテーブルにおいて上手くごまかす。 


ダニエルが久しぶりに帰ってきたというのと日本から客が来ているというのもあって、ダニエル邸には沢山のネイティブが遊びに来た。 会話の内容は、ハンティングのこと、村のこと、日本のこと、白人のこと、アメリカのこと、そして昔のこと。  


そうしているうちに・・・
ダニエルと周囲の人たち は相当なウオッカを飲むようになり、、 
それに比例して口数も多くなってきた。 


誰かが、真珠湾攻撃の話をした。 俺的には、まったく問題ない話だったのだが、それを聞いたヘレンさんが 急に怒り出した。ヘレンさんは酒を呑んでいないのだが・・・  


ヘレン「あなた!真珠湾の話をしてはいけないわ!この人が誰だか分かっているの?」  


周囲は、急に静かになり、真珠湾のことを話しはじめた男性が俺に謝りだした。 なんともアメリカにいる気がしなかった。アメリカで誰かが真珠湾の話をしてもべつに悪い気はしないし、今更という感じはある。ゲストである自分に大変気を遣ってくれている感じがするのだが白人とパーティーするとこんな宴会にはならないし、どこか内省的な宴会だな、とも思った。反省会みたいな宴会は我々もたまにあるので懐かしい感じもするのだけれど。  


そんな宴会が長く続き、疲れている俺は眠くなって11時に寝てしまった。 
ダニエルは、さらにどこか別の家に酒を求めて、いってしまったようだ。

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