ラベル アラスカ 〜空の旅〜 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アラスカ 〜空の旅〜 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年9月5日月曜日

アラスカ先住民村のまとめページ



アラスカのネイティブ村、いわゆる先住民の村をまとめつつあります。
http://www.talkeetna.jp/flight_journey/pg30.html

画面左のタブを選択するとそれぞれの村が紹介されます。まだ10数村しかまとめきれていませんが、着々と紹介してゆきたいと・・村でのエピソードは本当に沢山あったので。

村への飛行旅は私のアラスカ飛行の要であり(アラスカの村へは実質、飛行機でしか行けない場所がほとんど)、これの紹介なくしてHPの存在の意味がないのでなんとか完成まで頑張ってゆきたいと思っています。

しかし、、100以上の村(3年間でのべ300村以上)を回っているわけだから・・・ライフワークですね。

2011年8月24日水曜日

ニシンの大群

下の写真は、2010年の6月にベーリング海のUnalakleet〜St.Michael間の海岸線沿いを飛行した時に撮影した不思議な・・まるで白い絵の具をぶちまけたような海岸の光景である。

これは一体何だろう?? いつもながら飛行旅が終了したあと、Dr.トンネルマン(吉川教授)に写真を鑑定してもらって、その正体が分かった。それは、ニシンの産卵期に見られるオスの精子であるらしい。この現象を日本では、


群来(くき) と呼ぶらしく、

以下、netから抜粋。

ニシンが産卵のために大群で押し寄せる「群来」と呼ばれる現象は、海面が乳白色に染まっるもので「群来」は、産卵のためにニシンが大群で押し寄せ、オスが出した精子で海水が白く濁る現象である。


もちろんオスの精子があるということは、メスがそこに産卵しているということであるだろう・・・ということに気が付いて、非常にお世話になったS子さんにアラスカで見せてもらった写真があるのを思い出し、さっき必死になって捜したのが以下である。

2009.9.6フェアバンクスにて撮影

ニシンが昆布に卵を産みつけたもの子持昆布と呼び、珍味としてそのまま食べたり、寿司ダネとして利用される。(wikiより)


なるほど写真のニシンの卵は昆布にくっついてはいないが、なにか違う海草に産卵されたモノであろう。これの味はあまり覚えていないが、とにかくアラスカのしかも内陸部であるフェアバンクスで子持海草?いわゆる数の子モドキを食べられたことは、いまさらながらオドロキである。今写真を見ると「ゴクリ」!


今でも北海道の南西部、江差町などを尋ねれば、昔栄えたニシン御殿などの観光名所があったりするが、その時代に北海道を飛べばこの景色が見られたのか・・・と思うと何とも感慨深いモノがある。


いまや、北緯64°の6月にニシンの大群の「群来」を至るところで見るとは、色んな意味でニシンの住むところが変化したのでしょうね。

最近、北海道の漁港の岸壁でニシンならぬイワシを大量に釣り上げている自分としては、思わずにっこりなお話しでした。

p.s.北海道では、2月に群来」が見られることがあるようです。なぜニシンの群来」は北海道で2月、アラスカは6月なのか調べてみると面白そうですね。

2009年10月28日水曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(2)

雲上飛行

戻るか、雲上に出るか。

通常、森林火災の煙はある程度の高度までしか届かない。
だからその上まで上昇してやれば何とかなるものだ。

濁ったユーコン川上空から煙の隙間を探す。
煙か雲か分からない隙間から
少しだけ青い空を垣間見ることができた。

エンジン出力をあげて、上昇開始。
雲の隙間をめざす。

周囲の索敵、レーダーサイト周波数のモニター
速度、姿勢の保持・・・前方の天候確認。
やるべきことをやりながら判断材料を探す、
これがパイロットの仕事だ。

高度8000ftでやっと煙の上にはい上がる。



眼下の地上は、何も見えない。西向かいである前方に
煙の切れ間が出てくるのを祈るしかない。

最初の目的地、Galena(ガレナ)まであと2時間・・・

2009年10月27日火曜日

2009 8.3 Fairbanks→Galena(1)

2009年8月上旬
アラスカの北部中心都市フェアバンクスから西へ
北米大陸最西端のwales(ウエールズ)を目指す。



2009 8.3
Fairbanks→Galena


離陸時の天候、フェアバンクスは視程悪く
コマーシャルの定期便ですら着陸を見合わせる状況。
安全上、飛行は中止にしたいところだが、
この悪視程は、フェアバンクス周辺の山火事が原因であり
長期にわたって回復の兆しはない。
ただし、西へユーコン川を這って進めば、
次第に山火事の煙からは遠ざかることが出来るし、
川の上には障害物がないから自分の姿勢さえ
把握して飛べれば何とかなる。

飛行以外のことにも言えるのだろうが、
何かのミッションであることと、
単なる趣味であることの違いがここにある。

今回は、アラスカの村を回ること、プラス
永久凍土の温度分布を測定している装置の回収という
アカデミックな作業が課せられていた。
これは、アラスカ大学で永久凍土の研究をしている
吉川教授との共同ミッションである。

なにかをやろうとしたとき、
理由を付けて「できません」というのは簡単だ。
飛び出すのに不都合な理由を押しのけられるような「何か・・」
趣味ではなく人生の一部を捧げられるようなミッションを
個人が持ち得るかどうか。


フェアバンクスの西、小さなプライベート飛行場から
スペシャルVFRクリアランスをリクエストして、
ユーコン川へ出る。


ユーコンの南、ネナナ地区の燃え方がひどい。
煙は大地を覆い、風向きによってどの場所でも
視程はゼロになってしまう可能性がある。

ひとまずは、高度2000ftでも飛行可能であったハスキーであったが、
次第に高度300ftまで下がらなくては、
飛行に十分な視程が確保できなくなってくる・・・
旋回すると、確実にバーディゴに入る。
こんな状況は戦闘機時代以来、初めてだ。

戦闘機では、バーディゴというのは普通な感覚だ。
上半身をむき出しのコックピットだからちょっとした雲に入っても
姿勢が分からなくなることが多々ある。
だから実に懐かしい感覚、むしろ嬉しいような気もしたが・・

姿勢指示器で自分の姿勢を確認する、
外の風景では姿勢が確認できない。
このままではいくら障害物のない川の上でもあぶない。

頭の中での選択肢・・・戻るか、上昇するか。
思考の瞬間もハスキーは進み続ける。

2009年10月22日木曜日

Nikolai Stay(2)

アサバスカン・インディアン達とのパーティのあと、 11時に寝た俺は、翌朝の9時まで数回起こされることになった。 
自宅だけでは、飽き足らないダニエルが、よその家に飲みに行ったり、家に戻ってきたりと、なんどもバタバタ騒いで家に出入りしたためだ。  
完全に酒に飲まれてしまっているダニエル。 
ネイティブ・アラスカンが酒を呑むと収拾が付かなくなるという話は聞いていたが、普段は非常におとなしくて口数の少ない紳士的ハンティングガイドである彼が、まさか!そうなってしまうとはとても信じ難い。  


朝六時、とうとうダニエルは俺の寝ている部屋のドアをノックしてきた。 
どうやら朝まで飲み続けていたらしい。 


ダニエル「今日の11時に戻ってくるから、待っててくれブラザー、その後ハンティングにいこう!」  


といって彼は家を出て行った。 まだ眠かった俺は、「OKだ」とだけ返事をしてまた寝袋をかぶった。
居間で寝ているヘレンは、きっとほとんど眠れなかったはずだ、ダニエルは居間で友人達と騒いでいたのだから。  


そして朝、9時起床。居間にいくとダニエルはいなかった。 
ヘレンさんが、起きてきてちょっと濃いめのコーヒーを入れてくれる。  
二人で庭に出てコーヒーを飲みながら、ダニエルがうるさかったこと、眠れなかったこと、そして目の前を流れるカスコクイム川の音がクワイエットで良いね、という話をした。
村の朝は、ほとんど音がしない。かすかに聞こえるのは、発電機の運転音だけだが、ネイティブの人たちは朝起きるのが遅いという理由も経験的に知っている。  
それにしてもダニエルは、いつ帰ってくるのだろう?そもそもどこにいったのだろう?村の人口は、100人程度でそう大きくはない。何処に行ったってすぐに戻ってくるはずだ。  


