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2010年11月1日月曜日

人間の土地、北海道「弟子屈町」

放心状態です。


理由は、北海道の東、弟子屈(てしかが)のフィールドで
ディープな4日間を過ごしたから。


北海道の東側は、
北海道のその他の地域に住んでいる(主に道央圏)人でも驚くような
広い大地が広がっており、それは視野の広さに象徴されます。

空が限りなく広く、山は遠く・・


森の植生は背の低い笹と針葉樹がすっきりとした印象で構成されて、
どこへでも足を踏み入れ、遊びに行けるような錯覚を思えます。

そんな空気の中、
友人とエゾ鹿狩猟をメインとした
道東ツアーをしてきました。

しかし今回のテーマは、
友人の確信犯的に「人」でした。

ちょっと使い方は違いますが、分かってくれますよね(笑)


エゾ鹿猟→温泉のあと、
道東で暮らしているとても魅力的な方々とお会いして、
酒の飲みながらじっくりと色々な話を聞いてきました。


ちょっと紹介しますと、

・敷地、数万坪?の周辺の山に囲まれながら、牧場に勤めつつ暮らす夢と希望たっぷりの20代の若者

・道東に根ざしている、精神的にはとても謙虚で修行僧のようなハンティングガイド

・ワラを壁の断熱材の主材料にして、大きな家をひとりで造っている情熱家ビルダー


その他、兄貴のように面倒を見てくれたKさん、いつも悪いことを教えて遊んでくれるTさん、人に恵まれた道東滞在、この地は人が温かいです。


みなさん、それぞれの分野では、スペシャリストであり、
ひとりひとりを説明するのは、非常に難しいのですが、
しかしながら、みなさんに一貫しているのは、
なにかを極めんとする意欲が常にあり、夢を諦めていない
ということ。

そのことは、
話をしている中での謙虚さとポジティブさ、
そして語るときの目の真剣さに現れています。

「その人がやっていることが、その人のすべてである」

という言葉がありますが、

言い訳を最初から拒絶し、人生のあきらめ感を抹殺している
これら私が道東で出会った人たちは、ポジティブさにあふれ、
周囲の人を確実に幸せにするのではないかと思います。

「情熱のない人お断り」という村上龍の言葉が大好きな私ですが、
今回ばかりは、私が情熱のない人になりかねない、そんな世界だったのです。

ある種の個人に出会って話をすると、
精神的に搾取され、やる気を失ってしまうことはないでしょうか?

それとは逆で、精神的に与えられ、やる気を増幅してくれる個人が、
この世界のどこかに確実に存在することに、
私は安堵と刺激を同時に感じます。


道東、弟子屈に住んでいる彼らは、
なぜあれほどまでに輝いて見えるのでしょうか?


それは、

自ら選んで、好きな土地に住んでいる
自ら選んで、好きなことに向き合っている
自ら選んで、好きな人間と付き合っている(暮らしている)

からでしょう。


言い訳をせず、自分の力でやってゆこう。

個人の持つパワーは、すごい。
そしてまた、それを開花させるのは、
そのひと個人そのものでしかない。


気付きを与えてくれた、
道東・幸福スペシャリスト先生達に感謝。

以下、写真です。
文章とはあまり関係性はありませんが・・・

プライベートランド(向かいの山も)でキャンプ
エゾ鹿の恵みを、喜んで解体実習する山ガールたち。

雄阿寒岳のシルエット

2010年2月6日土曜日

北海道、冬シーズン山の幸が届きました!

すでに右の欄でお馴染み→

今シーズンのエゾシカ・ソーセージが出来上がりました。
早速味わってみましたが・・・
とてもフレッシュな感じがします。



こちら、ソーセージ
長さ30センチほどあります

わかりにくいですが、スモークとジャーキー
(各200グラムほど)



もちろんこんなに一人で食べられるわけもなく
恒例のお裾分け販売します!

サラミソーセージ

ジャーキーとスモークはセット販売のみ
(これは生産が追いつかずちょっと待って頂くかも)

話題作り、プレゼント、酒のつまみに最高です。
興味のある方はどうぞー!



