2009年9月4日金曜日

カリブー猟(夜間飛行と死線)

ブルックス山脈の頂をなんとか越えて、その南にあるベテルス村へ着陸した。そのとき時刻は、すでに午後10時を回っていた。

通常アラスカ北極圏の8月中旬は日没が10時以降なのでまだ薄明るいが、この日は高曇りにあわせて乱層雲が散在していたので、すでに薄暗かった。それでも遠く北の空にはわずかに夕日が見える。日本などで飛行するとわかりにくいが、極北8月の夕暮れ時、南に飛行する場合、北に沈む太陽を背にするので進行方向は暗く、周囲はどんどん暗くなってゆく感じがする。逆に北へ飛行する場合は、夕日を見ながら飛ぶのでなかなか太陽は沈まない雰囲気がある。フェアバンクスとベテルスの日没時間の差は20分ほどしかないので、これは錯覚であるのだろうけど南北2つの日没時刻を追っかけて飛行しているような感覚は実に奇妙でおもしろい。

ベテルスで燃料を給油し、フェアバンクスの天気を確認してからすぐに離陸した俺は、なんとか今日中にフェアバンクスに戻ろうとしていた。ベテルスからフェアバンクスまでは、速度の遅いハスキーでは約2時間もかかるのでフェアバンクス到着は12時半、どう見ても着陸時には真っ暗闇だが、そのときはフェアバンクス国際空港に降りればいいと思っていた。夜間飛行は一年以上やっていないが特に問題はない。なにより明日のスケジュールも詰まっているから、なんとしても今晩中に戻ろう、とそれだけを考えていた。過密なスケジュールは自分の飛行で取り戻せばいい、みんなに迷惑はかけるわけにはいかない。

ベテルスを離陸、しばらく人工物が皆無の薄暗いツンドラの景色が続いた。ベテルスからフェアバンクスに戻る際は、ダルトンハイウェイを見つけてそれをフォローするのが一番安全で、まずその道を探す。しかし周囲の雲は次第に深まる闇とともに地形を隠し、自分の飛行高度にかかる高さの山の頂も見えない。山との不意な衝突を避けるため安全高度まで上昇、自分の位置把握に努める。静寂と闇色に染まった大地は、比類なき風景を見せてくれる日中とは対局の、完全なダークネスとしてどんな情報も発してくれない。ただ見えるのはユーコン川に近づくにつれて険悪になってゆく、わずかな光の反射で見える、たちの悪そうな雲だけだ。

雲を避けながら飛行すること1時間、やっとのことでそれとなく認識できる一本のダート道路、ダルトンハイウェイを発見、フォローする。夜間飛行用の操縦席視認ライトを点灯させ航空地図を確認する、飛行計器とエンジン計器が美しく照らし出されるなか、目で油圧計、高度計、速度計をひとつづつ確認しつつ地図に記載されている山の高度をていねいに読み取る。道路沿いを山にぶつからず雲を避けて飛ぶには、何フィートまで降下が可能かを知る必要がある。

ユーコン川を越える、灰色のダルトンハイウェイがまだはっきり見える、しかし雲はどんどん低くなっているような気がする。これは完全に闇夜になってきているための錯覚か、自分の姿勢と高度計を頻繁に確認する。地形判読に集中してしまい山に激突したパイロットの過去事例を思い出し、先人に学ぶのはパイロット能力の1つだと考えながら、自分の現在の飛行判断力を客観視してみる。航空局の定めた法的なマージンは十分ある、雲が厚すぎて雲上には出られないが、地面と雲の間がある限りまだフェアバンクスを目指せる。

暗夜の中、やっとフェアバンクスまであと30分のところまで来たとき、飛行経路であるハイウェイと雲の隙間が閉ざされてしまった。残り少しの道中であるがために執拗に雲の隙間を探すが、もうすでに漆黒になっていて雲を視認するのも困難だった。垂直尾翼だけ雲に入ったハスキーのストロボライトの反射が、雲の中で雷のように瞬く。幻惑を起こすこのストロボをOFFにし、着陸灯を点灯、なんとかフェアバンクスに戻ろうと雲の抜け道を捜すが、こういう状況はすでに危険であることも知っていた。死への道は、なんとか進路をこじ開けようとするパイロット自身にある。だから向かう道に確実に存在する死線は自分で決めて、その前に引き返さなければいけない。冒険における最大の安全手順は昔からこう決まっている。それはつまり・・・180度進路を変えること。

飛行高度、1500ft、5マイル先にある山の高さ約3000ft。
周辺は雲でべったりの夜間飛行。
そこがこのときの自分の死線だった。
いろんな思いを抱えながら180度ターンをし、ベテルスへ戻る。

今夜の旨い食事や、Uターンにかかるガソリン代の損失額を考えながら、北にうっすらと見える斜日を薄目で眺めつつ暗夜の雲層間を飛行する。地上と世の中の心配事が飛行状態にオーバーラップし、しばしエンジン音に異常を感じたりする。本当は何でもないはずのエンジンなのに。

ベテルスまで引き返すこと1時間半。
すでに真っ暗なベテルス飛行場に周波数をあわせ滑走路の燈火を点灯させる。
漆黒の大地に光るベテルス飛行場はリンドバーグが見たであろうパリの灯や零戦乗りの坂井三郎がみたラバウルの灯に匹敵する北極圏の灯として、ハスキーの前方に物語的に現れた。

午前1時半、着陸。
ベテルスロッジの前にハスキーをとめて翼の下にテントを張る。ピーク1ストーブに火を付けてお湯を沸かし、もう飽きてしまったマウンテンハウスを作っているとエンジン音で目を覚ました古老のパイロットがやってきた。ヘッドライトで照らすと寝間着のままでマフラーを巻いていた。

「大丈夫か?ケガはないか?お腹は空いていないか?」


思えば、深夜、この北極圏で飛行機を飛ばすなんて
誰でも不思議に思うことだ。
なにも見えないし何も撮れない、すべてが無駄だ。
それにただフェアバンクス帰るというだけで
夜間悪天候の飛行をするのは、どうかしていたかもしれない。


だが俺はそんな夜間飛行は嫌いじゃない。
それは見えない夜でしか見えないものが確実に存在するとおもうから。

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