2007年2月28日水曜日

なにが人を幸福にするのか?

今日、友人とのメールやりとりで
すこし現状日本の話になった。
そこでカレル・ファン・オルフレンの著書
「人間を幸福にしない日本というシステム」

という本の話題が出てきた。

この本は、タイトル通りの内容だったような気がするけれど
この本の内容はともかく、この本を思い出すことでちょっと考えた。

本来、人は考えぬいて幸福になるものではなく
もっとプリミティブな面でそうなるんだろうから
(たとえば、結婚したり彼女(彼氏)と付き合うことになった時や子供ができたり家族っていいなぁと思ったりする瞬間)
システムはあまり関与しない。

では上記以外の幸福とは、なんだろう?

結論を言ってしまうと
「恒常的な欠乏感」だと思う。

この国は、足りてしまって欠乏感を味わえなくなった。
どう見ても生きるに十分な生活状態なのに不満がある、、
そういう人たちからのメールをたくさん読んできたので
なんとなく分かる気がする。
精神が病むというのは、ベクトルが行き場を失った状態と
言ってもよい。何となくベクトルが頭の中を散乱する。
だから何となく不安で、何となくだるい。

組織内のイジメも共通の外側の敵がいないから生まれる。
組織が内側で仮想敵を作って安心しているだけ。

では、どうやったら幸福を導く欠乏感を味わえるのか?

まずは足りない幸せについて考えてみると、
おもしろいのかも知れないし
誰かに与えてみることで、
その欠乏感を得る事ができるかも知れない。

最後に脳科学者、茂木健一郎さんの言葉を載せておきます

「脳の本当に不思議なシステムの一つに、欠点と意識したことを乗り越えようとする働きがあります。本人が明確に欠点と考えること、どうしても人より劣っているとか苦手だとか思い悩むことがあると、意識がそれに集中しますね。すると変えようとする創造性が働き始める。すごく努力して乗り越えようとし、なぜか普通の人をはるかに超えて、とてつもない領域へ到達してしまうのです。」

「どのような仕事でも、解決できない苦しいことを楽しめるようになると、持続可能な脳の快楽になっていく。インスタントでその場限りの快楽は、脳にとっては面白くないものなのです。」

I lead an idyllic life.

I lead an idyllic life.
(僕は牧歌的な生活を送っている)

〜兄弟同然のルームメイト、Pさん冬の生活〜

Pさんは、アラスカに住み着いて25年以上がたつ
ボストン出身の44歳のお兄さん。
10代の頃から様々な独自ビジネスを繰り返し
現在は、アンカレッジのダウンタウンにある
レンタル自転車屋さんを営んで生活している。

「アンカレッジでサイクリング」という健全で気持ちの良い
活動を提供できていることに大変な誇りを持っている。
夏こそがPさんの活躍の場。
アンカレッジの長い冬は、店をほぼクローズし
an idyllic life(牧歌的な生活)を楽しんでいる。

朝、日の出とともに目覚めるPさん、
まずはロッキングチェアに座って
自慢の薪ストーブに残る昨晩のわずかなおき火に
薪をくべて、安堵の朝を作りはじめる。

かなり濃いめのコーヒーはたっぷりと作り置き
誰かのため(たとえば、寝坊した僕など)に取っておく。
ミルクをいれると香りがたってちょうどよい。

薪ストーブが順調になると
リビングにある大きな椅子に腰掛けて
アンカレッジ デイリィ ニュースの政治や環境関係欄を
ゆっくりと読む。
実は彼、弁護士の試験に合格しているインテリさん
2時間ほどかけて
忙しい夏の間に読めない記事を本当にゆっくりと読む。

ほどよく朝食をとると
防寒をしてから裏庭へ、、
来年の冬ための薪を割るのだ。
彼は、薪割りを「とても健康的なエクササイズ」という。
心身ともにリフレッシュし冬の生活に張りを与えてくれる
大事な薪割り。
そしてなにより冬、お金を稼げないときに
かかる暖房代を節約する大事なお仕事。

