2008年9月24日水曜日

圧倒的

最後の旅、ユーコン川の下流から
一気にイリアムナの南を通り、アンカレッジに戻る。

最後の日、飛行時間 7H

本当に長かった今シーズンのアラスカ飛行

満身創痍のフライトで見たアンカレジの南、最後の景色









アラスカは、やはりアラスカだ

語れない、ただ見せるだけ



批評者がたどり着けない場所に身をおこう

圧倒的な景色だけが、不安から身を守ってくれる。

2008年9月19日金曜日

エモナック 〜ユーコン川最下流の村〜

ついにやっと・・
ユーコン川最下流の村まで辿り着きました。

その名もエモナック。

村に着く直前のユーコン川

我ながら(我々ながら)よくこんなところまで、と思ったら
飛行場は、天気悪く着陸制限に近い風が吹き・・

そう簡単には、ゴールさせてくれないのだろうと
気合い入れて片輪着陸を敢行。
ハスキーのような小さな飛行機にとって
ベーリング海沿岸の村は、いつも天気悪く厳しいのですが
最近は何があっても驚かなくなりました。

そしてついに到着。
強風の中、ハスキーをしっかり地球に結びつけてエモナック探索。


詳しいことは書きませんが、漁業で有名であり(日本にサケを輸出していたり、、そこら辺は皆さんの方が知っているかな)、あと道行く人に「カヌーできたのか?」と良く聞かれます。そう、ユーコン川の終点村だけあって、みんな「旅人=カヌーイスト」だと思っているそうです。


さっと歩いた感じのエモナックは、労働者の町という趣きで、
日本でいえば、昔の血気盛んな港町?みたいな
まだ人間が主流の時代、というイメージです。
ほら宮崎駿の描く昔の村のような・・・



いい顔している素敵な労働者たち 
「IT産業、どこ吹く風よ!」

ブルーカラーの人たちが活き活きしているのは
本来当然のことなのに、なんだか凄く新鮮なのです。


最後に・・

今日泊まらせてもらっているエモナックの学校に
面白いこと書いてありましたので
遠くエモナックから皆さんに送ります。




明日から数日かけてアンカレッジに戻ります。
旅もいよいよ終わりかぁ・・・


ロシアンミッションの夜




「ロシアン・ミッション」
という村で夜を過ごしています。

現在、ユーコン川最下流の村々を訪ね歩いて(飛ぶ?)いる途中ですが
この地域は、ロシアの統治?時代の色が多少なりとも残っているようで
建造物や、人の名前(Kozevnikoff、Nickoli・・・などの名字の人がいて、
たぶんロシア系の名前だと思うのですが)
そして村の名前など訪問していて興味津々だったりします。

村の名前も、
ニコライ、ホーリークロス、St.Marys(これは違う?)など、
おお、訪ねてみたい!!と思うものばかりです。

実際、ホーリークロス村の上空を通ったときには

「なにか、ホーリーなものがあるはず・・・探せ!!」

なんて意気込みつつ、
小さな丘の上に、ひとつ大きな十字架が建てられているのを発見して
相棒のKaji君と「すげぇ・・」なんて観光客っぽく喜んだりしています。

明日はユーコンデルタといわれるユーコン川の終点に飛びます。
今晩の寝床(本当に寝床っ!という感じの場所)から見えるのは、
ユーコン川の夜景色・・・

もう、35以上のネイティブビレッジを回り
なんだか胸一杯、写真一杯な気分です。

今アラスカ行の最後の旅。

最後まで飛行安全でありますように。

2008年9月17日水曜日

極北夜間飛行

久しぶりで躊躇気味だったオーロラ夜間飛行も
3回目となれば、楽しみになってくるもの。
オーロラ飛行最終日。

夕暮れのフェアバンクス。

「今日は、オーロラ見えるかしら?」

お世話になっている家に住むSさんがそう言いながら
南向きの窓に近づき、おもむろに外の雲を眺める。

今日は天気悪く曇りがちで、とてもオーロラ日和という感じではない。
しかしながら、フェアバンクスの南から西にかけては
かすかに雲が切れつつあり、その切れ間から青空と傾きかけた夕陽の赤が
見え隠れしていた。

「南から西にかけて、雲が少しでも切れているときは夜中にオーロラが見えることがあるのよ、今は曇りだけれど諦めないで夜中になったら飛行場で待ってらっしゃい。もしかしたら良いオーロラの中を飛べるかも知れませんよ」

「今晩はだめだろう」となかば諦めリラックスモードになっていた僕。
しかしながら、30年以上もフェアバンクスに住んでいるSさんの経験則なのだろうと思い、時計を確認して一応酒を飲まずに夜を迎えることにした。
夜1時になっても頭上の雲が消えなかったら、そこでビールを空けて
Sさんにニヤリとしよう、なんて思いながら。

フェアバンクスの夜は、直ぐにやってきて
さてとビールを飲む準備をする・・か・・と思えば、あれ?

