2010年3月30日火曜日

八甲田遠征!(1)

3月26〜29日で青森にある八甲田山に滑りに行ってました。

高田大岳から八甲田大岳方面を望む


弘前大学時代に、結構登っているこの山域も
卒業してからご無沙汰(なんと15年ぶり!)
であったので、大変楽しみでありました。

おもえば当時はまだ冬山でパウダーを滑るという行為は
それほどメジャーではありませんでした。

酸ヶ湯の駐車場から・・超好天!


現在よく耳にするバックカントリーという言葉すら
あまり聞かない大学時代、
私は細いピンクのカザマスキーにジルブレッダ404を装着して、
パウダーをこっそり楽しんでいたのを思い出しながら
八甲田酸ヶ湯に2日酔いと寝不足の状態で降り立ちました。
(前夜、苫小牧から夜間フェリーで八戸まで激しい宴会で睡眠時間、2時間弱・・・)


メンバーは、我が国の国防を担う人たち

メンバーは、北海道の6名と青森の3名。
相変わらず凄い体力と滑欲を持つワイルドな人たちです。
(Team dbrメンバー)

この人達のおかげで、
かなり楽しい激しい北海道ライフをおくっています(笑)


地獄沢です(奥に見えるのが八甲田の主峰、大岳)

酸ヶ湯から夏道沿い(といっても道はない)に
仙人岱ヒュッテ方面を目指す。
歩く左右に、美しいダケカンバと松の木が立ち並んで心が和む。









とにかく天気がよいので、
新機材での撮影よろしく(借り物ですが)
八甲田の景色をたっぷり堪能しました。
それにしても自分は無類の逆光好きなんだなと思うわけです。

気が付けば、こういう写真を撮っている・・・(笑)



みんなガンガン登ります。
ほとんど休憩なんてありません。

しかし、、、
大岳直下のコルまで来た時、天気が悪くなり、

時には、スキーを脱がなくては登れないハードパックバーン、




大岳アタックの時には、完全に太陽は隠れて
猛吹雪になりました。
晴天から猛吹雪になるまで、そうだな、、、30分ぐらいかな?


八甲田山域は、過去に遭難騒ぎが多発しており、
私の後輩も、ヘリ救出されてテレビ出演するなど
なかなか気合いの入ったヤバイ山です。

それほど、高くない(一番高くて1500mちょっと)なのに
なぜ遭難が多いのか?それは比較的平坦な地形が続いて、かつ
山域のある場所が、悪天の巣で天候の変化が急すぎる
というところから来るのでしょう。

こりゃ、まずいな。

と思ったらすぐにRTB

ということで、頂上目前で180ターン。
(今回のメンバーは、全員がリーダー級なので意思疎通もラクでした)

スキーとボードに履き替えて
大岳の南東斜面を恐る恐る降りてゆく・・・

雪面は、クラストしているのか深雪なのかも分からないぐらい
フラットな見え方で、滑りにくい。
滑ると案の定クラック多発で、とにかく這松の中を滑る。
そしてコルまでたどり着く。

過去に仙人岱ヒュッテが見つからず、
ビバークする事例をいくつも知っているので
早く仙人岱ヒュッテまで戻らねば、
という気持ちでいろいろと考える。
冬山は、過去事例に学ぶところから始まるんです。

仙人岱ヒュッテまでのフラットな地形を歩くこと、数十分。
吹雪は強いものの比較的視界は効き何事もなく到着。


そして安堵の仙人岱ヒュッテ。
(なぜかTシャツの人もいます)

安心しながら、1時間ほどヒュッテで休み
ラーメンを食べて、下山。

ほとんど視界のない強風の中、
青森チームの適切なガイドで
酸ヶ湯に到着しました。
(青森チームの3人!ありがとう!)

最後は、八甲田名物、除雪車のお出迎えサービス。


このあと谷地温泉に移動し、

冷えた体を湯浴みなどせんとして宴会へ突入せん・・
土佐日記よろしく、飲んで食べて温泉に浸かりました。



これぞ、東北の由緒正しき楽しみ方でしょう。
(それにしても、旨い酒と美味い鍋が出てきた・・・もてなしありがとう!!)


最近、1人仕事で溜まっていたストレスが
湯けむりとともに、何処かへ消えてゆきました。

明日は、高田大岳です。
次も凄いです。


つづく





2010年3月22日月曜日

日本人だから

http://cweb.canon.jp/camera/eosd/eosmovie/index.html

のEOSムービーサイトにある



さくら  十文字美信



後半、茶室での所作の映像がいい。



とくに
外国から日本を眺めたことのある人には、
グッと来るものがあると思います。



空気のような存在は
離れてみて、

はじめて
その大事さがわかるもの。

同窓の喜び

三連休、最終日ですね。


個人的な行事としては、
土曜日に旭川西高校、理数科の同窓会が(また!)あり、
国語を教えていただいた恩師、古川先生を囲んで
非常に懐かしく楽しい時間を過ごしていました。

師の授業は、個性を尊重する雰囲気であり、
当時の私に文学的な何かを与えてくれた・・かどうかは
わかりませんが(そう信じています)
私は理系にもかかわらず、
先生の授業がとても楽しかった思い出があります。

そんな師に20年ぶりにお会いできて、
結構、思うところはありました。
ぜひ次の作品は、
先生に最初に読んでいただきたいと思っています。


目の前の宴席にならぶ同窓の顔は、
高校卒業から20年が経過していて、
確実にその間の苦労や喜びのしわを
刻んでいるはずなのだが、みんな若いままで
当時と同じ綺麗な顔をしている。

なぜだろうとおもうが、
それは一緒に年をとる配偶者の変化に
それほど気がつかないのと同じことなのかな。

ほとんどが子供を持つ女子(!)は、より綺麗な女性になり、
昔、こっそりタバコを吸っていた悪い男子は、
父親の矜持に満ちた凛々しい姿に豹変していました(笑)


立場が、その人をつくる。


という言葉がありますが、
本当にその通りだと思いました。


誰も帰らない二次会では、
相変わらずナックスの森崎が
旭川西高の校歌を歌い、盛り上がる中
私は残念ながら途中退席してしまいましたが、
一生懸命生きているみんなに、大変な勇気を頂きました。


今年は、なんというか

それなりの表現をしたい


と思うのでした。




p.s.
幹事の吉田君、いつも本当にありがとう。

2010年3月8日月曜日

紹介記事です





このたび


Nifty デイリーポータルにて




ブッシュパイロットの仕留めたエゾシカの味
http://portal.nifty.com/2010/03/01/c/





として紹介していただきました。
(ライターの馬場様ありがとうございました)




さて、現在の私は、今年の計画や写真など・・・・
まだ言えないですが、
アラスカ関係の準備で
冬山に行けない毎日をおくっています。




また追っていろいろと
ご報告します。