2009年7月9日木曜日

「動物行動学」

アラスカ準備で四苦八苦・・
来週の月曜日出発です。でもまだ何にもしていません、いつものことです。


準備1.伸びに伸びきっただらしない髪をザックリ切り落として短髪に、やはり男はスポーツ刈りだ。

準備2.所有している2丁の散弾銃を石狩の銃砲店に預ける。店長に最近の熊が冬眠しない理由などを聞いて、なるほど・・・・と思う。要するにエゾシカが増えすぎて冬眠する必要がなくなったのだ。あと店にいたお客さんに「アラスカですか?いいな、ブラウンいるでしょ」と聞かれてブラウントラウトか?と一瞬思った自分が恥ずかしかった。もちろんブラウンベアのことである。

準備3.一年間酷使したD3とD200、HVX200をメンテナンスに。ついでに壊れた三脚の修理確認も。一般写真家では、考えられないカメラの使い方をするので本当によく壊れないものだと感心する。ちなみにビデオのP2カードが32G増えて、合計48G、これで53分のスローモーション映像が撮影可能に。カジ君は喜んでくれるだろう。

今日のトピックとして、
特に鉄砲屋さんで聞いた店長さんの熊の話は、面白かった。

「熊は、冬眠前に一度凍ったしわしわのヤマブドウを食べるのだけれど、それは冬眠中に糞が出ないように「つっぺ」するからなんですよ、でも最近そのヤマブドウを食べたあとに増えすぎたエゾシカも食べちゃうから、下痢しちゃって穴の中でおとなしくできずに、外に出ちゃう。それが冬眠しない熊なんです。」

なに?それでは冬期の狩猟期間中でも熊がいるということでは・・・?


午前中、倶知安の床屋さんで聞いた猟友会会長さんの話も面白かった。

「湯口君、オス熊は母親と一緒にいる子供の熊を食べることがあるんだよ。それは子供を喰われた母熊が発情するというシステムがあるからなんだ」

「湯口君、知床の熊は、赤っぽくなかったかい?色がついている熊たちには理由がある、それは地形的に密集している場所での交配で血が濃くなった結果なんだ、要するに近親相姦が多いんだよ」

「広い土地を自由に動き回る熊は真っ黒だ、でも狭い土地で生きざるを得ない熊は色つきだ、よく覚えておくんだよ」


なんと、どれも人間社会に遠からず・・・の話である。


「動物行動学」という学問がある。

自分はこれに昔から興味があった。要するに動物も人間も同じ基準で行動するだろう、という考えが心の奥底にあったからだ。

で、狩猟はその学問の頂点にある行為だと思っている。
(これは気象予報士よりパイロットの方が気象現象を知っているというのと似ている)

動物を知ることは、人間を知ること。
動物を知ることは、自然界を知ること。
動物を知ることは、おのれを知ること。


狩猟界へのいざない・・・ですな。

2009年4月4日土曜日

シカ肉のウイスキー

今日はエゾシカグルメセットを注文してくれたNさんのところへ。

すると、

「湯口さん、ウイスキー好きなんでしょ?これ飲まないからどうぞ」

と言ってNさんは僕にウイスキー2本をくれた!



わお、Nさんありがとうございます。
正直、ブラックニッカがもう無くなりそうだったんです。
大事に飲みます!

シカ肉売って、お酒をもらえるなんて最高に幸せ。
シカのサラミとジャーキーで記念撮影。

2009年3月30日月曜日

待望!エゾシカのスモーク







待望のエゾ鹿スモークが届いたので早速料理!