Pさんは、言う。
「貧乏なことはある意味、素晴らしいことだ、
そこには工夫と想像の環境が整っているから」

I lead an idyllic life.
(僕は牧歌的な生活を送っている)


お金はかけられないけれど
素朴で豊かで、ゆったりとした生活

Pさんの人生の豊かさの定義は、
きっと間違っていないはず。

帰国まであと3週間

そろそろ一時帰国まで一ヶ月を切りました。
3月19日にアンカレッジを発ち
3月20日に名古屋着です。

その後、東京でお世話になった人たちに挨拶に行ってから
第二の故郷、ニセコへ戻ります。

でも大量にあるアラスカの資産
(飛行機と車と自然、そして一番大事な多くの友人達)
が待っているので、6月にすぐ戻ってきます。
しかし、アラスカを一時的に離れるだけなのに
とても寂しいというのが正直な気持ち。
帰りたくない、、


山女魚が美しい渓流にしか棲めないのと同じで
人間にもそういう川があるのかも知れない。


冬は寒くて、暗いけど
ここは僕の聖地。

飛行機が好きで
山と川が好きで
雪と魚が好きな僕には
最高の遊び場所。

あ、寂しくなってきた。

たまには寂しいまま日記を終わらせよう。

2007年2月26日月曜日

凍りつく氷河の風




右手の人差し指が凍りつく

超低空100ft(約30m)を
崩れた氷河をなめるように飛ぶ。
ハスキーはこの極寒の中でも
快調にエンジンを回している
撮影のために窓を開け
風をまともに喰らう機内は
体感温度マイナス40℃以下、、だ。

右手にニコン
左手に操縦桿。
両手が交差するような形で超低空の空撮
操縦桿は本来、右手で操るもの。

ニコンと指が機外に露出し
風によって一気に冷やされる。
指の血液は、一瞬にして温度を下げ
体中を循環し心臓に達する。

体温が急激に下がり、同時に心臓に違和感を感じる。
指というラジエーターで冷やされた血液が心臓に達したのだ。
もちろん指の感覚は、ほとんどない。

それを尻目に氷河の境界は
厳冬期の太陽にギラギラ照り返し
いままで誰も見たこともない風景の流れで
私たちが飛んでいる空中を含めて
平然と周辺世界を支配し続けている。

我々の祖先は大自然と壮絶に戦ってきたのだろう。
その闘いは、自分たちが自然に殺されないためであり
なりふり構わず生きてゆく必要があったとおもう。

大自然と直接戦うことが出来なくなった世代、、
大自然に殺される心配のない人たちは
安易にそれらと親しくなろうとする。

「親しさ」は曖昧さを生む。

「緊張感」は真の理解を生む。

本当の対峙は、死への恐怖から始まる。


写真上、下:Lake Georgeに落ちる氷河
写真中央:Eagle glacierの基部

2007年2月24日土曜日

変化


知らない景色を見たとき

あなたは確実に変わる

それは、、

あなたが変化したければ

知らない景色を

多少の無理を承知で

見に行かなければならない

ということ

2007年2月15日木曜日

蜃気楼

2月14日、正午

アンカレッジメリル飛行場を離陸、
北北西のデナリ方面を見て目を疑った。

デナリ方面アラスカ山脈の数百マイルにも広がる
山並みの手前に、海かと見まがうほどの巨大な水域が見える。

なぜだろう?

