2009年9月2日水曜日

カリブー猟(ブルックス山脈を越える)



カリブー猟の後、車でフェアバンクスに帰るジョンとヨシを見送った後、帰路の方角、南にそびえるブルックス山脈をぼんやりと眺める。眺めるといっても山脈の約8割は、べったりと張り付いた雲に覆われ、山は地面と隣接しているツンドラの丘ぐらいしか見えない。風が南西から強く吹き、山越えの突風が息継ぎをしながら、飛行場の吹き抜けを揺らしている。Happy Valleyという名前にはそぐわない場末のブッシュパイロットと血気盛んなハンターが集まるここでさえ、誰も飛んだりする気配はない天気で付近は灰色に染まっている。

ブルックスを超えるための基点である峠、アティガンパスは約7000ftの標高がある。唯一ダルトンハイウェイというダートが貫通しているこの峠も雲の中にあっては飛べるわけがない。

俺はフォードのトラックに積んできてもらった5ガロンタンク8本分の航空燃料をハスキーの翼上から注ぎ入れつつ、いろいろと思考をめぐらせた。

さて、峠の手前にある飛行場まで行って一晩やり過ごすか。
それとも山の上まで飛び上がって雲上飛行をするか。
それとも他の経路を探すか。

航空地図をじっくりと見回す。
どこかにブルックス山脈を越える経路はないか・・・

2年前、ブルックス山脈をアナクトブックパス村経由で越えて、
北極海のバローまで飛んだことがあった。
あのときの山脈を貫く谷、ジョンリバーの高度は・・・確か2000ft付近であったはず。
まずは山脈の北端まで飛行、天候をつぶさに観察し、
ブルックス山脈の弱点であるジョンリバーを通ることを考える。

Happy Valleyを惜しげもなく離陸、進路は南。
小雨のダルトンハイウェイ上を飛行しながら、行きにツンドラ上で見た白フクロウの巣やカリブーの群れを思い出した。山脈の北端、緩い稜線が突き出す場所あたりから雲が迫ってきて、これ以上ダルトンハイウェイ上を飛ぶことは不可能になる。ここで右旋回で飛行進路変更、山脈北端をなぞるように西に飛ぶ。目指すは、アナクトブックパス村の北の出口、ジョンリバーの谷だ。途中、山脈の北端は3000ftを超す頂も顔を出し、それにかかる雲から雪が真横に飛んできて機体のウインドシールドにパチパチと鳴らす。温度計の針は氷点下を差し、翼前面のなめらかなカーブに付着した水滴が今にも凍りそうな雰囲気で、揚力を奪われることを極端に嫌う自分が無意識のうちに飛行高度を徐々に下げていた。


ここはブルックスの北、
数多くのブッシュパイロットが死んでいった地


8月中旬だというのに白いベールに覆われた恐ろしくも美しい極北の山脈を飛んでいると、怖さに加えてもう死んでも悔いはないという複雑なトランス状態になってくる。これはパイロット特有のものだ。そう、生きているから死んでも悔いはないと思える心理状態を知りつつ、パイロットはやはり生きるために飛び続ける。そしてその先にあるもの、着陸後に待つ、たった一杯の煮詰まったまずいコーヒーであっても、それが生きて帰ってきたという最大級の安堵の証であり、生の実感を誰よりも深く味わえることを知っているから飛び続けるのである。例え誰からの賞賛がなくても・・

ジョンリバーが見えてくる、アナクトブックパスまではあと30マイル。雲の高さは徐々に上がってきていて山脈のほかの場所よりも天気がよい、なぜ海岸沿いに住んでいたはずのエスキモーがここに移り住んできたのかがわかる、ここはきっと山脈中もっとも天気がよい場所に違いない。雲は谷を通り、ちぎれ変化を作り、時に日射をもたらす。アナクトブック村上空を通過すると、付近を流れる雲は崩れ太陽の日差しをもたらしていて、その憶測は確信に思えてくる。

「このまま、山脈を飛び越えてベテルスまで行ってしまえ」

山脈を貫通しているジョンリバーの天気の良さに勢いづいた俺は、そのまま山脈の南に位置するベテルス村まで飛ぶことにした。そして、もしかしたら今日中にフェアバンクスに戻って旨い飯を喰えるのではないかという甘い期待を感じながら。

写真:8月中旬ブルックス山脈北端

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