スモークブロックを薄切りにして、タッパに入れ
それにタマネギの細切りをまぜ、
バルサミコ酢にオリーブオイル、塩コショウ、それに醤油をちびっと入れ込む。

そして、タッパをシャカシャカふって、冷蔵庫で1時間ほど放置すると・・

なんと簡単でウマウマな夜のおつまみ、出来上がり。

これまた安物ウイスキーにとても合います。
(もちろん高級ウイスキーにも合うに違いない)

これ、
新居(賃貸ですが)のエゾ鹿部屋の定番メニューにしよう。
こちらでスモークの紹介をしています

そういえば、
もうそろそろ町内引っ越しします。
羊蹄山の見えるちょっと大きな古い家です。

その家の中に
アラスカギャラリーとエゾ鹿&薪ストーブ部屋を作る予定。
遊びに来てくれれば、
このマリネとサラミソーセージで歓迎します。


そうそう、このスモーク、他の加工品(ジャーキーとサラミソーセージ)セットで
おわけします、興味のある方はこちらから。

写真上:そのまま食べてもウマイスモーク
写真中央:真空パックで1個約200g
写真下:ちょっと手を加えるだけで、ハートフルなつまみに。

2009年3月7日土曜日

美味!エゾシカサラミソーセージ

3月1日エゾ鹿猟が終了

初シーズンとなった今年、しかも途中から参加したのですが
こんな初心者の私でも4頭分のギフトを自然界からいただきました。
(ようするに4頭仕留めたと言うことです)

野生動物であるエゾシカを獲るということが、どういう事か・・などの
そういう難しい&堅苦しいことは後で書くことにして
ここでは美味しい話を。(いただいた恵みは美味しく食べなきゃ!)

ここで、
獲ったエゾシカの肉はすべて刺身とかタタキに出来るわけではありません。
しかし自然の恵みをすべて活かしたいという気持ちもあり
しっかり自分で取った他の部分の肉も
札幌の大手ハム屋さんに加工してもらうため持ってゆきました。

そして・・なんと凄い量のエゾシカサラミソーセージ!が届きました。

うーん、フレッシュな感じ。
それもそう、自分で獲って自分で解体したものだから、
このサラミソーセージのこと全部・・そう
生きているときのシカの顔まで覚えています。

段ボールは、エゾシカのサラミソーセージでいっぱい。



せっかくもらった自然の恵みですが、こんなに我が家では食べきれません。
北海道は冷蔵庫より寒いので保存もきくし冷凍庫もありますが、いかんせん凄い量。
捨てるのは言語道断&無意味ですからみなさんに無料で配りたいところなのですが、
結構な加工賃もかかっていたりもするので、加工賃と他の実費お値段で
湯口が自分で獲ったエゾシカ食べたいなぁ・・と思うかたにお譲りできれば、と思っています。

即席で作ったこのエゾシカページで申し込む
私に直接メールください。


美味しいですよ!



ここからは、難しい話(笑)

以前から書いているとおり
北海道のエゾシカは、非常に増えており
狩猟中や登山中に見かける森林中の食害は、
なかなか凄いものがあります。

まだこんな幼木から、、、

こんな木まで・・・・ここまで皮を食べられると木は死んでしまいます。

昨年行った知床岬周辺では、こんな巨木が・・・やられていました。
世界遺産たるもの、、、、

でも、逆に言えばそれだけエゾシカのエサがないというわけで・・


これに加えて現地の猟友会の人たちを通じて
農作物や牛のえさ(干し草)をエゾシカが食べてしまう被害で
農家や牧畜関係者がいかに困っているかも
実際に有害駆除に立ち会いお話をすることで理解できました。


そういうわけで、増えすぎたエゾシカを狩猟すると
上記の関係者からは、とても感謝されるのですが
また一方では狩猟を非常に嫌う方々も、もちろんいて、
狩猟を紹介することに決めた私の所には意味深?な
メールも結構寄せられたりしました。

しかしながら、そういう意見の中を漂いながら、
実際森の中にいるシカと対峙するのは悪い気分ではありませんでした。
それは何故かというと、
ただ山を登って歩いているだけでは絶対に分からないであろう
「人間の様々な憶測と実際の世界のひずみみたいなもの」が、
狩猟をすることで目の前にしだいになくなるような気がするからです。