ヘレンさん「イサオ、ダニエルはしばらく帰ってこないわよ」  


俺「どこに行ったのですか?」  


ヘレン「飛行機で30分かかる隣の村に定期便で酒を飲みに行ったのよ、朝出かけたのはそれ、だからたぶんしばらくは帰ってこないと思うのよ・・本当にしょうがない人!ガイドのお金が入ったらすぐに、お酒を飲みに行くんだから!」  


俺「じゃあ、今日のハンティングもなし?」  


ヘレン「そうね、だからあなたもうフェアバンクスへ戻った方が良いわよ、じゃないと何日も無駄に待たされてしまうから」  


11時の約束の時間になっても、ダニエルは戻ってこなかった。 その後、数時間待ってみたがやはり彼は帰ってこない。 しかたなく俺は、ダニエルとハンティングという目的を達成しないまま、フェアバンクスへ戻ることになった。  


ヘレン「ごめんなさいね、でもこれに懲りずまた来年も来なさいね」  


俺「お金がない時なら、ダニエルもまた良いハンティングガイドに戻るかな?」  


ヘレン「その通りだわ、来年は8月の上旬に来なさい、待っているわ」  


ひとりフェアバンクスに飛行する悲しさは、なんとも言えなかったが、これもまたひとつの面白いストーリーだろう。「ネイティブ・アラスカンと付き合うには根気がいるのよ」と誰かに聞いたことがある。ダニエルが、なぜ約束を守らず酒を飲みに行ってしまったのか、それは分からないが、とにかく一年そこそこで彼らと仲良くはなれないということなんだろう。 気長に、何年もかけて付き合ってゆこうと心に誓ったのであった。 そしてこれは今年アラスカ最後の飛行で、最後のエピソード。  


p.s. 
フェアバンクスに戻り数日後、ニコライにいるはずのダニエルに電話をしてみた。 彼はお金が無くなり、ニコライに戻ってきていた。いつ戻ったのかと聞いたら、あの日の二日後、と言うことであった。あのまま待っていれば二日間待たされていたことになる。 また、ハンティングキャンプに残されていた両親は、無事にブッシュパイロットが来てニコライに戻ったとのことだった。唯一心配だったご両親のことをこのときに聞いて安心した。 酒はもうやめたと電話でいっていたダニエルだが、また来年もカネが出来れば飲むだろう。 それでもまた来年も辛抱強くニコライに行くつもりだ。 じっくりとじっくりと。 それがアラスカでの人とのつきあい方だから。

2009年10月21日水曜日

NIkolai Stay(1)

デナリの西麓からニコライ村へ戻った俺は、 
ダニエルの家で、お世話になることになった。  


ダニエルはアサバスカン・インディアンであり、
要するに俺は 先祖代々ここに住むネイティブ・アラスカンの家にお世話になるわけだ。このことは外国人である自分にとっても、かなり珍しいことに他ならない。 日本人でアラスカにやってくる人の95%は、ネイティブの人たちの家に 泊まったことはないだろう。もしあったとしても、お金を払ったり、もしくは 違うルートで事前交渉しなければ、なかなか村の人たちは受け入れてくれない。それほど、ビジターとしてネイティブ村の家に泊まるということは難しい。  


いままで100近いネイティブ村に飛んだことのある自分としては、 
フレンドリーであり、また受け入れ難くもある場所・・それがネイティブ村の印象だ。  


さて、カスコクイム川が正面に見える丘に建つダニエルの家に入る。 家の外観は、中規模平屋のログハウス。南東向きに風除室があるのは なんだかニセコに似ている、ここも冬に北西の風が吹くのだろうか。 風除室に、散弾銃と古くなったライフルが4丁、無造作に立て掛けられている。 カリブーとムースの角と、何か分からない毛皮が壁につるしてあり、 一目でハンティングに関係する人が住んでいることが分かる。  


案内されて居間に入ると、中年の女性が挨拶してくれる、ヘレンさんという名前のダニエルのいとこにあたる人だ。ダニエル一家(正確に言えば、ダニエルのお父さん一家)がハンティング・キャンプにいる間、家の世話をするお留守番というわけで、俺が泊まる晩の食事を作ってくれた。  居間には、テレビと食卓テーブル、そしてベッドがひとつ。 ソファや生活道具が、これも微妙に片付けられた状態で並んでいる。 壁には、ロシア正教のものと思われる肖像画が数点飾られており、 信仰の厚さを感じられる・・と思いきや、食事の風景などを見ていると そうでもなさそうな雰囲気である。あの食べる前の儀式はなかったのだから。  


ダニエル「今日はお疲れさま、ニコライまで戻って来てくれてありがとう、明日は朝から熊ハンティングにいこう!」  


といってダニエルは、ウオッカのボトルを黒い鞄から出して 二つあるショットグラスになみなみと注いだ。  


俺「あれ?ここはドライビレッジじゃないの?」 
(注:ドライビレッジ→お酒を飲むこと持ち込みを禁止されている村)  


ダニエル「いいんだ、多少であればな。俺たちだって家で飲みたいんだ、分かるよな、、じゃ乾杯!! 」  


俺「ああ、わかるよ、乾杯」  


お酒の持ち込みや飲酒に関しては、厳しい法律上の罰則がある。 
まさか飲むわけにもいかず、しかしそこでお酒を無視するわけにもいかず、 
結局、軽くなめる程度でグラスをテーブルにおいて上手くごまかす。 


ダニエルが久しぶりに帰ってきたというのと日本から客が来ているというのもあって、ダニエル邸には沢山のネイティブが遊びに来た。 会話の内容は、ハンティングのこと、村のこと、日本のこと、白人のこと、アメリカのこと、そして昔のこと。  


そうしているうちに・・・
ダニエルと周囲の人たち は相当なウオッカを飲むようになり、、 
それに比例して口数も多くなってきた。 


誰かが、真珠湾攻撃の話をした。 俺的には、まったく問題ない話だったのだが、それを聞いたヘレンさんが 急に怒り出した。ヘレンさんは酒を呑んでいないのだが・・・  


ヘレン「あなた!真珠湾の話をしてはいけないわ!この人が誰だか分かっているの?」  


周囲は、急に静かになり、真珠湾のことを話しはじめた男性が俺に謝りだした。 なんともアメリカにいる気がしなかった。アメリカで誰かが真珠湾の話をしてもべつに悪い気はしないし、今更という感じはある。ゲストである自分に大変気を遣ってくれている感じがするのだが白人とパーティーするとこんな宴会にはならないし、どこか内省的な宴会だな、とも思った。反省会みたいな宴会は我々もたまにあるので懐かしい感じもするのだけれど。  


そんな宴会が長く続き、疲れている俺は眠くなって11時に寝てしまった。 
ダニエルは、さらにどこか別の家に酒を求めて、いってしまったようだ。

2009年10月20日火曜日

夜間ブッシュランディング

キャンプを後にして、我々は雪のツンドラから地帯から離陸した。
しかしここで多少の問題があった。

ダニエルは、体重100kgを超すであろう巨漢、
まずハスキーの後席に乗るのが大変、かつ飛行に関しては
大変な重量オーバーが予想されたので、ダニエルを後席に乗せて飛ばすには
自分の荷物をほとんど降ろさなければならなかった。

いままでの旅で使っていた荷物も相当ある。
折りたたみ自転車、テント、靴、カメラ、食料・・・
それらを何もない雪のツンドラに放置するのは、かなり忍びなかったが
ダニエルをニコライへ連れて帰るには仕方がない。

結局、ダニエルをニコライへ連れて帰った後、
再度すぐに、西麓へ自分の荷物を取りに帰った。
明日になれば、悪天で戻れないかもしれないからだ。

荷物回収着陸時、すでにデナリの山麓は真っ暗、
半ば夜間ブッシュランディングである。
天気の関係で明日自分の荷物があるか分からない状況、
なんとしても着陸して回収しなければ・・・という思いで一杯だった。
真っ暗なライトもない中でのブッシュランディング。
着陸操作中は緊張よりも、
自分の無謀さを黙認しなければ・・・と言う気持ちが勝った。


