2007年10月22日月曜日

「幸せの基準」

最近、雑誌の記事を読んでいて
とても考えさせられることがあった。

それは、とある女性作家のインタビュー記事だったのだが
今の日本人の生き方に関する批評というか提案的な内容であった。

彼女いわく
「日本人は、もっと全体として生きるということを大事にするべきなんです」

ん?どういうこと?

「生きるという行為は、日々の仕事をしっかりやってお金をたくさん稼ぐ
というだけで成り立つというものではありません。どんなに偉くなったって、ご飯も食べなくてはいけないし、近所のつきあいや友人との対話、家族との毎日の会話などや隣人の死、不幸などいろんなものと関わってゆかなくてはいけません。その一方、自分なりの楽しみなどを大事に持ちながら、なんとか心と体の安定を保ちながら生きてゆくのです。その点、日本人はそんな生活の中で、幸せの基準がとても貧弱というか豊かじゃない。他の国の人は、どんな貧困の人でも日常の些細なことに喜びを見いだして、それが幸せの一つの基準になっているのに日本人は何か特定の対象に突っ走って上を目指さないと幸せじゃないみたいで、すなわちそれは、全体として生きていないということなんです」

なるほど・・

「堀江さんがいい例です。東大に入学して目標がなくなり、その次お金という非常にわかりやすい目標に向かって突っ走った。でもその過程にあるものは、からっぽで突っ走っているときは何とか生きてゆけるけれど、止まると生きられない」

仕事辞めてから突っ走ってきた僕には耳が痛い

「生きてゆくこと、それだけで幸せ」が基準にない。たとえ自殺したくなるような辛いことがあったとしても、日常の中に幸せの基準があればそれを思いとどまることもできるのに日本人にはそのような基準がやっぱりない。いま日本では様々な社会問題が起こっていますが、それは幸せの基準が変になったこの国の必然です」


おかしなニュースが普通になった日本。
幸せの基準が変、、というのも納得だけれども

まずは
「幸せの基準」が個人で作れるようにするようになったら
いいのかもしれません。

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