以前から、いろんなアウトドアやアラスカ飛行を通じて
いろんな活動を紹介してきたつもりですが、
いまひとつ自然に関しては言及していなかった私。
これまでのインタビューや著書でも、
そのことには触れられなかった自分ですが
それは意見がなかったのではなくて
「単によく分からなかったから」ということが分かり、
そして今回の狩猟では自然のなんたるかを
ほんの、わずかばかりながら感じたような気がしたのでした。

自然ってシステムそのもので
それを維持するということは、さ、
じゃあ、そのシステム状態はどうなっているのかというと、、

うーん、、、やっぱり分からない(笑)


仕方がないので、
旨いエゾシカのサラミソーセージを食べながら
ニッカのウイスキーをチビリやって(他のお酒でもOK)、
北海道の森に生きるエゾシカのことでも思い出すことにしましょう、
それが一番、土曜の夕方だしね。

北海道エゾ鹿ワールド
新しいエゾシカのHPです。

2009年2月18日水曜日

狩猟の魅力

狩猟3回目の記録です

日の出から1時間ほど外は2月季節外れの小雨が降っていて
狩猟としては、厳しいコンディションと思える。
この時期の北海道で濡れながら狩猟するのは不思議な感覚がある。
視界が悪い分、エゾ鹿の捜索は難しい。
冷たい雨は確実に自分の体温を奪う。

そんな中、2匹の雌鹿を数十メートル先の土手上で発見した。
一緒に出猟している師匠が、鹿に気付かれないように直接近づかず
土手沿いに80〜100mほど木に隠れて回り込んでアプローチするよう指示。
そしてプラス「独りで行ってこい」と。

ゴム長靴にスキーを履き、ストック無しの装備、
銃を両手で前方に抱え気配を殺しながら斜面を登り、
鹿を確認した場所から大きく迂回して森に入り込む。
ストックがない状態で斜面を斜めに登るのは難しい。息は切れるが殺す必要もある。音を立ててはいけない。
自分はいない存在と決め込み、濡れた雪をそろりと踏み込み土手に上がる。
回り込むと鹿のいる場所はすでに眼で確認できないので、感覚をたよりに行動する。地図もないし、だいたい見ている暇などない。森のなかにいる自分とエゾ鹿の位置関係をイメージで俯瞰し、師匠の指示を参考に自分で考え行動する。地形を把握するために1本1本の木々を判別できてしまうような感覚が芽生える。目的は鹿を獲ること、ただひとつ。すべてはその命題に沿って自分の行動が決定される。だから自分の存在は鹿を射止めるときだけ突如出現して、あとは1本の木と同じ存在であればいいのにとおもう。

ある程度登ったところで、自分の場所から10センチぐらいの大きさに見える
エゾ松の中から、2頭の雌鹿が走った。距離にして100m以上。
「しまった!こんな遠くで気付かれるのか?」と思いながら、
自分のいままでの行動の非とエゾ鹿の危険察知能力の高さを感じつつ、
その軌跡を横目で追う。
「自分から直角に、斜面を上へ走るエゾ鹿2頭・・・」
付近の森は横に長い。事前に見た地形から、離れる方向にはいかないはず。あいつら回り込んでこちら側にくる可能性もあるな、といっちょまえに考える。

考えて考えたその結果を逐次、行動で示さなければ狩猟は成功しない。
それは失敗の連続だったいままでのわずかな狩猟体験でも何となく分かる。

2頭の雌鹿が、すぐに視界から消える。
見えなくなった鹿の大体の位置は分かるけれど、だからといってこちらから
動いたりアクションをおこすことは、すでに無意味だ。
「鹿を追いかけても、追いつくわけがない。だから回り込んでこっちに来るのを待つんだ」師匠の言葉がうかぶ。

だからといって
逃げた鹿がこちらに来るという確証はない、、、、
呆然とたたずんでどうしようか、と
と思っていると、30メートル目の前の小さな丘の向こうから、突然
美しい姿態の鹿が2頭、丘の上に出てきた。
そして大きい方(たぶん母親)の鹿と自分の目が一瞬合い、
お互いの動きが止まる。お互いに言葉が通じたら、なにか話のできそうな場の雰囲気
「こんなところに出てくるとは!!」