ひとつの救いは、雪で周囲が若干見やすかったと言うことだ。

(この写真も、焦る気持ちの中でようやく撮影したものであった)


独りニコライへ戻ったときは、すでに真っ暗であった。


着陸時、一斉に集まってきてくれたニコライの住人達。

「よくこんな時間に降りてきたな!」

そう言ったダニエルが、「うちに泊まれ」と言ってくれたので
遠慮なくお世話になることに。
10日間の長旅にとんでもない着陸の緊張で、
疲れ切った体には嬉しい親切であった。

デナリ西麓ハンティングキャンプ




ハンティングキャンプに着いた。

比較的綺麗な外観のログハウスに入ると
ダニエルの両親がいた。
ログハウスの角には、大きくシンプルな薪ストーブがあり、
部屋全体をゆるやかに暖めている、中央には大きなテーブルがあり
その上には雑然とキャンプ用の食器と
中が空洞になっている巨大なムースの骨が並んでいて、
対面にはダニエルのお父さんが座っていた、
お母さんは、いろいろと台所仕事をしているようだ。
ダニエルは薪ストーブの前で、俺が運んできた郵便物を読んでいた。

ダニエルのお父さんと帰りの飛行機の話をする。

飛行機が来なくて帰れないのは大変ですね、

「いや、ここでのんびりと暮らしているのもいいもんだよ、急ぐ用事はないから」

と笑いながら答えた。そうなのだ、特に会社に勤めるでもなく、
期限のある返済があるわけでもなく、この山は彼らの時間で流れている。
貨幣観念が、かなりの割合で通用しない場所とも言える。
カネが人間を急がせ、カネが人間を困惑させるという事実は、
こういう場所で気がつく。
そして皮肉なことに、誇り高きアサバスカン・インディアンである彼らもまた
下界に降りると、同じことになるのかもしれない。

ダニエルのお母さんに、ムースとサーモンの干肉、乾いた食パンとちょっと臭いのするバターをいただく。下界とは切り離された世界の食事は、お世辞にも旨いとは言えないが、旅の空腹を満たすには十分な栄養と量だ。
そして、訪問者である自分を受け入れてくれたことがなによりうれしい。

お父さん「今晩は泊まってゆくといい。もう時間も遅いからな」

俺「そうですね、そうしたい所なんですが・・・」

ダニエル「熊がいるかもしれないから、ひとまず飛んで周辺を探すよ、それで獲物がいないようだったら、そのまま村に戻るよ」

俺「そう、それがいいです、この雪と天気じゃこのキャンプに飛行機を置いておけないかもしれないので、、、本当はこのキャンプに何週間でも滞在したいんですが」

お父さん「そうかこのキャンプをそんなに気に入ったのか、、でも確かに飛行機を置いておくには時期が遅すぎるかもしれんな、まあいい、また来年ゆっくり来ると良いよ」


正直なところ、このキャンプは飛行機でしか行けない絶景で、
ハンティングには最高の場所、なにより下界と離れているという点で
何ヶ月でも滞在してみたかった。
俺がなにか宗教の熱狂的信者であるならば、このキャンプは差し詰め
聖地や寺院と言ったところだろうか、誰にも譲れない場所という感じだろう。
そしてひとつ確実に言えることは、日本にはこんな場所はない、と言うことだ。

しかし残念なことに、風雪に耐えるだけの係留設備を持たないこの場所、
デナリ山岳地帯9月下旬、そうのんびりとしてはいられないのだ。
来る時期が遅すぎた。

こういうときに飛行機を持つことの自由と、不自由を感じる。
空飛ぶ道具は、自由であればあるほど時に最悪のお荷物となる。
飛行機でしか行けない厳しい場所で大胆に活動しようとすればするほど。

すでに午後3時。
今日は、なんとしても日が暮れるまでに、このキャンプを降りなければ行けない。
ダニエルに話して、荷物をまとめさせる。

我々は、ダニエルの作った飛行場に戻った。
魅惑のハンティングキャンプに後ろ髪を引かれる思いを感じながら。

再会ダニエル


周辺の白い世界を懐かしい思いで眺めながら、
ハスキーに寄りかかってダニエルを待った。
思えば、雪原への着陸は本当に久しぶりで、しかも
こんな山奥での着陸は初めてのことなのだが、心は落ち着いている。


場所は、飛行機でしかアプローチできないデナリの西麓、高度2000ft、9月下旬の冬景色。遠くからバギーの音が聞こえてきた・・ダニエルだ。

ダニエルは、麓の村ニコライの住人でアサバスカン・インディアンである。
職業はハンティングガイドであり、
村では「マウンテンマン」と呼ばれているほど山好きな男だ。
だからハンティングシーズンにはずーっと山で暮らしている。
その山がこのSliver Tipsと言うわけで、
8月上旬からすでに2ヶ月近く電気もガスも水道もない場所で暮らしている、、、
というよりは彼にとってインフラがないのは当たり前で
たとえて言うならば、宗教における寺院のような
神聖で心落ち着ける場所であるのだ。

俺とダニエルが知り合ったのはちょうどその8月上旬、
ダニエルが仕事でこのキャンプに来る直前に
ニコライ飛行場で偶然知り合ったわけだ。


静寂を爆音で切り裂いてきたバギーがハスキーの横で止まった。
数ヶ月も風呂に入っていないにしてはこぎれいなダニエルが、
多少の笑みを浮かべている、軽く握手しながら、
久しぶりに、しかもこれ以上ないシチュエーションで再会出来たことを
俺たちは喜び合った。

ダニエル「よくきたな。良い滑走路だろう?」

俺「これはダニエルが作ったの?」

ダニエル「そうだ、幅は狭いが長さは十分だろ?」

俺「雪がなければ、もっと最高だけれどね、、ところでなぜまだキャンプにいるんだ?もうムースハンティングは終わっただろ?」

ダニエル「たしかにムースハントのお客さんはとっくの間に帰ったんだ。だから帰っても良かったんだが、、迎えの飛行機が来ないというのもある、どうやら頼んでおいたブッシュパイロットがどこかで事故ってしまったようなんだ、そして二つ目の理由は、おまえを待っていたから」

俺「じゃあ、ひとまず俺と一緒にニコライに帰れるというわけだね、ちなみにこの雪と今の季節じゃ、ハンティングはどう?」

ダニエル「ニコライに戻りながらでも考えよう、熊がいればまた状況は変わるさ。ひとまず俺のキャンプサイトに来てくれ、俺の両親もいるから」

俺「両親もいる?そうか、お父さんもハンティングガイドだもんな、一家でハンティングキャンプを守っているというわけだな」

ダニエル「まあ、そんなところだ」


俺とダニエルは、ひとまずハスキーを安全な場所へ移動させた後、
バギーを二人乗りしてハンティングキャンプへ向かった。
キャンプまでの数マイル頬にあたるデナリ山麓の空気に意味を感じる。
なぜ自分がこんな所にいるのか、どういう運命が自分をここに連れてきたのか
反芻する余地もないぐらい自然な存在感である自分と、逆にそれを疑い奇妙な違和感を感じる自分。

ハンティングと飛行機がもたらしてくれる、巨大なダイナミズムと
デナリがもたらす完全静寂場としての活動空間。
そしてそれらをつなぐのは、人の意志。

事象と世界をつないで、新しい世界と価値観を作る
その先にあるのは、我々の目指すべき精神そのものである。

2009年10月7日水曜日

雪のハンティングキャンプへ

一路、フェアバンクスを目指し北上DillinghamからKoliganekへ。
Koliganekで一泊した後、Mcgrathで給油しNikoraiへ。

今回の旅の最後は、ニコライの友人ダニエルと合流して
デナリの西麓にあるハンティングキャンプにいくことだ。

まずニコライ村に着陸、
相変わらず一気に集まってくる村人にダニエルの居場所を聞く。

村人A「ダニエルは、まだ山のハンティング・キャンプにいるよ」

俺「まだキャンプにいる?いつまでハンティング・ガイドやっているんだ?」

村人A「知らないよ、ただダニエルはマウンテン・マンだからね。彼は何ヶ月も山にこもっているよ、Sliver Tipsというキャンプだがら行ってみれば?」 

村人B「ついでに、ダニエルのメールを運んでくれる?」

と言って小さな段ボールぐらいの包みを俺に渡した。
ハンティングキャンプ、山の雪、ダニエルはいまだキャンプに。

気になる点がいくつかあるのだけれど、
メールをもらったからにはSliver Tipsというキャンプに行くしかない。
航空地図を見る、キャンプは地図に記載されていないので
おおむねの場所を聞いて書き込む、
高度2000ft、デナリの西麓、険しいアラスカ山脈の入口。