驚いたことに雲はSさんの言うとおり南の方から
カーテンを引いたようにさーっとなくなってきており、
深夜11時半の段階で、夜空の星は綺麗に瞬き、
ぼんやりオーロラがこんな町中でも見える・・・

経験則は正しい。

はやく飛行場に行かなくっちゃ。


離陸する頃には、2本のオーロラが翼の横を貫いて
上昇するほどに強くなるその光の強さに操縦もそこそこ、、
強烈に我を忘れるこの浮遊感。



うーん、なんていうんだろう、光の帯の世界に飛び込むこの瞬間、目の前の漆黒にうかぶオーロラが自分の価値観を空中で消し去ってくれるような、おまえなんかいてもいなくてもべつにおれは輝き続けていて、でもわざわざ見に来たんだからじゃあちょっと不思議な感覚にしてやるけれど、これ以上は何もみせないし何も期待するな、みたいな誰かが作為した空間として全周をくっきりぼんやり照らし出して、そのせいではっと我に返るのが数秒遅れるような、そんなイメージ。

極光夜間飛行の妙、もしくは冥であるか。


体験のうち、自分の中のなにかが突き抜けたような満たされ方をすると
もうそれだけで良いのかな、と思ってしまうことがあります。

2008年9月11日木曜日

オーロラ空撮

夕暮れからオーロラ待ちの準備です


オーロラが出たのを確認してから
夜間離陸&撮影開始です。

まあ、作品としてはともかく
最初としては映っているだけまし、という感じでしょうか。

フェアバンクスの夜景、翼、遠景のオーロラ

この3つが映っていればひとまず・・・




夜間離陸中に、ファインダーをのぞきながら
露出と感度を操作しつつ撮影します。
夜間の飛行は、ちょっと気を使うので
日中より飛行に対する安全に留意しなければいけませんが
まあ、それも面白いタスク処理の過程と捉えれば、訓練みたいなものです。
ちょっとばかり慣れてきたので
面白くなってきました。

オーロラ空撮実験段階としては、
いろいろな意味で実りあるフライトになりました。
もっと爆発的なオーロラと
以前日記で紹介した「オーロラを撮るために生まれてきた伝説のレンズ」
があれば、もっと・・と思いつつ、さらにがんばろうと思います。


オーロラが消えたころ、フェアバンクスの夜景を楽しみながら
ゆっくりと飛行場へ戻りました。





飛行場着陸時に撮影


これからもう少し、このチャレンジは続きます。
オーロラ空撮は難しいけれど、
作品そのものの完成より
未知なるものを撮ってみたいという
本当に単なる好奇心でやっているこの企画なので
楽しさもひとしおです。

さて、今晩のフェアバンクスは曇り。
連日の寝不足をちょっと解消すべく一眠りです。
満天に輝くオーロラの空を飛ぶ夢を期待しつつ。

2008年9月9日火曜日

渡鳥的夜間飛行


一年ぶりに夜間飛行しました。

怖いか?ってよく聞かれます。
そういわれれば、怖いかも知れない。


飛行場のハスキーの傍らでオーロラが出るのを待っている夜中の10時頃、
鳥の群れが数十羽、ハスキーと自分の上を渡り鳥していきました。
彼らが飛行場の近くにある 「渡り鳥休憩所」を離陸したばかりの群れだと仮定すれば
(たぶん編隊が乱れまくっていたのでそうに違いない)は、
なぜ長い旅の最初が夜なのだろうか?

という不思議な疑問が湧きます。

夜に出発する理由はなんなのか?

それは僕が一年に数回しかアラスカの夜を飛ばないのと似ているような気がして
なんだか彼らとは共通の感覚があるのかもしれない・・なんて勝手に思いながら
ダウンジャケットを羽織りつつ、オーロラを待ちながら
ひとり北の空をじーっと眺めるのでした。

その後、フェアバンクスの北の丘でオーロラ鑑賞ガイドをしている友人から
「オーロラが出ましたよ」との報告が携帯にあり、早速夜間離陸。


フェアバンクス北20海里、上空3500フィート、薄雲、乱流無、オーロラ少々。

報告ほどでもないオーロラの夜空を、ひとりぼっちで夜間飛行。
光がほとんど存在しないフェアバンクスの北。
感覚としての全周は、上も下も、左も右も、斜めも、反対側の斜めもなくなり
唯一判断できるのは、飛行機の計器と
ちらりと後ろを見たときに感じるオレンジ色に輝く フェアバンクスの街灯りだけです。

ああ、フェアバンクス

夜間飛行の最中、 あの暗夜の夜景が漆黒の恐怖に浮かぶ母の家に思えて
早く、本当に、安心できるあの場所に帰りたいと、切に願います。
それが夜間飛行をする飛行家の考えていることです。
もしたとえ飛行中に、夜間の景色を楽しんでいるふりをしていても。