自分としてはラッキーであったが鹿にしてみれば最悪の状況だろう、
十分、自分の銃の射程圏内に入っているのだ。
銃を構えるとともに、人差し指で安全装置を外し
引き金に指を添えてスコープを覗き、その中心に母親鹿をいれる。

と同時か少し早いぐらいに、母親は猛ダッシュで自分との位置関係において交角が最大になる(要するに90度)左方向に動き出した。スコープ上の母親がぶれて大きく動く。必死に跳躍し離れようとする白い尻の美しい獣、、標準が定まらない。距離が近い分、見かけの移動距離が大きいため銃と照準を大きく動かさなければいけない。

斜め45度ぐらいで、初弾を発射。
母親は崩れ落ちない、弾は外れた。
母親のあとを正確に猛追する子鹿の必死な姿を次のスコープ上の目標にする。
子鹿のスピードも母親同様速い。スコープ上のクロスラインに子鹿の心臓部を瞬時おいて射撃する・・が当たらない。鹿の移動速度がとても速く、狙うというよりは揺れているスコープ上のクロスラインに鹿がなんとかのった瞬間に、引き金を引くという感じだ。

そうして全弾発射が終わり、親子鹿は完全に森の向こうに見えなくなって
戦いは終わった。完全に自分の負け、もう追いつくはずもない。
森の中の野生エゾ鹿は、耳が良く聞こえ、非常に賢く、足が速い。四肢は非常に美しく、そして生存すること以外に余計なことを考えてはいない。だから完璧な存在と言える。

エゾ鹿の素晴らしい姿を見せてもらったなぁ、と
負け惜しみと悔しさの気持ちを交差させていると、
銃声を聞いた師匠が自分の場所にやってきた。

事情を話すと、
「鹿との勝負は、ほんの一瞬。その動きが止まったという・・
目があった時のほんの数秒で撃てないと鹿は獲れないよ。
走っている鹿を撃つのは難しいから。
出会ったときのために2〜3秒で早撃ちができる練習した方がいいな」
と教えてもらう。

銃という強力な武器を持ってしても、人間には圧倒的に不利な森の中。
そんな自分の思い通りにならない世界が非常に魅力的なのはなぜだろう?
そしてこんな現代において、狩猟は非常に希有な行為だと本当に思う。狩猟で得られるエゾ鹿の肉でなければ生きてゆけないという理由はどこにもなく、むしろ生協で販売している200g/400円の肉を購入するためのお金をどこかで稼ぐことが普通の世の中。それでもなお、狩猟というめんどくさい世界がわずかばかりに存在するのはなぜか?という思いがあるが、逆にこの体験をしなくなった世の中のほうが、おかしいんじゃないかという思いも芽生えてくる。
森の中の狩猟には、いろんな行為が詰まっている。
そしてその要素一つ一つにウソがない。

最後に残しておいたアウトドアが狩猟で良かった。
(まだあるかもしれないけれど)

2009年2月12日木曜日

エゾ鹿猟について

今シーズンから北海道ならでは!のエゾ鹿猟を体験しました。


土曜日、北海道の三笠&日高地方へ
師匠と共に鹿猟に行く。

日の出と共に、厳冬期、三笠の山谷へ分け入る。
尾根と沢の二手に分かれて
鹿の足跡を確認しながら、全方位警戒しつつ
自分の担当である谷を奥へと歩く。

歩くといっても
ある程度の新雪の中をラッセルしながら、
息はゼイゼイ、足を一歩前に出すたびに肩は上下し
それに浅い角度で持つ銃の重みがこたえる。
いつでも対応出来るように銃は両手で持つよう
事前に師匠から指示があった。