離陸後ニコライから南へ30分飛行、周囲は、雪で覆われていて冬の景色だ。


するとデナリを源流とする大きな川に隣接するSliver Tipsらしきキャンプが、
立派な10ほどのログハウスをなして見えてきた。


キャンプ上空にたどり着くとログハウスから、
ひとりの大男が出てきて、ATVに乗りながら山の方向を指さしている。
ダニエルだ、彼が着陸帯の方向を示しているのだ。

指の方向へ飛行機を滑らせる、そこに着陸できるところがあるはず・・・

しかし、そこには雪で覆われた滑走路というにはあまりに狭い
ちいさなちいさな幅の小道しかなかった。

距離は十分なのだが、しかし幅が狭すぎる・・5メートルぐらいではないか?
しかも雪で完全に覆われているから、この「小道」は着陸中、簡単に逸脱してしまいそうだ。

と思うのも束の間、エキサイトしている自分はいつのまにか
滑走路横にある旗で風を確認しつつ、最終経路に突入していた。

滑走路は、幅が狭いだけで長さは十分、風は弱い。
問題は雪でパックされたツンドラ上に降り立つ機体を
どうやって止めるか・・・・だ。
タイヤは、溝の全くないスリックタイヤ・・ブレーキが効くかどうか。
しかも、こんな狭い幅の場所には降りたことがない。

経験のない危険だと思われる場所に着陸する場合は、
なにかはっきりとした理由があるときだけだ。
意味がないのに飛行場以外のブッシュ地帯に着陸すれば、
命とお金は、いくつあっても足りない、、とこれは
ここ数年のアラスカ飛行で出来た自分の中のルールだった。
自分のルールに例外はないはずだ。

ここでの着陸のためのはっきりとした理由は、
ダニエルがなぜ、まだ山にいるかを知ること、
頼まれたメールを渡すこと、そしてSilver Tipsキャンプを見てみること。


着陸経路のファイナル、迫る雪の滑走路である小道が迫ってくると同時に、この小道がいかに狭い幅であるかがよく分かる。こんなところに本当に降りるのだろうかと自分を疑いながら出来るだけ低速で進入、しかし視覚的に感じる速度は早い。そろっと、やさしくタイヤを接地させて進路をキープする。インパクトのあるランディングは逸脱しそうなので御法度だ。

途中、小道に山が出来ていて方輪が大きくバウンド、翼が雪面に近付く。ここで飛行機の翼が地面を引っかけて横転するところをイメージする、次の一手である操作をするため体が一瞬こわばるが、機体は若干左にそれただけで元に戻った。焦るのと同時に、こんな瞬間の自分を楽しむ己の存在を悟る。

しかし・・ここは、本当に滑走路なのか?
夏なら何とかなりそうなんだが・・・止まれるだろうか。
タイヤと雪の摩擦の少なさは飛行機をいまだ停止させず、
残滑走路は、どんどん減ってゆく感じがする。
「減ってゆく感じがする」・・というのは尾輪式飛行機特有の
前方視界の悪さのため、おおむね推定するしかないということだ。

その後ブレーキを慎重に使用してなんとか停止したが、ブレーキはタイヤの回転を止めているのに、機体は最後まで滑っているという体感だった。

デナリの西麓、見渡す美しい景色の中に降り立つ(左にハスキー)


この景色の素晴らしさは、
ここに降り立つ恐怖に比例していた。

雪が音を吸収する静寂の中、
白い息を吐きながら3回、深呼吸する。
ダニエルは、もうすぐATVでやってくるはずだ。

2009年10月4日日曜日

クライシス2

ベーリング海を右に見ながら東へ飛ぶ。
PlatinumからDillinghamへ。

依然、ベーリング海の範疇であるものの、
Bethelを端とした南西部から確実に離れることに少しばかりの寂しさを感じる。
あれだけ人間の臭いのしない場所を知ると、
いま戻っている東への飛行進路が、
アラスカとは違う文化圏への経路のようだ。

本当のアラスカから遠ざかる感じがする。


Dillingham、フィッシングシーズン終了時期、店じまいの飛行機で
飛行場が大混雑。トラフィックパターンにすでに3機、飛行場の周囲に2機。
しかし大きな飛行場の割に、ここには管制塔がない。
出る情報は、数分前に分かっていた飛行機の場所のアドバイスだけ。
これだけの交通量で管制しないのは危険だな、、、と
飛行場にいる飛行機と、それに向かって北から進入してくる飛行機を探す。

一機、二機、、、三機目・・・・が見えない。
操縦席から右側、2時半、5度下に見えるはずの飛行機が見えない。

目を凝らしてライン上に捜索する。軍事用語では索敵だ。
自分以外に空を飛んでいるものは、基本的にすべて敵だと教える軍隊の言い回しは言い得て妙だが、こちらのほうが自分にはしっくりくる。前方1割、後方9割で索敵しながら戦っていた空自時代が懐かしい。

すると、、、
右ばかり見ていた自分に、左から何か気配を感じた。
とっさに操縦桿を引いて急上昇・・・心臓が飛び出そうになる。

真下を上昇しながら
一瞬にして過ぎ去る飛行艇が一機。

「見えてないくせにパターンに入りやがって・・・この!馬鹿野郎!」

聞こえもしないし、
どうしようもないのに、怒鳴ってしまう。

飛行艇は上昇しながら、何事もなかったかのように右に抜けていった。
飛行場のパターン内である、とんでもない場所を突き抜けてゆく飛行艇パイロットは俺に睨まれている。

着陸は、北から来ている飛行機の前数マイルをショートカットするように
パターンを縮める360°着陸法で進入する。
飛行場の吹き流しを見て風を確認する、
右から直角に息のある風、20kt弱・・・これはまずい。

この飛行場は、ほかにも問題がある。滑走路が舗装されており、
ハスキーのツンドラ用タイヤでは、グリップが大きすぎて事故を起こす
可能性が高くなる。それが横風の状況下だとさらに危険性が増す。
だから大きなタイヤの飛行機は、砂利とか草の滑走路のほうが都合がよい。

どんなことでもそうだが、まずい状況が2つ重なった場合、
すぐにそれを中止するというルールがある。
しかし今回はそれが出来ない、ここに降りなければ帰りの燃料がないのだ。

横風が強いのは、時の運。
燃料が必要なのは、分かっていた事実。

着陸フェーズ

滑走路にタイヤを接地させようとすると風の息が止み、
飛行機が急激に落下する、それを防止するためパワーを足すと同時に
風がまた吹き荒れ、飛行機は無意味に浮揚する、
風とエンジンパワーがうまく調和せず、パワーを足したまま
舗装された滑走路に右主輪だけを付ける、、、
左羽根をあげたまま方輪走行で滑走路を走る。
右に偏向する機体を左主輪と尾輪を浮かせた状態のまま、
まっすぐ走らせるたあと、パワーを引いてアイドルにする。
すると左主輪が接地、そのうち尾輪も滑走路に付く・・そこが緊張の瞬間だ。

尾輪接地と同時に、飛行機が大きく風上の方向、右側へ偏向する。
操縦桿はすでにフルで右だ、左ラダーを蹴る、でも機体は風見鶏のように右へ進み
滑走路を逸脱しそうな方向をとる、場合によってはブレーキを使わなければ。
「だめだ、このまま行けば滑走路を逸脱する」
進む成分を止めるためやむなくディファレンシャル・ブレーキを使って機体を停止する、どうしようもない。
滑走路内の右側半分でいったん停止したあと、ゆっくりとパワーを足して再度タクシー、飛行機がまっすぐ進めない状況下で、後ろから来る飛行機が「滑走路で止まる気か?」とラジオで言ってくる、
「うるせえ、こっちはまっすぐ進めないんだ」
と無線機のスイッチを押さずにつぶやきながら、斜めに進んで滑走路を開放。
後ろを気にして見ると、後続機はまだ接地前だ、
「どんなセパレーションがおまえには必要なんだ?」と
冷やかし半分で言ってきたパイロットをまた睨みながら言った。