もちろん、実際に地図上では海も湖もあるわけがない。
そして、その海にデナリの巨大な山容が、映り込んで
黄金色に輝いている。


蜃気楼、、


デナリの山容は、僕の視線の中心から大きく左右に構え
黄金色に輝く鷹揚な姿を、その手前の蜃気楼の海に映している。

飛行中はあまり一点を注視しないはずの僕も
このデナリの蜃気楼から、しばし視線をそらせなかった。

夢か幻か、
どうしようもない現実を生きる人間への贈り物か。

視覚が経験したことのない距離、はるか遠くに輝く山の蜃気楼


信じられない景色を見たあとは、
心の芯のどこか大切な部分が
確実に、、その構造をちょっとだけ変える。

飛行機乗りになってから10年以上が経ったけれど
今日のような景色を見て、さらに今日以上の風景を見て
そうやって、ずうっと風景をこころの中で追い続けて
いつか死んでゆくんだと思う。

ハスキーギャラリー

ハスキーに乗り換えてから
撮りためてきた写真を選んでみました。
(いまのところミクシィができる人だけ見ることができます)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=1162972&mode=photo

大きく開く窓のおかげで
実際に見た感じのまま、撮れているものもあります。

レンタルセスナでは、早朝も夕方遅くも飛べないし
窓も外せないから絶対に撮れない絵だと感じました。

写真を語るのは、千年早いのですが
結局、人との接点が写真であるわけだから
どれだけ影響を与えられるかが大事なのかも知れません。

山のとびきり感動する風景は、登山家が一番よく知っているように
空からのとびきりの風景は、鳥と操縦士が一番よく知っているということに最近気付きはじめた気がします。

だから写真術というのは、よく知っているとびきりの風景を
そのまま切り取って持ち帰ってくる行為のことではないかと。


すべてがそうなのだけれども
結局、飛ぶことも撮影することも書くことも
目的を達成する手段であり、その行為自体を
突き詰めることは、もはや私の年齢では
そんなに大切ではないような気がします。

それより、物事をまとめて
意味を与える行為が大切なのではないかと。

ぼーっとしている場合ではないのだと
先人たちから言われている気がして
毎日は、やっぱり慌ただしかったりします。

2007年2月11日日曜日

山田ズーニーさん

「大人の進路教室。」

聞いたことあるかも知れませんが
この山田ズーニーさん、
大人が抱える社会と自分の接点みたいなものの悩みを
自分の経験を交えて
真剣に語り話を進める素敵な方。

たぶん、、ですが
私たちのようないったん社会に出て
職場などで、そこそこ揉まれて来た人たちが考える
第2の人生(退職、転職、独立など、、)を扱った方は、
あまりいないと思います。

「17歳は2回来る」という著書も出されているように
17×2=34歳ぐらいのバリバリ働いている人が探し求める
次なる可能性、、というか達成後の不安感を
スッとなだめてくれるような、彼女の語り口。
最近の成功話にはない穏やかさを秘めています。

私も思えば、巨大な組織を抜け出して
社会と独りぼっちで対峙することになって
一年以上が経ちました。

はっきりいって
何にも属さず独りでメシを喰うということは
とんでもなく大変なことです。
独りになると、ものすごい自由と一緒に
とんでもない孤独と恐怖感が同時にやってきます。

そこで、はじめて分かるのです。
自由な身分でいるためには、孤独と恐怖に対して
常に戦い続けなければならないんだと。

でもその闘いは楽しまなきゃいけない、という宿命があります。
そこで楽しめなくなったら、
もう何かに身を委ねて安心したほうがよいんじゃないかと。
人間はそこまで強くはないですし、ね。

そんなこんなで友人から教えていただいたのですが
私的にとてもヒット。

今の職場と自分の10年後に漠とした不安
(もしくは辞めちゃって不安な人も)

がある人には、お勧めです。


世の中、素敵な方はたくさんいますね。

2007年2月7日水曜日

極北の海峡


なにげなく飛んだ時に
カメラを持っていたから撮ってみた作品です。

http://talkeetna.jp/AK_fLT_PICT/kaikyo/kaikyo.html

これでアンカレッジの西方面の三部作
斜光、霧、海峡
が出来上がりました。

野営飛行映像舎を元旦から始動させて一ヶ月。
写真とハイビジョン動画の作品点数がとても多くなり
一人では裁ききれないので、まだ眠っている作品は数多く。
HPの作品自体も絞りきれていなかったり
文章がイマイチだったり、
とにかく時間をかけられないのがとても悔しかったりします。
(それだけ撮影飛行が多いのですが、、)