息を殺してのラッセルでありつつも
鹿に気配を知られてはまずいので
咳払いすら出来ないこの緊張感。

その後結局、2時間も鹿を追って
尾根まで上がってゆくが、
足跡と十数頭分のねぐらを発見しただけで鹿は見つけられなかった。
鹿のねぐらは、尾根上の意外と見晴らしの良い場所にあり
寝ているときも、警戒できる場所にいるのだな、と感心する。

狩猟をやる理由のひとつは、
自然を知ること、少しでも自然のシステムを理解したいという
欲求からであり、鹿が獲れなくてもこういう発見で
おおいに知識欲が満たされる。
狩猟をやらなければ、分からないことは沢山あるはずで
自分が未知の領域に飛び込んでいるという喜びを素直に感じた。

その日の午後は日高へ。
師匠のさらに師匠?と合流し鹿を探す。

太陽が山陰にチラホラし気温が低下するのを感じる午後3時半、、
沙流川の本流に一頭、子鹿が佇んでいた。
自分は気がつかなかったのだが、師匠が発見、
白い尻をこちらに向け、警戒心はまるで感じられない。
それを対岸から狙いをつけ、射撃させてもらう。

緊張の一瞬、ひとつの命を人差し指の一挙動で止める、
スコープ上に映る子鹿はなぜ一匹でそこに立っているのだろう?
と引き金を引く前に瞬時考える。
親はどこにいるのか?親とはぐれたのか?
こんな所に一匹でいる子鹿の理由は?
まだ鹿を一頭も獲ったことのない初心者の自分にしては、
冷静にそんなことを考えつつ、
初弾発射の引き金を引く。

大きな銃声の後、
子鹿は驚いた様子で5メートルほど川を下流に逃げた。
「あたったか?・・・すぐに次を撃て」
師匠の指示がとぶ。

次の弾を装填、立ち止まってこちらに対して横を向き
何が起こっているのか分かっていない様子の子鹿に対して
次弾の引き金を引く。

銃声のあと子鹿は、肩をビクッ動かしたあと
突然、近くにあった凍った川の浮島に走り込んで
「自分には何があったの?さっぱり分からないよ!!」
といった様子で
氷の浮島の上で狂ったように大きく3回ジャンプしたあと
浅い川に落ち込んで動かなくなった。
死んでしまったのだ。

対岸付近で射獲したので回収がたいへんだな、、と
師匠と話しながら二人でゾンメルスキーを履いて
数キロある林道を歩き獲物を回収する。
自分で初めて獲った獲物の喜びと
リュックに入った命の重みを感じつつ。

動物を殺すのは正直、心が重い。
だが自分の手でそうしなければ、絶対に分からないことがある。
それは狩猟をやってみて初めてわかる、獲物の捜索、発見、射撃、回収という
食料を得るまでの一連の過程がどれだけ難しいか、ということだ。
スーパーの出所がよく分からない肉を食べてきた今までの自分には
理解しがたい体験であり、命の重さとあいまって
自然観というか、生きる、生き残るということがどういうことかを
再度、考えさせてくれる行為でもあった。

帰宅後、狩猟者ではない友人達と
獲った鹿の心臓の刺身を頂く。
心臓の半分は弾が当たって無くなっていて
ほんの少しの分量だったけれど
生姜醤油につけてみんなで頂いたら、
本当に美味しくて、みんな喜んですぐに平らげて、
それがなんか意外というか不思議な気分だったけれど
そうか、こういう風に食べ終わるまで狩猟は終わっていないんだ、
と歯ごたえのある心臓を噛みながらおもった。

あの子鹿が自分の体の一部になる。
食べた後、自分に打たれる前の子鹿の姿が思い出された。

エゾ鹿猟、体験記

今シーズンから北海道ならでは!のエゾ鹿猟を体験しました。
アラスカでのハンティングにつなげるべく修行中・・・
その日記です。


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土曜日、北海道の三笠&日高地方へ
師匠と共に鹿猟に行く。