「前輪式飛行機のおまえには分からないんだよ」



基本的に生き残るためには、
周りと戦わなければならないときがある。

そして

危険なことは必ず二回やってくる。

2009年9月30日水曜日

プラチナという村


飛行旅、8日目。

夜が明けきった9時頃、Tuntutuliakの学校を出て飛行場へ向かう。
村に張り巡らされているwalkboard(木道)には霜が降りている。

北風は依然としてどこでも強く、
アラスカ南西部は、大気の動きに海と陸の境目がない。
地形が完全にフラットなアラスカ南西ツンドラ地帯にとって
ベーリング海は常に一対のものであるのだ、ということがすぐわかる。

Bethelに降りて、燃料補給。
アラスカの僻地では、燃料を補給できる場所が極端に少なく
飛行における給油マネージメントが生死を分ける場合もある、
しかも値段はとてつもなく高い。

旅後半いろんな状況が厳しい中、村を転々と回る。

EekQuinhagak

Eekでは、高校の先生にお願いされて授業に参加。
今回の旅の目的のひとつである永久凍土に関する軽い授業だ。
授業を受けている高校生は、日本で言えば中学生ぐらいに見える、
そのうちのひとりに妊娠しているお腹の大きい女子生徒がいた。
アラスカ、ネイティブ村は子供の数がとても多い。

Quinhagakでは、着陸と同時に「Landing Fee」を請求される、$15ドル。
代金を払い終わると代金請求係の女性は、
誰もいない飛行場に独り佇んで次の飛行機が来るのをじっと待っている。
これも仕事なのか、
でも飛行機なんてせいぜい、1日に2〜3回しか来ないはずなのに。

GoodnewsPlatinum

Goodnews
名前のおもしろさとは裏腹に、とんでもなく着陸のしにくい飛行場、
その原因は、飛行場の北側にある山だ。
北風の強風時には飛行場を乱気流の渦にしてしまうこの地形、
横風に弱い飛行機である尾輪式のハスキーに10〜20ktで変化する横風が襲ってくる、
着陸直前に急激に上下する飛行機を地面に付けるために
スロットル、ラダー、操縦桿すべてを駆使して、なんとか接地させる。
とんでもない動きをして着陸する飛行機は、傍目から見ると下手くそに見えるかもしれない、でも生きていればいいのだ。

Platinum
プラチナという名の村。砂嘴に村のほとんどがある。
隣接する山の麓にプラチナ鉱山があるらしく露天掘りの風景が上空からわかる、
ノームやフェアバンクスの金鉱山を思い出して、
この国の豊富な地下資源を想像する、
そしてそれを必要として生きる人間たちも。

土地は国そのものであり、我々は本当に地球から
いろんなものを採って生きているのだと思う。

Platinumを離陸して、
いよいよ旅は最終パートである。

写真:プラチナ鉱山

2009年9月29日火曜日

海を越えて

昨日のMekoryuakから無事に海を越えて本土に戻ってきました。



高度10000ftまで上昇、外気温−20度のなか、
海峡を映す太陽と雲のシルエットがあまりにも印象的で、
いままでやってきたことや、これからのことなどが
どうでも良くなってくるような、そんな瞬間に包まれました。

真にアラスカの南西に惹かれました。


その後、

Chevak→Kipnak→Kwigillingok→Kongiganak→Tuntutuliak

とまさしく舌をかみそうな名前のユピックエスキモー村に立ち寄りました。
(軌跡と場所はこちら)

我ながら辿ってきた軌跡を見ていると、頑張っているなぁ・・・
そう、また風がとんでもなく強くなってきて
またまたやばい感じです、気圧配置も微妙です。ベーリング海は恐ろしい。

それでも子供は風の子です。
寒い外でもみんな元気に遊んでいます。




へとへとになって着陸し村に入るので
子供達の笑顔には、とても癒されます。

明日も頑張ろう。

2009年9月26日土曜日

ユピックエスキモー村滞在記(4)

バレーボール後、部屋で休んでいたら
ユピックエスキモーの子供二人がやって来た。
遊びに来たのは、
ソフィとジャスティンという13才の
少しまじめな話もできる子供たち。

その二人とはいろんな話を小1時間ぐらいした。
日本のことを聞かれたり、彼らのお父さんやお母さんの仕事のことや、
今日食べた夕食のこと、あとは学校の少し太り気味な女の先生の悪口だったり。
ソフィは、「わたしを養子にして日本に連れて行ってよ」なんて
本気とも冗談ともつかないことをいっていた。

そして最後には二人でエスキモー太鼓を目の前で叩いて歌ってくれて
なんか妙にほのぼのとしてしまい、
本当に退屈しない、そう人間的に退屈しない村だな、、とつくづく思った。


ソフィとジャスティンに聞いたところによると、

本日の夕食

ドライフィッシュ、フローズンフィッシュ、エスキモーアイスクリームなど

ドライフィッシュの種類は、
ブラックフィッシュ、サーモン、ハリバット、パイク、トラウトなど。

そして食事の割合は、

食事の90%は、土地のもの。
残りは10%ぐらいは既製品。

だそうだ。

ジャスティンのお父さんは、ほぼ毎日、狩猟に出かけていて
何かを獲ってくるらしい、最近ではガンなんかが旬であるとのこと。
そういえば昨日、学校の先生が家の前でガンの毛をむしっていたのを見た。
「今日は、スープにするのよ」とその白人の若い女性の先生は言っていた。
狩猟採取は日常のことになっているんだなぁ、というわけです。


午後9時、
もうすでに誰もいない暗い学校を歩き回ると、

「麻薬は冬のようなものです、我慢すれば春が来ます」

「子供達と覚醒剤の危険性について話そう、そして我らの文化を語り継ぐ重要性を教えよう」

「老人の話に耳を傾けよう〜豊かな文化の基盤は、老人と子供のつながりにあります」

なんてポスターが貼ってある。

俺は村の現実を見ていないのか、こんなポスターが学校に張ってあるなんて
いまのところ理解しがたいけれど、冬になればそれがわかるのだろうか?

ここに冬もいなさい、と言われたらどうするだろうか。
ちょっと考えてしまう秋の夜長、ナイトミュートでした。

明日は、晴れて欲しいです。

2009年9月24日木曜日

ユピックエスキモー村滞在記(2)


給食を頂いた後は、
エスキモーの言葉である

 YUP'IK (ユピック語)

の授業に参加しました。

先生は、アントンさん。

授業前、エスキモーのアントンさんに
ナイトミュート村のユピック語についていろいろとインタビューしました。

すると意外なことが・・

1.ユピック語は、まだ英語と同じぐらい家庭で使われている。
2.学校ではユピック語をしっかりと教えている。
3.実際、アントンさん(まだ30才ぐらい)はユピック語で電話していた。

村でも、ほとんど話されていないのかと思っていたので、
(実際に子供達に聞いてみて「知らない」という回答が多かった)
びっくりの事実でした、場所によるそうです。

さて実際に授業を受けてみました。

今日は、数の数え方です。

1 atauciq(アタウチャック)
2 malruk(マロゴック)
3 pingayun(ピンガンュン)
4 cetaman(セタマン)
5 talliman(タヒーマン)
6 arvinlegen(アビーラガン)
7 malrunlegen(マルゴゥナルガン)
8 pingayunlegen(ピンガンュンナルガン)
9 qulngunritaraan(読めず、、忘れた)
10 qula(コラ)
11 qula, atauciq(コラ アタウチャック)


20 yuinaq(ユイナック)

30 yuinaq qula(ユイナック コラ)

40 yuinaak malruk(ユイナーク マロゴック)


100 yuinaat talliman(ユイナート タヒーマン)



1000 tiissitsaaq(テシィーサック)