その後、飛行場に帰投し 一年ぶりの夜間着陸を無事終え、
飛行機のエンジンを止めて地面に足をつけました。

ふくらはぎに感じる自分の体重を感じながら
やっぱり地面はいい、 大地に足がつくという本当に当たり前で
いつも感謝すらしないことが、
どれほど大切で安心できることかを
ひさしぶりの夜間飛行の後、実感しました。

当たり前だと思っていることが
目の前から消えてしまうと本当に大事なものが何なのかわかるような気がして。


地面に立って生きているだけで幸せ。

いつも引きつけてくれる地球に感謝。


もしかしてよ、
渡り鳥たちが夜に旅を始めるのは
当たり前になりすぎた地面に感謝するためなのかも。


写真:夕暮れを飛ぶ3羽の鶴

2008年9月7日日曜日

フェアバンクス秋の風物詩

「昨日ね、うちの旦那様がムースを獲ったの!」

ちいさなパン屋を経営している50代の女性が、嬉しそうにそう言うと
周りの客を含めた店のその場の雰囲気がどっと沸きあがる。

フェアバンクスは秋9月上旬、紅葉が街を北から駆け抜ける時期

どこで?
もう食べた?
どのぐらい大きいの?

フェアバンクスに滞在すると狩猟があたりまえの、
そう・・たとえば
北海道人が海岸で秋サケを釣ってくるような感覚の日常会話になります。
いや、もしかしたら狩猟採取をしなくなった日本人には想像できないぐらい
たとえば、山菜取りぐらいの感覚でムース猟をしているのかも。
そのぐらいフェアバンクスの街には狩猟の準備をする車を見かけるし、
山で見かけるアラスカ人の会話は、ムースのことばかり。

9月初めから半月の間は、一年のうちで唯一ムースを狩猟できる時期。
フェアバンクスでは「誰々がムースを獲った」という話題で
少なくとも私の周りではあふれていて、ちょっと嬉しい気持ちになります。

これはブルーベリーとサーモンが終わったあとの秋の風物詩のようです。


お世話になっている知人の食卓には、
息子さんが獲ってきたムースとカリブーの肉が毎日のように並び、
それにキングサーモンとブルーベリーのジャムをつけたパンがそえられます。

ムースはハツ(心臓)の部分をお酒と生姜とにんにく少々で下味をつけ、
それをちょっとの醤油と油でいためたという一品がテーブルに。
レバーのような歯ごたえと血の味わいが、喉をとおりしっかりと胃袋に収まり、

「美味・・・」というか何も教えられずにいた私は
てっきり日本でいつも食べているレバーだと思って食べてしまったのでした。
それも日本にある評判のよい焼肉屋ででてくる、とびきり旨いレバーだと思って。

カリブーの肉は、ムースよりあっさりした味わい。
カリブーの食べるコケの味がするといえば言えなくもないが、
それは単なる考えすぎかもしれないです。
いずれにせよ、食べることが想像力を膨らませるのは確かです。


その動物を食することによって
その動物の生きていた環境、食べていたもの、そしてその動物が経験したこと
すべてを内包する彼らの一生を享受する。
享受するといっても、仰々しくなく
それは頭の中にある小川にそって流れてくる、川の流れに溶け込んだ
不思議な概念として体中の血液を通して駆けめぐり浸透する。
浸透する概念は、アラスカの土地そのもの。
もちろん本人はその概念をよく分かり得ないけれど、そのなんとなく感が
毎年アラスカに通い続ける原動力であることは確かなんでしょうね。

そうやって、知らないのに嫌悪していた狩猟が
自分にとって身近で大切なものになってくる。
何事もやらずに簡単に批判してはいけない、のかも知れません。

堂々と目の前に存在しているムースとカリブーの肉を目前にし
それをフェアな方法で、自分の力で獲ってみたいと思うのでした。

狩猟については、
今から150年前に「森の生活」を書いたソローは
「自然を深く理解するための最も優れた手段のひとつ」とし
「真のナチュラリストとは、ハンターのことである」とナチュラリスト自身がそう言い、
日本の星野道夫氏は、狩猟採取に関して深い理解と興味を示し、
ムースや鯨のハンティングに同行しその場面を写真におさめております。

計画、準備、探索、射獲、回収、解体、調理、・・・そして感謝し食べること。

そのプロセスすべては何かの縮図ではないか?
と思うことがあります。

2008年9月4日木曜日

オーロラドライブ

忙しい毎日のアラスカ生活

昨日は、友人と一緒に車で北極圏に入り
ブルックス山脈の向こう側まで行ってきました。

出発朝8時、帰りは朝の6時。
なんと22時間のドライブ!

帰り際にオーロラ見ました。
ちょっとアップしておきます。













綺麗なオーロラでした。
次は空撮、、できるかな?

2008年9月2日火曜日

カリブーとの遭遇


怖かった!!
カリブーさんが翼の下・・・


川原へ着陸(Bush Landing)



川原に着陸するハスキーです。

オールド ベテルスという廃墟へ行くためには
この川原に着陸しなければいけません。