2009年6月4日木曜日

知床世界自然遺産

先週末は、DVD製作も一段落、
お客さんがポロリと来たので
北海道、島牧村にある観光名所「賀老の滝」へ。
(実は自分も初めてなのだけれど)
しっかりとした道がついており、小一時間ぐらいで往復できるのだが、
あいにくの雨、急ぐ様に名所を目指す。

高さ70m幅35メートルだそうで、なかなか。 

それより川の激流が気になる。

これは・・・下れないな。すごい流れの複雑さ。 

ちゃっかりと、採るものは採っておく(笑) 
もう六月だけれど、まだまだ沢山あり。要するに高い場所にいけばOK。 

冷えた体に、渋過ぎの温泉でゆるりと。 


ここの温泉は、営業しているのか分からないほど
存在感がない・・・でも、それが!またいい。

と日常の話はここら辺にして
話を来週末の知床カヤックツアー
(新谷さん的に言えばエクスペディション)にしよう、

今回のメンバーは、8名
日程は3泊4日

僕は、リーダーではなく連れて行ってもらう立場。
まあ、メンバー全員で役割があり、僕は(勝手に)撮影担当。
D3とHVX-200を無謀にも持ってゆく予定。
もちろん北海道アウトドア本での1テーマとして執筆を考えていて
知床の海を世に伝えてみたい気持ちはあるな。

そして去年の2月下旬、知床岬までテレマークで行ったときは
断崖絶壁の海岸線トラバースに相当苦労した思い出があり
今回は海からその現場を見て、ざまあみろと感慨にふけりたいと思っている。

知床は世界自然遺産ということもあり、是非、、
という気持ちは全然なく「なにが世界遺産じゃ」というのが本音。
これは今回の主要メンバーの共通見解でもある。
だからやりやすい。

 もちろん日本で道路のない海岸線は非常に少ないので、知床は貴重なアウトドアフィールドだ。しかしながら知床の冬の森の中を歩いていると、エゾ鹿に喰われまくった木々は損傷激しくエゾシカの糞と足跡はあらゆる所にある。それは自然と言うにはあまりにも不自然な光景で、明らかに「知床に作用する外力がどこかにある」ことが分かる。海岸を歩くと漁業で生業を立てている方々が使用する番屋が、ずらりと立ち並ぶ。それは海岸の普通の光景で悪い感じはしないが、逆に世界自然遺産という言葉が、誰が見ても明らかにウソっぽいということを感じる。
 半島の先端、知床岬では、植生がエゾ鹿に食い尽されペンペン草も生えない世界だ。そこには数坪程度の金網で囲まれた場所があり、貼ってある注意書きには「エゾ鹿対策用の金網ネットです、中に立ち入らないでください」とむなしく書かれている。金網の中には、周りの世界とは違和感のある植物がひょろっと立ち並んでいる。振り向けば、エゾ鹿の大群数百匹ががこちらを警戒しながら、どこにあるのか分からない土中の草をはんでいる。この大群は、その後のエゾ鹿駆除によって200匹ほどが殺されたらしい。

本当に自然の残っている誰にも振り向かれない場所は、世界自然遺産にはならないはずだ。人間と密接に関わっている場所、要するに観光対象としての自然地域が世界自然遺産になるわけで、だったら世界自然観光遺産にして人間が必要な整備をしてゆけばいいと思っている。

結局、何が言いたいのかというと
知床が世界遺産であることは別にどうでも良くて(単なる一例)
そういう誰かの作った分けの分からない定義に翻弄されながら
我々は日々を生きているということに苛立ちを感じるわけだ。

「やらされている感」のある人生は、惨めだ。
行動を根拠にした自分の判断基準=スタイル的な思想を持つべきだと思う。
これはアウトドアや知床だけの話ではない。
精神的な贅沢とは自分で考えることなのだが、いまそういう人は少ない。

今回のメンバーはアウトドア自立していて面白い。
オホーツクの海を見ながらやる夜の焚き火が非常に楽しみだ。

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