まず1〜5までは、比較的簡単なんですが
6〜9は、めちゃくちゃ読み方が難しく
しかも9はスペルが長すぎ。

10以降は、法則性に従っているように見えます。
が覚えるとなると、これは大変なことになりそうです。

子供達は、俺のことが珍しいのかユピックの練習はほどほどに

「日本語で私(子供)の名前を書いてよ」

とせがむので

Imen George (アイメン ジョージくん)

の名前を漢字で

愛面 情事 くん

と書いてあげたらとても喜んでくれて
俺は複雑な心境でした。

あと習ったもので興味深かったのは、

単語として

「彼らの最初」、「彼らの2回目」、「彼らの3回目」、、

などの言葉が「ひとつの単語」として存在するという点です。

今回持ってきたエスキモーに関する本(エスキモー極北の文化史 宮岡伯人)にも、
たとえば熊を指し示す言葉としての代名詞は、

近づいてきている熊
遠ざかる熊
横切っている熊

などの言葉が、ひとつの単語で表現できるらしく、
狩猟に関しては、非常に使いやすい言語であるらしいのです。
(この本によればバイリンガル(英語とユピック語)の人が狩猟をする場合は、圧倒的にユピック語を使うそうです)


「言葉こそ、我々の存在そのものである」

と誰かが言っていたような・・・


文化人類学を学びたくなってきたような、そんな
天候回復待ちのエスキモー村体験でした。

2009年9月22日火曜日

生と死の分岐点

いまだにナイトミュートにいます。

風が強すぎて小さな飛行機のハスキーでは飛び立てません。
今朝一度、離陸しようとしましたが直前で断念しました。

「離陸前は生と死の分岐点」・・・とは言い過ぎかもしれませんが
ナイトミュート付近一帯は、強風地帯で離陸しても着陸できない
なんてこともありそうなので、誇張ではないような気がします。

冬山でもそうですが、
「行かなければ死なずにすんだ」
というあたりまえに聞こえる判断に起因する事故は、
いっこうになくなりません。

個人的に冒険チックなことをするとき、
もっとも重要な判断はいつ?
と聞かれれば、それはまず出発前でしょう。

出発前に
じっくり考えて、
死ぬほど考えて、
それで計画はどうなのか
おかしければ計画自体を変更、
それで実際に現場でどうなったら中止するのか、
どうなったら経路変更するのか、
そもそも変更できる経路はあるのか?
などなど、、

いろいろと考えると、
出発前の計画段階がもっとも眠れぬ夜になるはずです。

という私も、いろいろと考えて結局、
タクシー中にフルエルロンでも風上側のタイヤが浮いた感じになり
怖くなって中止したのですが・・・こんなの初めてです。


ということで滞在3日目、
校長先生が「どうぞごゆっくり」ということで
天候回復まで甘えることにしました。


つづく

2009年9月4日金曜日

カリブー猟(夜間飛行と死線)

ブルックス山脈の頂をなんとか越えて、その南にあるベテルス村へ着陸した。そのとき時刻は、すでに午後10時を回っていた。

通常アラスカ北極圏の8月中旬は日没が10時以降なのでまだ薄明るいが、この日は高曇りにあわせて乱層雲が散在していたので、すでに薄暗かった。それでも遠く北の空にはわずかに夕日が見える。日本などで飛行するとわかりにくいが、極北8月の夕暮れ時、南に飛行する場合、北に沈む太陽を背にするので進行方向は暗く、周囲はどんどん暗くなってゆく感じがする。逆に北へ飛行する場合は、夕日を見ながら飛ぶのでなかなか太陽は沈まない雰囲気がある。フェアバンクスとベテルスの日没時間の差は20分ほどしかないので、これは錯覚であるのだろうけど南北2つの日没時刻を追っかけて飛行しているような感覚は実に奇妙でおもしろい。

ベテルスで燃料を給油し、フェアバンクスの天気を確認してからすぐに離陸した俺は、なんとか今日中にフェアバンクスに戻ろうとしていた。ベテルスからフェアバンクスまでは、速度の遅いハスキーでは約2時間もかかるのでフェアバンクス到着は12時半、どう見ても着陸時には真っ暗闇だが、そのときはフェアバンクス国際空港に降りればいいと思っていた。夜間飛行は一年以上やっていないが特に問題はない。なにより明日のスケジュールも詰まっているから、なんとしても今晩中に戻ろう、とそれだけを考えていた。過密なスケジュールは自分の飛行で取り戻せばいい、みんなに迷惑はかけるわけにはいかない。

ベテルスを離陸、しばらく人工物が皆無の薄暗いツンドラの景色が続いた。ベテルスからフェアバンクスに戻る際は、ダルトンハイウェイを見つけてそれをフォローするのが一番安全で、まずその道を探す。しかし周囲の雲は次第に深まる闇とともに地形を隠し、自分の飛行高度にかかる高さの山の頂も見えない。山との不意な衝突を避けるため安全高度まで上昇、自分の位置把握に努める。静寂と闇色に染まった大地は、比類なき風景を見せてくれる日中とは対局の、完全なダークネスとしてどんな情報も発してくれない。ただ見えるのはユーコン川に近づくにつれて険悪になってゆく、わずかな光の反射で見える、たちの悪そうな雲だけだ。

雲を避けながら飛行すること1時間、やっとのことでそれとなく認識できる一本のダート道路、ダルトンハイウェイを発見、フォローする。夜間飛行用の操縦席視認ライトを点灯させ航空地図を確認する、飛行計器とエンジン計器が美しく照らし出されるなか、目で油圧計、高度計、速度計をひとつづつ確認しつつ地図に記載されている山の高度をていねいに読み取る。道路沿いを山にぶつからず雲を避けて飛ぶには、何フィートまで降下が可能かを知る必要がある。

ユーコン川を越える、灰色のダルトンハイウェイがまだはっきり見える、しかし雲はどんどん低くなっているような気がする。これは完全に闇夜になってきているための錯覚か、自分の姿勢と高度計を頻繁に確認する。地形判読に集中してしまい山に激突したパイロットの過去事例を思い出し、先人に学ぶのはパイロット能力の1つだと考えながら、自分の現在の飛行判断力を客観視してみる。航空局の定めた法的なマージンは十分ある、雲が厚すぎて雲上には出られないが、地面と雲の間がある限りまだフェアバンクスを目指せる。

暗夜の中、やっとフェアバンクスまであと30分のところまで来たとき、飛行経路であるハイウェイと雲の隙間が閉ざされてしまった。残り少しの道中であるがために執拗に雲の隙間を探すが、もうすでに漆黒になっていて雲を視認するのも困難だった。垂直尾翼だけ雲に入ったハスキーのストロボライトの反射が、雲の中で雷のように瞬く。幻惑を起こすこのストロボをOFFにし、着陸灯を点灯、なんとかフェアバンクスに戻ろうと雲の抜け道を捜すが、こういう状況はすでに危険であることも知っていた。死への道は、なんとか進路をこじ開けようとするパイロット自身にある。だから向かう道に確実に存在する死線は自分で決めて、その前に引き返さなければいけない。冒険における最大の安全手順は昔からこう決まっている。それはつまり・・・180度進路を変えること。

飛行高度、1500ft、5マイル先にある山の高さ約3000ft。
周辺は雲でべったりの夜間飛行。
そこがこのときの自分の死線だった。
いろんな思いを抱えながら180度ターンをし、ベテルスへ戻る。

今夜の旨い食事や、Uターンにかかるガソリン代の損失額を考えながら、北にうっすらと見える斜日を薄目で眺めつつ暗夜の雲層間を飛行する。地上と世の中の心配事が飛行状態にオーバーラップし、しばしエンジン音に異常を感じたりする。本当は何でもないはずのエンジンなのに。

ベテルスまで引き返すこと1時間半。
すでに真っ暗なベテルス飛行場に周波数をあわせ滑走路の燈火を点灯させる。
漆黒の大地に光るベテルス飛行場はリンドバーグが見たであろうパリの灯や零戦乗りの坂井三郎がみたラバウルの灯に匹敵する北極圏の灯として、ハスキーの前方に物語的に現れた。