日の出と共に、厳冬期、三笠の山谷へ分け入る。
尾根と沢の二手に分かれて
鹿の足跡を確認しながら、全方位警戒しつつ
自分の担当である谷を奥へと歩く。

歩くといっても
ある程度の新雪の中をラッセルしながら、
息はゼイゼイ、足を一歩前に出すたびに肩は上下し
それに浅い角度で持つ銃の重みがこたえる。
いつでも対応出来るように銃は両手で持つよう
事前に師匠から指示があった。

息を殺してのラッセルでありつつも
鹿に気配を知られてはまずいので
咳払いすら出来ないこの緊張感。

その後結局、2時間も鹿を追って
尾根まで上がってゆくが、
足跡と十数頭分のねぐらを発見しただけで鹿は見つけられなかった。
鹿のねぐらは、尾根上の意外と見晴らしの良い場所にあり
寝ているときも、警戒できる場所にいるのだな、と感心する。

狩猟をやる理由のひとつは、
自然を知ること、少しでも自然のシステムを理解したいという
欲求からであり、鹿が獲れなくてもこういう発見で
おおいに知識欲が満たされる。
狩猟をやらなければ、分からないことは沢山あるはずで
自分が未知の領域に飛び込んでいるという喜びを素直に感じた。

その日の午後は日高へ。
師匠のさらに師匠?と合流し鹿を探す。

太陽が山陰にチラホラし気温が低下するのを感じる午後3時半、、
沙流川の本流に一頭、子鹿が佇んでいた。
自分は気がつかなかったのだが、師匠が発見、
白い尻をこちらに向け、警戒心はまるで感じられない。
それを対岸から狙いをつけ、射撃させてもらう。

緊張の一瞬、ひとつの命を人差し指の一挙動で止める、
スコープ上に映る子鹿はなぜ一匹でそこに立っているのだろう?
と引き金を引く前に瞬時考える。
親はどこにいるのか?親とはぐれたのか?
こんな所に一匹でいる子鹿の理由は?
まだ鹿を一頭も獲ったことのない初心者の自分にしては、
冷静にそんなことを考えつつ、
初弾発射の引き金を引く。

大きな銃声の後、
子鹿は驚いた様子で5メートルほど川を下流に逃げた。
「あたったか?・・・すぐに次を撃て」
師匠の指示がとぶ。

次の弾を装填、立ち止まってこちらに対して横を向き
何が起こっているのか分かっていない様子の子鹿に対して
次弾の引き金を引く。

銃声のあと子鹿は、肩をビクッ動かしたあと
突然、近くにあった凍った川の浮島に走り込んで
「自分には何があったの?さっぱり分からないよ!!」
といった様子で
氷の浮島の上で狂ったように大きく3回ジャンプしたあと
浅い川に落ち込んで動かなくなった。
死んでしまったのだ。

対岸付近で射獲したので回収がたいへんだな、、と
師匠と話しながら二人でゾンメルスキーを履いて
数キロある林道を歩き獲物を回収する。
自分で初めて獲った獲物の喜びと
リュックに入った命の重みを感じつつ。

動物を殺すのは正直、心が重い。
だが自分の手でそうしなければ、絶対に分からないことがある。
それは狩猟をやってみて初めてわかる、獲物の捜索、発見、射撃、回収という
食料を得るまでの一連の過程がどれだけ難しいか、ということだ。
スーパーの出所がよく分からない肉を食べてきた今までの自分には
理解しがたい体験であり、命の重さとあいまって
自然観というか、生きる、生き残るということがどういうことかを
再度、考えさせてくれる行為でもあった。

帰宅後、狩猟者ではない友人達と
獲った鹿の心臓の刺身を頂く。
心臓の半分は弾が当たって無くなっていて
ほんの少しの分量だったけれど
生姜醤油につけてみんなで頂いたら、
本当に美味しくて、みんな喜んですぐに平らげて、
それがなんか意外というか不思議な気分だったけれど
そうか、こういう風に食べ終わるまで狩猟は終わっていないんだ、
と歯ごたえのある心臓を噛みながらおもった。

あの子鹿が自分の体の一部になる。
食べた後、自分に打たれる前の子鹿の姿が思い出された。