今日も4時間の飛行、そのうち2.3時間ほどは
現地の友人Masaさん(HAIしろくまツアーズ)との飛行でした。
とんでもなく良い天気の時に
尊敬するMasaさんと飛べてとっても嬉しいものでした。
その飛行で撮ってきたハイビジョン映像は、とっても美しく
なんとかこれをお茶の間で放送したい!!と思いました。
ハイビジョンコンテンツが求められている今
普通の人ではいけない場所の映像をどこかに売り込まなくては
誰もみてくれないなぁと思いつつ
これも楽しみのひとつなのでしょうか?

夏は、放送局との合同企画の話がうまくいけば
活動も面白いものになってゆくでしょう。

ともかく野営飛行映像舎とハスキーの活動を本格始動させるために
応援してくれる企業などを探しつつひたすら飛ぶ毎日です。

頑張らなくちゃいけません!

2007年2月5日月曜日

アンカレッジの西、霧のスシトナ平原




2月4日アンカレッジ、朝7時半
気温マイナス14度、快晴

厳冬期の遅い日の出も、いつの間にか朝の7時台に
美しい朝焼けが見られるようになった2月初旬。

アラスカに住む人たちの気分は、既に春モード

太陽が出ている日中においても
刻々と伸びているのではないか?と
肌で感じる日照時間の増加


地球上の”いきもの”として素直な嬉しさ


朝焼けを空中撮影するために
珍しく早起きして飛行場にいるハスキーのもとへ向かった。

一日のうちで一番寒い時間の卯の正刻。
体感温度ではマイナス20度を超えているのではないか?と
思うが実際はマイナス14度。
朝焼け前の青闇が
緊張感のある朝を演出して寒さを誇張している。

ハスキーの防寒具である赤いウイングカバーをとって
飛行準備を進める。
作業で手は、かじかんで体も冷えきる。

全ては写真撮影のためのフライトだから
離陸から窓は全開にしておく。


真冬の上空1000ftで飛行機の窓を全開にするのは
とっても寒いが、気持ちの良いものだ。
古き良き時代の飛行士が、
窓なしで飛んでいた気分がどんなものかよく分かる。


誰もいない冷えた早朝に
のどを通って
すーっと胸に入ってくる
1000ftの清純な空気は、なによりすてき。

世界で一番美しい日本の渓流に
素足をひたす感覚にとても似ている。



アンカレッジの西
スシトナ平原は、霧の中。

さらに遥か西
スリーピングレディのずっと奥にある
アラスカ山脈とアリューシャン山脈の境目の
名もなき山並みに、
同じくアンカレッジの東側にある
チュガッチ山脈から這い上がってきた
太陽があたってピンクに染まっている。

光が東の山脈から西の山脈へ

アラスカの朝日は、真上からではなく
東から西へ斜めに物語を作る。

ここにすむ人たちの生き方との関係性の有無を
正面と後ろの景色を見ながら考えたりするが、
そんなことは、もちろんわからない。
ひとつだけ、ひらめいたことは
光はあらゆる方向から照らしてみるべきだ、ということ。

物事を無限の角度で見てみること。

この世の出来事は、すべて光の当たり具合でどうにでも変わる。


写真左:霧に囲まれたスシトナ平原
中央:名もなき山にあたるピンクの朝日
右:日の出の斜光

2007年2月4日日曜日

月刊エアラインに登場


みなさんご無沙汰しております。

まずは
ブログのアドレス変更のご報告です。
なぜかGoogleブログのバージョンが変更になり
今までのブログにアクセスできなくなってしまったので
新しいアドレスでのブログと相成りました。

これからもよろしくお願いします。

そして次のご報告。

2007年2月号の月刊エアラインに登場した模様です。
(まだ私は、直接見ていないので何とも言えませんが)

ぜひみなさま、それなりに大きな書店で置いてありますので
ご覧下さいね。