午前1時半、着陸。
ベテルスロッジの前にハスキーをとめて翼の下にテントを張る。ピーク1ストーブに火を付けてお湯を沸かし、もう飽きてしまったマウンテンハウスを作っているとエンジン音で目を覚ました古老のパイロットがやってきた。ヘッドライトで照らすと寝間着のままでマフラーを巻いていた。

「大丈夫か?ケガはないか?お腹は空いていないか?」


思えば、深夜、この北極圏で飛行機を飛ばすなんて
誰でも不思議に思うことだ。
なにも見えないし何も撮れない、すべてが無駄だ。
それにただフェアバンクス帰るというだけで
夜間悪天候の飛行をするのは、どうかしていたかもしれない。


だが俺はそんな夜間飛行は嫌いじゃない。
それは見えない夜でしか見えないものが確実に存在するとおもうから。

2009年9月1日火曜日

極北カリブー猟(回収編)

カリブーの肉と角の回収、そしてハンターのひとりであるヨシの空輸は終わった。
残す最後の空輸回収作業は、
「仕留めたカリブーの回収を最後まで見届ける」と言い切った
ジョンを無事にHappy Valleyまで連れ帰ることだ。

しかしこの回収手順に俺とヨシは、いささか反対していた。

その理由は、

ハンティングキャンプ現地は前夜から強い風と雨に襲われ、川は増水して飛行機と肉とテントが置いてある大きな中州は削られ小さくなってゆき浸水甚だしく、すでに3つ張ってあった我々のテントも移動せざるを得なくなっていた状況だったからである。
そんな状況下では、まず人命を先に移動させてから、カリブー肉と角を・・・
という方針が当たり前だと思っていた。しかしジョンは、「俺は最後まで残る、肉と角の回収を先に頼む」と譲らない。これがアラスカンハンターというものの尊厳なのだろうか、それとも仕留めたカリブーの命を無駄にはしないという覚悟が自分の命と引き替えであってもよい、ということなのだろうか。

俺は、カリブーを獲っていない、しかしジョンはカリブーを2頭獲っている。
二人と肉と角があるこの中州の、小さな極北ワールドは、完全に狩猟者であるジョンの支配下に置かれており、思想が安全を上回ることを極端に嫌う俺も、支配者に逆らうことなどできなかった、「じゃあ、肉と角を優先しよう」俺はジョンが取り残されてサヴァイブする覚悟があることを確認した時点でそう言い、最後の肉と角を飛行機に乗せて離陸した。

中州は小さくなってゆく・・それはすなわちハスキーの着陸場所がどんどん減ってゆくということを意味していた。着陸場所とキャンプ地を兼ねていた小砂利で形成されている中州の長辺には、ブルーベリーなどの小さな植生で形成されている中規模なツンドラ帯が接続しており、それは中州というよりは巨大な島という面持ちであったので、いざというときはツンドラに降りればよい。
しかし歩けば、ソフトで甘美な足裏感覚を楽しめるツンドラには降りたくない。それにソフトであると言うことは、飛行機の接地に関しては悪条件であるし、未体験でもある・・・・パイロットは、未経験なことに関しては慎重でなければいけない、それに、未踏である極北大地へ、どこにでも降りるという行為は、自分の懐を形成する飛行審美性になんとなく合致しないものだということもわかっていた、なんでも「やればいい」というものではないのだから。

それでもヨシとカリブーの肉と角を運んでいく3回の空輸のうちに、着陸すると決めている中州の全長がどんどん短くなってゆく。それは着陸前点検手順の間際に見るジョンと非常用テントの接地位置でよくわかっていた。

中州で唯一、残された命としてのハンター、ジョン。
すでにヨシと肉と角はすべて持ち帰っているという事実が、ジョンの命の尊さをさらに際だたせる。

どんどん減ってゆく着陸帯。
果たしてこんな場所に降りられるのだろうか・・・
まともに平らな砂利の場所は、何feetあるのだろうか?
早くしないとジョンが川に一人取り残される。

手を振って風の方向を知らせてくれるジョンを見つつ着陸進入をしながら、彼が出発の際、フェアバンクスでパートナーであるステイシーとハグ&キスをしていたシーンを思い出す。アメリカ人の出会いと別れのシーンはいつも日本人の俺には強烈だ、なんで人前でそんなことをするんだという思いは、アラスカに通い慣れてきた今でも感じるが、それがこの瞬間には、この細く狭い中州に降りなければならないという自分の、この微細に波打つ心臓へのプレッシャーとして強烈に突き刺さる。

・・・なんとしてもジョンを連れて帰らねば。


着陸できる距離はすでに500ftを切っている。
たとえ300ft(100m)あれば、着陸できるという自信があってもパイロットはやはり長い距離の着陸帯が欲しい。飛行機を大地に降ろすのは、ギャンブルでも宝くじを買うことでもなく、また100歩譲っても、それが自分のための冒険だとか、自己実現だとか、ましてや記録更新などとは正反対の行為だ、これはヨシとジョンの命を彼らの大事な人のもとに送り届けるための飛行であり決して自分勝手な冒険なんかじゃない。

失速警報が常に鳴り続ける極限の低速進入、中州末端の、すでに川になっている場所へピンポイントで接地させる心理状態を保つ、たぶん接地時の尾輪は川の中だろう、それがかえって抵抗になって飛行機はすぐに止まるはず。

大地へ飛行機をたたきつけろ、飛行機よ止まれ。
川に尾輪が付いたと同時に主輪も砂利に接地、強烈なブレーキを加え、
エレベーター操作を行いつつフラップをあげる。

小雨の中、ジョンが手を叩いている。
飛行機は経験した中ではもっとも短い距離で止まったようだ、その距離50m弱。

飛行機から降りてすぐにジョンと荷物を放り込み、
離陸する。ジョンの膝の上には、ビールとウイスキーの空瓶が沢山入った
クーラーボックスが乗っかっている。なんでこんなもの持ってきたんだ?という自分の愚かさと、あえてやる愚かさの意味の大切さを感じながらヨシの待つHappy Valleyへ戻った。

着陸、エンジン停止、ジョンとヨシの再会、そして男同士の強烈なハグ。

「俺たちは、この瞬間、ブラザーになった、いままでは違うがこれからは家族同然のブラザーだ」

仲間と肉と、そしてカリブーの立派な角を持ち帰ったという事実と、ジョンの台詞が加わり、一瞬、安堵とともに強烈な眠気に襲われる、このままフェアバンクスまでワープしてシャワーを浴びた後、待っていてくれる西山さんの美味しい食事とうまいのビールが飲みたいと思う、「シャワーを浴びて、冷たいビールを飲みなさい」と優しく言って貰いたいとおもう。

アラスカンハンターの誇りである3つのカリブー角で装飾された車、Ford F-150でHappy Valleyからフェアバンクスまで戻るジョンとヨシを見送った後、ハスキーの横で低い雲と強い風で閉ざされているブルックス山脈方向を眺めた。

今日中にあの山脈を越えなければいけない。
そしてなんとしてもフェアバンクスに戻らねば。

2009年8月27日木曜日

極北カリブー猟(カリブー角運び屋編)




ブルックス山脈の北、地球儀で見ればかなり上の方にあるアラスカの
北極海に近い場所にブッシュプレーンで降り立った後は、
本格的なカリブー猟に入るわけだ。

そして結局、ジョンは2頭、ヨシは1頭のカリブーを仕留めることに。
しかしながら狩猟の話については、それがどれほど魅力的でも(興味のない人にとっては苦痛でしかないので)私の狩猟HPで更新することにします。

ただ狩猟について1つだけいえること、それは

音1つしないツンドラの上、寂寞感極まる場所にじっと待ち、
凛とした面持ちで冷たい冷寒な川を、その命をつなぐために
必死に渡っているカリブーたちの生命を絶とうとする行為は、
我々自身をカリブーと同化させてしまうような
とても言葉では表現できないような魂の揺さぶりを伴うものであるということ。

人はどんなものでも良いから「自分以外の世界の何か」に対して
ある種の尊敬がなければ、生きてゆけないと思います。
いわば、一種の宗教であり誰にでも存在しえるもので、
それが自分の目標となり、明日を生き抜く力になるんじゃないかと。
そう言う意味で、カリブーをはじめとする動物は完璧な存在です。
そして自然や動物を自分の宗教にすると裏切られたりすることはなく、
だから我々自然系の人間は野外で落ち着くのかもしれません。

