2008年9月7日日曜日

フェアバンクス秋の風物詩

「昨日ね、うちの旦那様がムースを獲ったの!」

ちいさなパン屋を経営している50代の女性が、嬉しそうにそう言うと
周りの客を含めた店のその場の雰囲気がどっと沸きあがる。

フェアバンクスは秋9月上旬、紅葉が街を北から駆け抜ける時期

どこで?
もう食べた?
どのぐらい大きいの?

フェアバンクスに滞在すると狩猟があたりまえの、
そう・・たとえば
北海道人が海岸で秋サケを釣ってくるような感覚の日常会話になります。
いや、もしかしたら狩猟採取をしなくなった日本人には想像できないぐらい
たとえば、山菜取りぐらいの感覚でムース猟をしているのかも。
そのぐらいフェアバンクスの街には狩猟の準備をする車を見かけるし、
山で見かけるアラスカ人の会話は、ムースのことばかり。

9月初めから半月の間は、一年のうちで唯一ムースを狩猟できる時期。
フェアバンクスでは「誰々がムースを獲った」という話題で
少なくとも私の周りではあふれていて、ちょっと嬉しい気持ちになります。

これはブルーベリーとサーモンが終わったあとの秋の風物詩のようです。


お世話になっている知人の食卓には、
息子さんが獲ってきたムースとカリブーの肉が毎日のように並び、
それにキングサーモンとブルーベリーのジャムをつけたパンがそえられます。

ムースはハツ(心臓)の部分をお酒と生姜とにんにく少々で下味をつけ、
それをちょっとの醤油と油でいためたという一品がテーブルに。
レバーのような歯ごたえと血の味わいが、喉をとおりしっかりと胃袋に収まり、

「美味・・・」というか何も教えられずにいた私は
てっきり日本でいつも食べているレバーだと思って食べてしまったのでした。
それも日本にある評判のよい焼肉屋ででてくる、とびきり旨いレバーだと思って。

カリブーの肉は、ムースよりあっさりした味わい。
カリブーの食べるコケの味がするといえば言えなくもないが、
それは単なる考えすぎかもしれないです。
いずれにせよ、食べることが想像力を膨らませるのは確かです。


その動物を食することによって
その動物の生きていた環境、食べていたもの、そしてその動物が経験したこと
すべてを内包する彼らの一生を享受する。
享受するといっても、仰々しくなく
それは頭の中にある小川にそって流れてくる、川の流れに溶け込んだ
不思議な概念として体中の血液を通して駆けめぐり浸透する。
浸透する概念は、アラスカの土地そのもの。
もちろん本人はその概念をよく分かり得ないけれど、そのなんとなく感が
毎年アラスカに通い続ける原動力であることは確かなんでしょうね。

そうやって、知らないのに嫌悪していた狩猟が
自分にとって身近で大切なものになってくる。
何事もやらずに簡単に批判してはいけない、のかも知れません。

堂々と目の前に存在しているムースとカリブーの肉を目前にし
それをフェアな方法で、自分の力で獲ってみたいと思うのでした。

狩猟については、
今から150年前に「森の生活」を書いたソローは
「自然を深く理解するための最も優れた手段のひとつ」とし
「真のナチュラリストとは、ハンターのことである」とナチュラリスト自身がそう言い、
日本の星野道夫氏は、狩猟採取に関して深い理解と興味を示し、
ムースや鯨のハンティングに同行しその場面を写真におさめております。

計画、準備、探索、射獲、回収、解体、調理、・・・そして感謝し食べること。

そのプロセスすべては何かの縮図ではないか?
と思うことがあります。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

まさに live off the land ですね。
とても憧れます。

9月に入りましたが、北海道は晴れて夏のような天気です。それでも朝は涼しく、秋が近づいているのを感じます。