さて、

カリブー3頭分の肉と角をどうやって運ぶか?
人間×2+αしか乗れない小さな飛行機ハスキーなので
もしかしたら角は、置いて帰らなければいけないかも・・・などと
思案していると、ジョンの一言。

「カリブーの角は、非常に尊重すべきものだ、だから全部持って帰ろう」

こうして2つ目の夢、

「カリブーの角を翼下に付けて飛ぶ」

が現実となった。
翼に付けるまだベルベットの剥がれていない、さわるととても心地のよいカリブーの角を見ると確かに持って帰りたくなる、
しかし・・・本でしか見たことのない世界だし、
さて右と左のどちらに付けたらよいものか・・
飛行機の翼を支えるステーにどうやってくくりつけるのか、
やってみなければわからないけれど、チャレンジの価値はあると思った。

知恵の輪を解くのと反対の手順?で巨大カリブーの角を
ステーにしっかりくくりつけてダクトテープでぐるぐる巻き&ワイヤーで補強。
そして肉も後席のシートに沢山(約100kg分)積み込む。
こんなんで本当に離陸するのか??と思いつつ
出力最大で河原を飛び出すと、意外に簡単に飛行機は浮揚した。
きっとハスキーの余剰エンジンパワーのおかげだろう。

しかし巡航中は、常に機体が横滑りを起こし、
まっすぐ飛ぶには、常にラダーとエルロンの操作が必要であった。
それに悪天のツンドラ地帯を超低空で飛ぶ恐怖。こういうときに限って
雲は低く視程は最悪だ。

そして着陸。

Happy Valley上空で地上風をチェックすると、とんでもない横風が右方向から。
10kt以上の右横風成分はあるな・・・角を試しに右翼下に付けて飛んできた俺は
かなり真っ青状態になり(理由は、説明が難しいのでそういうもんだと思ってください)言葉で表せば、超強行危険パワーランディングを決行したのでした。
飛行機が右に振られ、右に付けた角が右に曲がる力を作り・・・・ラダーをけっ飛ばす足に履いているのは、ニセコのスーパーで買った580円のサンダルで足首に力が入らずつらい。

無事着陸とは言い難い接地であったが、角も肉も飛行機も無事であった。
たぶん、あの着陸は一生の中でもっとも力業の着陸だったに違いない。

角を付けた機体を無事にHappy Valleyに持ち帰ったとき、周囲の賞賛の声が
あがっていたことをあとで聞いたとき、
これで自分もブッシュパイロットになったのだ
という安堵と歓喜の気持ちでいっぱいになったのだった。

さて、あとは河原に一人残るジョンの回収のみだ。

2009年8月26日水曜日

極北カリブー猟(酒運び屋)

そもそも今回の狩猟は、「飛行機でしか行けない場所でカリブー猟を」
というのがひとつの大きな趣旨だ。

ブッシュパイロットという肩書きを考えると、その仕事の頂点に立つのがハンティングブッシュパイロットである、という私自身の思い込みと&あこがれから今回のカリブー猟の話は始まった。それを聞いた自然派自由人のアメリカ人ハンター友人の二人が、「湯口が飛行機を出すなら行こうじゃないか!」ということですべてが決まったのである。

僕と友人二人(ジョン、ヨシ)は、フェアバンクスから車で8時間、飛行機で4時間かかるHappy Valleyというすてきな名前の飛行場で落ち合うことにした。ブルックスレンジの1つの峠AtigunPassを越え、北極海までどこまでも水平に広がるツンドラに位置するHappy valley飛行場には、どこからともなくカリブーハンターが集まる。そこからブッシュパイロットとして友人と大量のキャンプ道具をハスキーに積み込んで、離陸するのである。我夢にまで見た光景がここにあった。目指すは、カリブーが横断するイビシャック、エチューカ川の誰も近づけないウイルダネス。ジョンと空中で話し合った結果、着陸場所が決まる、場所は幅1マイルほどもあるイビシャック川のほぼ全幅を移動できるおおきな砂利の中州。着陸重量、風、接地面の状況を何度も自分の頭の中で反復計算して、どのぐらいの距離で降りられるか、着陸やり直しのタイミングはどこか?、ファイナルの速度と着陸パターン、降下プロファイル、接地方法などを決定する。飛行場ではない野生の場所に降りる場合、いわずもがな失敗は絶対に許されない。だからすべては自分の責任の下に行動を決定する。それがアラスカでブッシュランディングをするものの唯一の決まり事である。だがこれは「失敗することも自分の責任において許される」と解釈もできる。ちなみに日本では、ブッシュランディングは許される行為ではない。失敗することすら許されない(やってはいけない)のが我が国の方針である。

一度、テスト着陸をおこなう、着陸場所の中州にタイヤを接地、転がすことを数秒・・・様子を見、そしてふたたびエンジンを最大出力にして離陸。数秒の間に29インチのタイヤから伝わる接地面の状態を体で感じて、それを着陸可否の判断材料にする、結果はGO。すぐにエンジンパワーを高度に変換し、オーバル360パターンを作る。地上風は右斜めから10ktほど、500ft上空では少し増えていることがパターンのズレでわかり偏差修正。通常の飛行場と違い、自分で着陸方向とパターンを決める場合、あらゆるパラメーターを統合して瞬時に判断決定しなければならないこの作業は、誰も規制しない地上ウイルダネスにおける行動決定術に似ていて、非常に自由である反面、求められる経験と能力は高い。最終進入経路をつくり、飛行機のドラッグをエンジンパワーで釣り合わせる、アイドルにすればすぐに失速する絶妙なバランスのもと、いつもより浅い進入角度、接地点のエイミングを川と中州の境界にあわせる。水上でパワーを絞りつつ、その結果として表れる飛行機の沈下率をピッチコントロールで相殺、翼上面に流れる空気の層が、剥がれてくれないことを祈りつつ失速の前兆である操縦桿のシェイク(小刻みな揺れ)を感じる。早く降りてしまえば川の中、遅く降りてしまえば中州で止まれずオーバーラン。ピンポイントで飛行機を接地させる技術は、戦闘機のランディングによく似ているが、こちらは設備のない極北の原野、やっていることの意味そのものが違う。こうやってギャンブルにも似た大地とのファーストコンタクトを操縦桿の微妙な操作で形作り、その後、タイヤと砂利のザザッザ・・という感触が機体を通して自分に伝わってくると次第に速度はなくなり、飛行機は停止する。
エンジンを止めてコックピットのドアを開ければ、あとは極北の大自然が待つのみだ。

その後、無事にジョンとキャンプ道具、ライフル2丁を降ろした後、もうひとりの友人、ヨシを迎えにHappy Valleyに戻る。
2回目の着陸も無事に終わり、すべての荷物を降ろし終わると安堵のひとときが待っている。だれも降りたことがないであろう場所に人間二人とハンティング道具を降ろしたんだ、という達成感。これぞブッシュパイロット至福の時。

と、、そこで・・

ヨシが数少ないビールを手にとって、
「そういえば、、、ビールこれじゃ足りないかも・・」と言う。

ジョン「そうだな・・こんなよい景色、よい場所で酒がこれだけでは・・」

俺「全部、持ってきたんじゃなかったの??」

ヨシ「いや、、飛行機の重さのことが気になって、ビール6本とウイスキー1本、クーラーボックスの中に置いて来ちゃったんだ」

ジョン「酒は重要だな・・・いってくれるか?」

俺「・・・酒を取りに帰るだけのブッシュパイロット・・・おもしろい、いくよ」

そうして酒運び屋としてクーラーボックスごとハスキーの後席にくくりつけて三度、ハンティングキャンプに舞い戻る気持ちは学生時代、冬の岩木山頂上から日本酒だけを買いに下山後、また夜間登頂するという愚行に通ずるものであったが、そういう所業は将来の糧になることも知っている次第、どんなことも楽しければよいのである。人間を幸せにする液体をHappy Valleyから運んだという幸福感、これまたブッシュパイロット冥利に尽きるものだ。